断章のグリム 完全版1 灰かぶり/ヘンゼルとグレーテル

二章 傷を持った騎士 ①

 勇壮なるらつと共に騎士たちが城を出た。

 喇叭を吹く者は目隠しをした片腕の天使。

 燃え溶け崩れる世界からの民衆を救わんがために出発した騎士たちは、みな傷を負っている。腕のない騎士。足のない騎士。目を失った騎士。顔を失った騎士。全ての指をなくした騎士が口に剣をくわえ、火傷やけどに覆われた騎士が燃え盛る松明を掲げる。肉の腐り落ちた騎士が毒のやじりを携え、子のなきがらを背負った騎士が血染めの旗を振っている。

 嗚呼ああ。だが。民衆は騎士たちの姿を見ることはなかった。

 民衆は喇叭の音を聞くこともなく、世界が燃え溶けている様も見えてはいなかった。

 燃える地へ戦いへと赴く騎士たちはみな、かつては騎士ではなかった。喇叭の音を聞くことのない者たちであった。彼らは崩れる世界の中で傷を負った時、はじめて天使の吹き鳴らす喇叭の音を聞いたのだ。


私家訳版『マリシャス・テイル』第二章




 そこは蒼衣もよく知る、学校の最寄り駅の近く。

 よく知る駅前の大通り。しかしそこから少し外れた場所にある、入ったことのない小さな古い通りに、その建物は建っていた。

 都市開発から取り残されたような、瓦屋根の家が並んでいる一角。雪乃の先導によって連れて来られた、目的地であるその建物は、その古めかしい一角を占めるのに奇妙なほどに相応ふさわしい、レトロな姿をして建っていた。



『神狩屋──ぶつこつとう・西洋アンティーク』



 いかめしい字面の看板を掲げた、古い店舗。

 どうやら古い写真館のようなものを改装したらしい、白い塗料の塗られた木造の店は、喫茶店にでもすればいい雰囲気が出そうな、店自体がアンティークといってもいい、昭和初期の風情がただよう建物だった。

 雪乃は蒼衣の方を見もせずに、ただその店を示して、言った。


「ここよ」

「ここは……何?」


 校門前で同じ学校の生徒に注目される状況に耐えられず、そして一緒に来て欲しいという頼みを断れず、ついて来てしまった蒼衣。学校からここまで十五分ほど。これが校門前のやり取り以降、初めて交わした会話だった。

 どう考えても、一番最初に聞いておくべきことだった。

 だが自分がどうなるのか、どこに連れて行かれるのかという非日常な不安よりも、学校の皆に余計な注目をされるという、目の前の〝普通〟が脅かされていることへの恐怖が、蒼衣の中では明らかに優先された。

 そんな、何かがずれている蒼衣の発言に、しかし雪乃は気づいた様子もなく、今まで通りの不機嫌な表情で振り返った。

 そして、


「ここは私たちの〈ロッジ〉。活動拠点みたいなものよ」


 と、それはそれで正確な説明をしているのだろうが、どこか違う方面にずれた答えを、蒼衣へと返した。


「そ、そうなんだ」


 どんどん普通から離れてゆく会話に、蒼衣は正直帰りたくなる。

 だが雪乃の表情と昨日の記憶が、ここで帰るという選択肢が存在しないであろうということを、蒼衣にはっきりと告げていた。

 仮にも駅近くだというのに、人気の全くない通りと、時代から取り残されたような建物。看板脇に開放されている入口から覗いている、明らかに薄暗い、店の中。

 商品とおぼしき古いたんなどが垣間見えるその入口は、蒼衣にはさしずめ異界に開いた入口に見える。しかし先に立ち、すでに店の前いる雪乃が蒼衣を振り返っていて、その視線に逆らえるはずもなく、蒼衣は小さな溜息をついて、後を追った。

 追いついた蒼衣を、しかし雪乃は眉根を寄せ、しげしげと眺める。


「な……何?」

「別に」


 蒼衣は思わずいたが、雪乃はたったそれだけ答えると、ふい、と元の方向を向いて、そのまま店の中へと入っていった。

 そんな蒼衣たちを最初に迎えたのは、女の子の声だった。


「あ、雪乃さん!」


 所狭しとガラクタ染みた物が詰め込まれた店の中で、雪乃に気づいてぱっと笑顔を浮かべたのは、昨日あのマンションで出会った、ヘアピンの女の子だった。

 確か、颯姫と呼ばれていた女の子。髪に挿し込まれた大きくてカラフルなヘアピンも、昨日とは色や組み合わせが違うものの、蒼衣の記憶にあるそのままだ。

 昨日はあの混乱状態だったので分からなかったが、よく見れば可愛らしい女の子だ。

 感情表現がそのまま表に現れたような笑顔が、このほこりっぽい店の中で映える。女の子は蒼衣にも目を向けると、笑顔で挨拶した。


「はじめまして!」


 え、と蒼衣は言葉に詰まった。会話こそしていないものの、二人は昨日会っていて、蒼衣も昨日と同じく制服を着ているので、特に見間違えようもなく思えたからだ。


「え? えーと…………はじめまして」

「……?」


 思わず戸惑いながらそう返した蒼衣を、女の子は少し不思議そうに見返す。しかしそれも一瞬のことで、すぐに店の奥の、並んだ棚の向こうに垣間見えるカウンターを指し示すと、「奥へどうぞ」と促した。

 それから女の子は、傍らの雪乃へ笑いかける。


「神狩屋さんが、雪乃さんにもお話があるそうです」

「……そう」


 雪乃は面倒臭そうに短く答え、それでも素直に、さっさと店の奥へ向かった。


「こっちです」

「あ……うん」


 女の子はにこやかに蒼衣を案内し、ごちゃごちゃと皿やら人形やらが陳列された棚の間をすり抜けるようにして、雪乃の背中を追いかけた。これも商品の一つだろうかと思ったほど骨董品のレジスターが置かれたカウンターに近づくと、その周辺は比較的整理され、ささやかな空間が作られていた。

 応接用なのか、喫茶店に置かれているような大きな丸テーブルと、それに合わせた五脚ほどの椅子が用意されている。そして、


「神狩屋さーん!」


 女の子が、カウンターの奥へ呼びかけた。店の奥からは、しばらく反応がなかったが、やがてばたばたと音がすると、慌てた様子の若い男性が、カウンターの奥にあった戸を開けて店へと姿を現した。


「神狩屋さん、遅いですよ!」

「やあ、ごめん、颯姫君。うっかり本を読むのに夢中になってしまった」


 奥から出てきたのは若いながらも髪に白髪の混じった、瘦せて眼鏡をかけ、シャツにベストという格好の、どこかとぼけたような印象をした二十代後半の男性だった。


「あ、あなたは……」


 蒼衣は思わず声を上げる。


「やあ、昨日は悪かったね。白野君」


 答えて男性は、微笑んだ。

 忘れもしない、昨日会ったばかりの男。彼こそが昨日病院の待合室で引き合わされ、蒼衣にあの〝事件〟についての説明をした、〈騎士団〉という集まりの世話役をしているという、鹿がりまさたかと名乗った男性だった。




 私たちの心の、深く深く、とても深く。

 もう『私』というモノすら分からなくなるほどのはるか深くに、神様がいます。

 神様は深みの寝所で、ずっと眠り続けています。

 神様はずっと、夢を見続けています。

 神様はあるとき、悪い夢を見ました。

 神様は全知なので、この世にある全ての恐怖をいちどに夢に見てしまいました。

 神様は全能なので、自分の見た悪夢を切り取って、寝所の外に捨ててしまいました。

 切り取られた悪夢は大きな泡になって、深みの寝所からゆっくりと上がっていきました。

 大きな泡は上へ上へと浮かびながら、二つに、四つに、八つにと分かれていきました。

 泡はいくつにも分かれ、やがて数え切れないほどの小さな泡になりました。

 そしてたくさんの泡は、遙かな深みから次々と浮かび上がってきます。

 私たちの、心へ向けて。

 神の見た、悪夢の泡が。



「……いいかい? これは君の見たモノを説明するに当たっての、一つの解釈と考えてもらっていい」


 昨日、蒼衣がタクシーによって連れて行かれた病院。


「この『詩』は一八○○年代中ほどにイギリスで書かれた、通称『マリシャス・テイル』。日本語にすると『悪意ある物語』と呼ばれている本の冒頭文なんだ」


 とっくに診療時間は過ぎているはずの病院で検診が行われた後、照明が半分落とされた待合室で、その鹿狩雅孝と名乗った眼鏡の男が語ったのは、そんな『詩』の物語だった。


「この『マリシャス・テイル』という本は、原題が『人に科せられし残酷なる運命と戦うべき騎士たちのために記す、深みより来たる大いなる泡の秘密、あるいは悪意ある物語』という非常に長い名前の自費出版本だ。内容はいま言ったような神の悪夢にまつわる幻想物語と、その不可避の災厄に対する人類への警告、そしてその恐るべき事実を書き残すという、自分の罪へのざんつづられている。

 この本は一八○○年代初めに生まれた、ジョン・デルタというイギリスの童話作家が書いたいわゆる〝奇書〟の類だ。別にこの内容を君が信じる必要はないよ。現に僕も、この本に対して、いくつかの点で異論を持っているくらいだからね。作者のジョン・デルタはこの本を書いた頃、自分が十二万二千七百八十一個の平行世界に同時存在しているという妄想を発症して失踪している。この十二万あまりの平行世界に関する詳細な覚書もあったらしいんだけど、友人たちが彼の失踪に気づいて自宅に踏み込んだときには、覚書と日記は暖炉の中で燃やされた状態で見つかって、十分の一も読めない状態だったらしい。

 ……まあ、それは余談だから関係ないんだけど、こういう人物の書いたものだから、君がみにして信じる必要はないってこと。でも信じる信じないということは置いておいて、この世界に存在する怪現象の正体について、これには一つの重要な答えが書かれているんだ。

 曰く────『この世界に存在する怪現象は、全て〈神の悪夢〉の欠片である』。

 この真偽はともかくとして、君が今日見たような怪現象の類を、僕らはこの神の悪夢の泡の物語になぞらえて〈ほう〉と呼んでいる。この神の悪夢の泡は、人間の意識に浮かび上がると急速にその人の持っている恐怖や悪意や狂気と混ざり合って、すぐに人間の小さな意識の器では収めきれなくなって、現実に溢れ出すと言われている。そして溢れ出した悪夢は現実世界を変質させて、悪夢を現実のものとして〈顕現〉させてしまう。

 君の見たモノの正体は、つまり〝それ〟だ。その溢れ出した悪夢は、身近にある、物体、生物、精神など、ありとあらゆるものを変質させて、この現実に悪夢の物語を作り上げる。内容は〈泡〉の大きさと、そのとき〈潜有者〉となった────つまり神の悪夢の〈泡〉が意識に浮かび上がってしまった人、その個人の抱える悪夢によって様々だ。君が見たものは、それに巻き込まれてしまった人が変質してしまった例の一つというわけだね。

 それで、僕らは、過去にそんな悪夢の起こした異常現象に、巻き込まれたことのある者が集まって、互いに心の傷をケアしたり、君のように新たに〈泡禍〉に巻き込まれた人を助けたりしているボランティアの集まりみたいなものなんだ。この〈泡禍〉による怪現象は、規模の大きなものになるとものすごく危険で、巻き込まれたら最後、関わった大半の人間が死んでしまうようなものも少なくない。しかもそういうものは後遺症もひどくて、生き残った人間の心に、傷と共に〈泡〉の欠片が残ることがある。そうなると────思い出してしまった時に、恐怖だけでなく、

 君の目の前で、雪乃君という黒い服を着た子が使って見せたのが〝それ〟だ。

 彼女の〝痛み〟は火に変わる。彼女がかつて遭遇してしまった、悪夢によって引き起こされた悲惨な事件が残した欠片だ。この欠片のことを、僕らは〈神の悪夢〉という大きな物語の一部という意味で〈だんしよう〉と呼んでいる。これは不発弾のように心の中に眠っていて、彼女のように訓練してもなお、そうでないならなおさら、いつ爆発して自分や周りの人間に〈泡禍〉を与えるか分からない、非常に危険な後遺症だ。

 ……つまりね、まとめて言うと、この世界に生きている人間の心は、常に神の悪夢が浮かび上がってくるという危険に晒されているんだ。

 心に悪夢の〈泡〉が浮かび上がってしまうと、その人を中心にして〈泡禍〉と呼ばれる常軌を逸した怪現象が起こる。その怪現象が巨大なものだった場合、巻き込まれた人間の多くは悲惨な運命を辿る。そして巻き込まれてしまった人間が生き残り、さらにひどい心の傷を負っていた場合、そのうちの一部の人間の心には、トラウマと共に後遺症として〈泡〉の欠片が残留することがある。

 この欠片が、〈断章〉だ。これを持って生き残ってしまった人間を僕らは〈保持者〉と呼んでいる。つまり君が会った雪乃君や、僕のことだ。僕らは自分の出遭ってしまったこの悲惨な現象から、人々を助け出そうと活動している。つまり今は、君を、君が見たあの現象から助けようと思っているわけだ。君はどういう形かはまだ判らないけれども、すでに〈泡〉に巻き込まれている。

 まあ、いきなりこんなことを言われて怪しんでるだろうけど、君が今日見てしまったモノを念頭に入れて、少し考えておいて欲しいんだ。すぐに信じる必要はない。でも、気をつけて欲しい。と言うのもね、君が巻き込まれた事件は、まだ解決していない。今この街では、『午後六時を告げる放送を聞きながら階段を降りると惨殺されるかもしれない』という、そんな悪夢の物語が出現しているんだよ……」


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刊行シリーズ

断章のグリム 完全版6 いばら姫の書影
断章のグリム 完全版5 なでしこの書影
断章のグリム 完全版4 金の卵をうむめんどりの書影
断章のグリム 完全版3 赤ずきんの書影
断章のグリム 完全版2 人魚姫の書影
断章のグリム 完全版1 灰かぶり/ヘンゼルとグレーテルの書影