スパイラルダイブ ③

『あれだ。あの浮き燭台のうちの、もっとも小さいものがトルクを表す。死して後、ぬしの魂は汚れを焼かれて地球儀へ落ちていく──ほれ、トルクのすぐ隣に浮いておる大きな燭台。あれが地球儀じゃ。汚れを焼き落とされた魂は百年の寿命を持つが、地球儀においても死はぬしを訪れる。その後、ぬしの魂は地球儀を旅立ち、さらなる高らかな場所へと向かう。その地をきんせいと呼ぶ──あそこの、ずっとむこうにある燭台じゃな。金星儀での猫の寿命は千年に及ぶ。その寿命をまっとうした猫は、ついに──』


 焰は口をはさんだ。


『太陽儀に召されるんだろ?』


 坊主は驚いて振り返り、ひげを震わせ、


『──ただのケンカ屋と見くびっておったようじゃ。ぬしは妙なことを知っておるな』

『ただのケンカ屋だからだよ。おれらスパイラルダイバーにとっちゃ、死ぬなんてことはメシ食ったりクソしたりすんのと同じ距離にあるからな。他の猫よりゃ興味もあるし、そのへんのジジイの話を聞いたりもするさ。だけど、きゆうに落っこちてく魂が燃えるなんてこと知らなかったし、きんせいなんて聞いたこともなかったよ。続きは?』


 坊主はふむ、とうなずき、


『ますますぬしを弟子に取りたくなった』


 ほむらに横目でにらみつけられ、


『──とはいえ、続きはもうあまりない。金星儀での天寿を終えた魂は、』


 坊主は、一番遠くに浮いている、一番大きなシャンデリアを尻尾しつぽで指した。


『あれがたいようじゃ。あそこへゆく。あの太陽儀こそ、神なるのおわす宇宙の中心なのじゃ。父なる覇威奴呂と母なる覇威奴呂は常にまぐわいて、神子なるを生み出しておる。同時にぼうだいなる光素が発生し、彼方よりその光素が照らしおるおかげで酸素かびは豊かに茂り、我らトルクの猫も生きておれるというわけだ』


 話が大きすぎる。その過程をうまく想像することができない。が、この坊主もそれは同じだろうと焰は思う。だれしも同じであるはずだ。理解しているのとただ知っているのとでは天と地ほども違う。


『太陽儀に召されるまで一千と百年か──気の長い話だな。で、その先は?』


 坊主の尻尾がぴくりと震え、からりと鈴が鳴った。


『──なんじゃと?』

『だから、その続きだよ。死んだおれの魂が、一千と百年かけて太陽儀にたどり着いて、それから先はどうなる?』


 表情も固く、坊主は慎重に答える。


『それで終わりだ。終わりの先はないし、魂が太陽儀に召されることが最終的な救いなのだ』

『終わりってことあるか。太陽儀でもやっぱり魂に寿命がきて、またどこか別の場所へ行ったりとかしないのかよ? 他に行き場がないんなら、太陽儀はいつか猫の魂でいっぱいになっちまうんじゃないのか? それとも、』


 ──────────────────────────────────────っ!!

 坊主はまったくの突然に焰をにらみつけ、全身の毛を逆立て、のどを鳴らして大喝した。焰は心底驚いて身をのけぞらせ、あつにとられて意識が一瞬だけ空白に染まった。

 その瞬間。


『スキありっ』


 坊主はするりと尻尾を伸ばし、その先にられた鈴で焰の鼻っ面をぼかっとはたいた。

 かなり痛かった。叩かれた反動で、焰の身体からだが回転し始めてしまった。


『笑止。ぬしはそれでもスパイラルダイバーであるか。わしが敵であったならぬしは今のひと太刀で地球儀送りよ』


 坊主はほおヒゲを大きく開いて満面の笑みを浮かべる。ほむら尻尾しつぽを強く振ってその回転を止め、両の前足で鼻を押さえ、目を丸くして坊主を見上げる。


『しかしな、わしがわし以外の坊主であったなら、そんなもんではすまんかもしれんのだぞ』

『──な、なんだよそりゃ』

『今後は気をつけるがよい。ぬしの物言いは世の坊主どもを怒らせる。坊主とて猫の子よ。中には気の短いやつもおるしな、ぬしをたんしやとして審問にかけようと計るやもしれん。よしんば、そこまで修行の足らん奴でなくとも──』


 そこで坊主はいきなり語調を荒げ、


たいように行き着いたその先のことなど考えてはならん! そうした問いにこそ終わりがないのだ! そのような際限のない問いに心をしばられておるようでは、死して後も貴公の魂は答えを求めて宇宙の暗黒を無限にさ迷い続けることになるぞ!』


 そして再び柔らかな口調に戻る。


『──とまあ、大抵の坊主ならそう言うだろうて』


 坊主の満面の笑みは結局、焰が怒り出すタイミングをすっかりつぶしてしまった。

 ──変な坊主だ。

 そう、本当に変な坊主だと焰は思う。ヤバい物言いをしているのは自分よりもむしろこの坊主の方だと焰は思うのだ。この坊主は、焰の言葉が自分たちの痛いところを突いたのだということを認める言い方をしている。「こちらに矛盾があることは百も承知だ。しかし、実際問題として、面倒事に巻き込まれるのが嫌ならそういう角の立つ物言いは慎むべきだ」──坊主ははっきりとそう言っている。そんな言い草こそが、そもそも坊主の口にしてよい言葉ではないはずだ。

 もし、もう一歩だけ踏み込んだら、この坊主は何と答えるのだろう。


『──大抵の坊主がそう言うなら、じゃあ、あんたならどう言うんだよ』


 ふむ──坊主は真面目な顔で視線をさ迷わせ、


『先ほど、わしが話した太陽儀までの魂の道のりだがな。あれはその昔、大集会の偉大なストーリーメイカーであったつるぎぼうだいな観測結果より導出した「三段階ジエイコブス・至天ラダー・航路オービツト」というやつだ。今では坊主をやっておる者ならだれでも知っておるし、大集会もこれこそが正しいじよう構造であるというお墨付きを与えておる。しかし、しかしだ』


 坊主は急に声をひそめ、焰以外には誰もいるはずのない周囲の闇に目を走らせ、物陰にひそむ何者の姿もないと納得するまでしつようにマイクロ波を放った。焰は驚いて、


『な、なんだよ』


 坊主は焰にぐいと顔を近づけ、


『ここだけの話、わしはこの説に疑問を持っておる。てん使の残したもんじよを読み解いていくとな、きんせいと太陽儀の間にはもう一段階、「すいせい」という儀体があるはずなのだ。これまでにその存在を実際の観測で確かめた者はおらなんだし、今ではそんなたいなぞありはせんということになっておる。しかし、しかしじゃ。もし仮にすいせいがごく小さく、たいようにごく近い軌道を回っておるとすれば──』


 そのとき、鈴の音とメートル波のきようもんが聞こえた。

 坊主は全身の毛を逆立てて口をつぐみ、螺旋階段スパイラルの奥底の闇を振り返った。

 墨のような暗闇の中に、遠く、シャンデリアの灯があった。


『ようやくお出ましだ』


 せんの底をぴたりとにらみつけ、ほむらがつぶやいた。

 一端から一端までは150メートル。

 大げさな距離ではない。

 とはいえ、今の螺旋階段には見物客はいない。ロボットたちが手にするランプの明かりのひとつもなく、螺旋階段の闇はいつになく深い。しかし、ごく微少な光をも逃すことのない猫の目は、150メートルの闇の堆積を貫いてその奥底を見通すことができる。

 焰と坊主には見える。

 まずは、闇に浮かぶ四つのシャンデリアの光。

 そして、その周囲にうごめそうぎようの猫たちの姿。

 そのさらに背後、螺旋階段の底をなす直径20メートルの円形の壁には、鋼鉄製の大きなカタパルトが四基ある。最初からそこにあったのではなく、大昔の猫が大変な労力を費やしてしつらえたものだ。四基とも構造はまったく同じで、ゴム製の弦の力で荷物を飛ばす仕組みである。でかいゴム鉄砲と言ってしまえばそれまでだが、大変な力でね返ってくるこの弦に打たれたら、猫の身体からだなど簡単に両断される。カタパルトの正面には八角形の大きなプレートが溶接されており、四基それぞれの番号が書き込まれている。左上から時計回りに「いち号」「号」「さん号」「四号」。

刊行シリーズ

猫の地球儀 その2 幽の章の書影
猫の地球儀 焔の章の書影