スパイラルダイブ ④

 その参号カタパルトの射出レーン上に、「どう」がいる。

 ハーネスで全身を固定されてうずくまる、羽をむしり取られたはちのようなぎようの姿がある。

 坊主がつぶやく。


『あれがまだらあいぼうか。珍しいな、てん使型ではないぞ』

『そうでもないさ。螺旋階段はどうせ無重力だしな、ダイバーの中にゃ相棒の足をぜんぶ外しちまう奴だっているぜ』


 焰はそう答える。が、その目はカタパルトの上の不動を見てはいない。

 鈴を鳴らして踊る坊主たちのただなかに、その名の通りの斑を全身の毛皮に散らした、さして大きくもない猫がいる。

 焰がそうしていたように、目隠しをして闇に身体を浮かべている。

 焰は、その猫だけを見ている。

 あれが、まだらだ。

 そのはずだ。


『──拍子抜けじゃな。何が口から火を吐くか。またずいぶんとひんそうやつではないか。やはりうわさはあてにはならんな。あれでは話半分にもならん』


 斑の姿に気づいた坊主がしんらつな感想を述べた。

 ほむらは無言だ。


『けっ、見よあのザマを。どこの生臭だ。ずいぶんとまあ適当な葬式もあったものよ。けち臭い札のき方をしおって。おおっなんじゃなめんとんのかこら、かいみよう札もつけよらん』

『まあそう言うな。あんまり真剣にやったら多爾袞ドルゴンさまに失礼だとでも思ってるのさ』


 途端、坊主はけんのんな目つきで焰を振り返った。


『──まさか、ぬしも同じ考えなのか?』


 焰の表情は変わらない。


『いや。おれは斑にケンカを売った張本人だしな。どこの坊主もみんなブルっちまってさ。だれも葬式を引き受けてくれなくて困ってたんだ。無理聞いてもらってすまなかったと思ってる』


 坊主は押し黙った。

 焰もそれ以上は何も言わない。

 坊主の言う通り、確かに適当だった。二人が見守る中、敵方の葬式はものの数分で片付いてしまった。

 突然、視界を揺るがすような鐘の音が鳴り響いた。鐘の音は螺旋階段スパイラルの隅々にまでわんわんと反響し、かなりの時間をかけてようやく闇に溶けて薄れていく。続いて、今度は大きな歯車が規則的にかみ合うような音が聞こえてきた。

 螺旋階段の真ん中にある空気時計が、最後の二分を数え始めていた。


『秒読み開始だ。ごっそさん、これまでで一番ねんごろなとむらいだったよ。もう行きな』


 焰が言う。

 坊主は焰をじっと見つめ、


『──ぬしよ、』

『何だよ』

『──必ず勝たれよ。わしの葬式を無駄にせよ。あのみっともないやつに、あんないい加減な葬式しかせなんだことを後悔させてやれ』


 歯車の音を十聞いてから、焰は答えた。


『守れるかどうかわからない約束はしないよ』

『な、なんじゃぬしは。なぜ今になってそんな情けないことを言う。いいか、言葉というものにはすごい力があるんじゃぞ。言葉にはことだまというものがあって、』


 すぐ足元にあった鎖をって、焰は背後の闇の中へとちようやくした。白い身体からだをくるくると回し、別の鎖に尻尾しつぽを巻きつけて身体からだの動きを止め、手足をだらしなく広げてぶらりとぶら下がる。

 にたりと笑った。


『できるかどうかわからないことを必ずやるって言うのはうそだろ。さっきと言ってることが違うぜ、坊さんに噓ついたら尻尾を引っこ抜かれるんじゃなかったのかよ』


 再び鐘の音が螺旋階段スパイラルを震わせる。

 あと一分。


『ほら、危ないからもう行けっての。その様子じゃ坊さんも老い先短かいだろうしさ、またじきにきゆうでばったりってことになるだろ。そんときゃよろしく頼むわ』


 投げつけるように言う。

 歯車の音は続く。


『のう』

『何だってんだよ、いいかげんに──』


 が、そのときの坊主の顔にはもう、ふざけた感じの笑みがあるだけだった。


『本当に、わしの弟子になる気はないのか?』



 坊さんを追い払い、尻尾で鎖にぶら下がっていたほむらはくるりと身体を引き上げた。

 言った言葉に噓はない。

 うわさはいくらも聞いた。しかし、まだらという猫がどれだけすごいやつなのか、本当のところはまるで知らない。だから作戦もへったくれもない。が、すいきよう多爾袞ドルゴンの座を四年間も守り続けることはできまい。

 螺旋階段の底の、かすかなシャンデリアの明かりを見つめた。

 そんな怪物と、自分はこれから戦うのだ。

 焰はひとつ身を反らし、背後の闇へと大きくちようやくした。

 焰の背後、螺旋階段の天井をなす直径20メートルの円形の壁には、鋼鉄製の大きなカタパルトが四基ある。

 そして、そのカタパルトのいち号と四号の射出レーン上に、ハーネスで全身を固定されてうずくまる二体の巨人の姿がある。

 どちらもてん使型のロボットであり、双子のようなまったくの同型機であるが、その身の丈は2メートルにあまり、重量は双方合わせて500キロ以上にも及ぶ。その身を固める古びたぼうじんギアには、かつて焰が倒してきたスパイラルダイバーの返り血が深々と染みついている。両機のひたいには、甲賀組コウガ・フアクトリー製のロボットであることを示すマーキングがある。額にはさらに、両機の初起動が西暦二一八二年の三月であることが記され、夜光塗料で筆書きされた銘が鈍く輝いていた。

 いち号カタパルトの巨人の銘は、「につこう」。

 四号カタパルトの巨人の銘は、「がつこう」。

 ほむらは日光の頭にしがみつき、その頭の後ろにあるぼうじんギアのフードの中にくるりと滑り込む。そのとき、四号カタパルトの月光が焰の方を見上げ、肉食獣がのどを鳴らすような低いうなりを上げた。焰はフードから顔をのぞかせ、


『いや、いつもと同じだよ。おれと日光が先行して、お前が一秒後にその後に続く』


 今度は日光が長い息を吐く。それにも焰は答えて、


『ああ。あの茶色のチビとお伴のひょろひょろしたロボットだろ?』


 日光が短く唸る。


『なんだそりゃ。そんなもんいるわけねえだろ』


 日光はなおも言い張る。


『勘弁しろよお前、ついにイカれたんじゃねえのか?』


 日光はそれでも納得しない。


『あのな、お前だってあの坊さんの話聞いてたろ? てん使なんてとっくの昔にみんな死んじまってもういねえんだよ』


 ならばあれを見てみろとばかりに、日光は螺旋階段スバイラルのずっと奥の一点を指差した。

 焰はその先を目で追った。

 そこは、螺旋階段の中腹あたりにある大きな洞だった。闇をほおった口がぽっかりと開いているばかりで、別段変わったものは何もない。猫もロボットも、もちろん天使もいない。


『なんにもいねえぞ』


 さっきまでそこにいたのに──どうやら日光はそう思っているらしい。指差したその先にだれの姿もないことに気づいて戸惑い、フードの中の焰を不安げに振り返る。


『気味悪い話はもう終わりだ。ものの準備はできてんだろうな?』


 仕方なしに日光はうなずく。焰は日光の肩越しに、螺旋階段の奥底の暗がりをにらみつける。

 秒を刻む歯車の音が続く。

 転がらないまりに、食えないネズミに存在する価値がないように、弱いスパイラルダイバーが息をしていい理由は何もない。

 だから、ただひたすらに、かつえたように挑戦を続けてきた。倒した相手のことはそれきり忘れた。自分が倒されたらそれまでだった。ただ、そこで倒れればいい、それきり起き上がらなければいい、起き上がれるものでもあるまい──そう思っていた。

 その通り──負けるなら、二度と起き上がれないくらいに負ける必要があった。

 負けて、生き残ってしまうことだけが恐ろしかった。

 負けて死んだ後に自分がどうなるかはわかっている。が、負けてなお死にぞこなったら、その後、自分はどうなってしまうかわからない。わからないものは恐ろしい。恐ろしいものに対処する方法は二つある。腹を見せて友達になるか、襲いかかってたたつぶすかだ。

 そうして気がつけば、見知らぬ相手との最初の一回目を十二回も積み重ねていた。

 それでも、休むことはまだできなかった。

 まだらがいたからだ。

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猫の地球儀 その2 幽の章の書影
猫の地球儀 焔の章の書影