断章のグリム 完全版1 灰かぶり/ヘンゼルとグレーテル
二章 傷を持った騎士 ③
原語で、〝
これが、僕らの集まりの歴史になる。君が不安を感じて、僕らを疑っているのも分かる。でも僕は、君に仲間になって欲しいと思ってる。僕たちなら、いつか君が抱えている爆弾が顕在化したとき、少しは助けになれると思うからね。
君の〈断章〉が現れた時に、どうすればリスクを抑えられるか、どうすれば制御しやすくなるのか、その方法を多少は教えることができる。なにせ百年以上にわたって、僕らの集まりは〈泡禍〉と〈断章〉に関するノウハウを蓄積しているわけだからね。だけども正直なところを言うと、〈泡禍〉も〈断章〉も物凄く不安定で危険なもので、今でも本当の意味では制御できていない。けれど何もないよりも遙かにマシだということは保証する。ものすごく後ろ向きな保証だけどね」
静かに言葉を重ねる、神狩屋。
「……でも、まあ、今日のところはこの辺にしておこうか」
そして神狩屋は、そこまで言うと自分を落ち着かせるように小さく息を吐いて、そう言って話を打ち切った。
「え……」
「もうだいぶ混乱させてしまっただろうからね。実は自覚のない〈保持者〉がそのまま見つかることは、かなり珍しいんだ。大抵は眠ってた〈断章〉が発現して、酷いことになってから、ようやく僕らが気づくんだよ。だからその前に見つかった君なら、理想的な形で助けられるかも知れないと思って、僕も少し焦ってしまっていた」
微笑む神狩屋。
「だから、今日はここで話はやめとく。君は緊急性もないしね。もう少しゆっくりと考えてみて欲しい」
「…………はい」
とりあえず頷く蒼衣。少しだけほっとした。まず、この不安な話が終わったことに。そして今までされた話を本気で信じているわけではないが、それでもやはり、自分に緊急性はないと言われたことに。
何にせよ、この目で見た以上〝現象〟の存在は信じざるを得ない。
それでも聞いているだけで頭がおかしくなりそうな話だ。それが終わり、蒼衣は息をついて肩の荷を降ろす。
「ああ、でも最後に一つ」
「!」
だが終わったと思った話が再開されて、蒼衣は再び緊張した。
「強いてお願いしたいことが一つだけあった。聞いてくれるかな?」
「な……何です?」
警戒して蒼衣は訊き返す。対する神狩屋は、
「雪乃君の友達になってくれないかな」
神狩屋は言った。
それを聞いて、蒼衣は「え?」と一瞬言葉を失い、これまで無関心そうに頰杖をついていた雪乃が、がばっ、と勢いよく顔を上げた。
「なっ……! 何言い出すのよ神狩屋さん!?」
この少女の動揺した声を、蒼衣はこのとき初めて聞いた。
「ふざけないで! そんなの関係ないでしょ!?」
怒っている。それは間違いないのだが、それよりも遙かに強く動揺が見てとれて、今までのこの少女の怒りが持っていた〝凄み〟が、どこかに
微妙に紅潮している頰が、色々な意味でこの少女に急に人間味を与えていた。
そんな雪乃の怒りの声に、神狩屋はわざとらしく困ったような、どこかとぼけたような表情で言う。
「ふざけてるつもりはないんだけどなぁ……」
「余計悪いわよ!」
「みんな雪乃君を心配してるよ? まだ高校生なのに、こんな〝活動〟にのめり込んで、普通の生活ができなくなるのは、僕らとしても本意じゃない」
「…………………………大きなお世話よ」
ようやく
「トラウマのせいで、〝狩り〟にのめり込まないと生きていけない人は他にもいるわ。私はそれと同じよ。放っておいて」
「うーん、だからこそ僕らも、無理に君を止めたりしてないし、できないんだけど……」
神狩屋は困ったように、曖昧に笑う。
「でも僕らは、基本的には〈泡禍〉の被害者も普通の生活ができるようになるということが願いであり、目標だからね。特に雪乃君はまだ若い。後戻りがきくかもしれないのに、君は普通の生活を拒否して〝活動〟にのめり込んでる。学校にも友達を作ってないみたいだし、みんな心配してるんだよ」
「だから、それが大きなお世話だって言ってるの」
雪乃は拒絶する。
「私は好きでやってるわ。〝普通〟なんかで、どうやって〈悪夢〉と戦うの?」
「それを言われると何も言えないんだけどね……」
「私は化け物になるの。戦うために。普通なんか要らない」
きっぱりと言い切る。神狩屋が小さく溜息をつく。
そして、その様子を見ていた蒼衣は、口を開いた。
「いいですよ。友達」
途端に、ばっ、と振り向いた雪乃に睨まれた。神狩屋も少し驚いたように蒼衣を見て、次に笑顔を浮かべた。
「本当かい?」
「ええ」
蒼衣は頷いた。人の言うことを拒否できない自分の性格のせいではなく、自分の意思でそう言っている自分に、蒼衣は自分自身で驚いていた。
今、自分はいつものように仕方なく承諾したのではなく、自分からそうしようと思った。この返答が自分の心に対して正しいことは、蒼衣は確信していた。神狩屋のお願いに、雪乃が動揺して怒り出し、はねつけたのを見た時に、蒼衣はそんな雪乃を、どうにも放っておけない気分になったのだ。
「迷惑だわ」
睨みつける雪乃。蒼衣は動じることなく、ちょっと困ったように笑いかけた。
「よろしく」
「……!」
途端に雪乃はぐっ、と何かを飲み込んだような表情になると、そのまま顔をしかめ、思い切りそっぽを向いた。
そうしていると颯姫が蒼衣のそばに立って、蒼衣に右手を差し出した。
「私もよろしくお願いします!」
「うん、よろしく」
一瞬躊躇ったあと小さな手を握って握手すると、颯姫は本当に嬉しそうに笑って、握った手を何度も上下に振った。
「白野さんの名前、メモしました。今度は忘れませんから」
「うん」
「忘れても、忘れません」
「う……うん」
蒼衣は複雑な思いで、頷く。
神狩屋は、そんな蒼衣たちの騒ぎを目を細めて見ていた。そして、蒼衣たちのやり取りが一段落すると、
「じゃあ白野君。今日はもう終わりにするけど、もしよければ最後にもう一人会って行ってくれるかい?」
そう言った。蒼衣は急な話にきょとんとなって、しかしそのまま流される形で、思わず首を縦に振った。
「あー……えーと、いいですけど……」
「そう、よかった。みんな普段からここにいるわけじゃないんだけど、僕と颯姫君と、もう一人ここに住んでる子がいるんだ」
「子? 子供ですか?」
「うん、女の子がね。是非会って行って欲しい」
神狩屋は言うと、手にしたモップを颯姫に手渡した。
そして神狩屋は、カウンターの奥にある戸を開けて、昔の店舗にありがちな住居へと続いているのだろうその奥へと、蒼衣を手招きして促した。
5
その幼い少女は、床に散らかった沢山の本の中に、ぽつんと座っていた。
規模こそ小ぢんまりしているものの、洋館と呼んでもいい古びた趣のある廊下を案内されたその部屋は、四方のどこにも窓がなく、壁という壁が本棚で埋められた、いわゆる『書庫』になっていた。
隙間なく壁を埋める、蒼衣の家にあるような安物ではない、重厚な色合いの木製の本棚。
そして一般家庭ではまず見ない、複雑な柄をした分厚い
「紹介するよ。
そう言って神狩屋が紹介する。だが女の子はそんな神狩屋の声が耳に入っていないかのように、それどころか部屋に入って来た蒼衣たちに気づいていないかのように、大きなウサギのぬいぐるみを抱きしめて、床の上に広げた絵本にただただ静かに見入っていた。あどけない横顔に、長い髪。床に大きく広がったスカート。それらの作り出す光景は、一枚の写真の題材としても十分に通用する。
だが────
「見ての通り、彼女は〈泡禍〉のせいで心が壊れてる」
「………………」
神狩屋が言う通り、絵本を見つめる少女の横顔からは、表情や反応が欠落していた。
無心に絵本を見つめる表情は、見ているものを楽しんでいる風にも、またその他の何らかの感情を感じている風にも、とてもではないが見えなかった。
時おり絵本のページをめくる動作がなければ、等身大の人形かと見誤りそうな少女。その浮世離れした服装とも相まって、少女の存在は、一種異様な光景を、この部屋の中に作り出している。
「……彼女には、両親も親類もいなくてね」
反応に困って何も言えない蒼衣の前で、神狩屋は少女の隣にしゃがみ、その小さな頭にそっと手を置いた。
「彼女の血縁と呼べる人間は、残らず〈悪夢〉が、彼女の心と共に喰らい尽くしてしまったんだ。彼女は三年前、この市の郊外にあった彼女の自宅で救出された。僕らが〈泡禍〉の発生に気づいて、その
「…………」
神狩屋は説明しながら少女の髪を手で
「彼女は自分からはほとんど話もしないし、食事とか以外の時は、こうやって絵本や童話を眺めて過ごしている。本当は相応の病院か施設に入るのが正しい状態なんだろうけど、〈断章〉を持っているから、危険過ぎて普通の施設には入れられない状態だ」
穏やかだが抑揚を殺した、神狩屋の声。
「
静かに、言葉は続く。そしてそこまで言ったところで神狩屋は、はっと顔を上げて、申し訳なさそうに言った。
「……ああっと、ごめん。この話はやめるんだったね。そうするつもりはなかったんだけれども、つい」
「いえ……」
困ったような笑いを浮かべる神狩屋に、蒼衣はそれだけ答えた。
それ以外に、答えようがなかったからだ。当の少女は、頭を
懐中時計を持ったアリスのウサギが、少女と同じ無機質な瞳で、絵本を見下ろしている。
神狩屋が、立ち上がる。
「まあ、つまり僕が何を言いたいのかというとね……もし君がよければ、雪乃君のついででいいから、この子も時々構ってあげて欲しい」
蒼衣を見つめて、神狩屋は言った。
「この子を…………ですか?」
思わず口から困惑が漏れた。話を聞く限り、そしてこうして見る限り、残念ながら素人の蒼衣には、彼女に対してできそうなことは何もなかった。
「そう。この子はほとんど外界から自分を閉ざしてしまっているけど、それでも全くというわけじゃないんだ」
だが、神狩屋は答えて言った。
「これでも最初の頃に比べれば、回復してる。出せばちゃんと自分で食事をするし、日に何度かは僕らを認識してくれる。だから少しずつ彼女にとって刺激になる、外の世界の知り合いを増やしてるんだ。でも事情が事情だからね。誰でもいいってわけじゃないから、困っていたんだよ。できればで構わないから、雪乃君のついでに時々見に来てあげてくれないかな。僕の方ばかり頼みごとをして、悪いんだけど」
「はぁ……まあ、それくらいなら……」
「ありがとう」
神狩屋は微笑んだ。
「たぶん君は、僕らの言ってることと、それから活動について特に疑いを持ってると思う」
そして言う。
「だから君がその気になるまでは、できるだけそれらに関わらないでいてくれていいよ。いつか君に何かがあったときには、もちろん僕らは君の助けになろう。でもそれまでは、ただの知り合いでいい」
右手を差し出す神狩屋。
「よければ、店の方でもサービスするけど……高校生が欲しがるようなものはあんまりないかな。古物商じゃ」
「い、いえ……」
先ほどの颯姫とは違う落ち着いた握手を交わす。意味もなく恐縮する蒼衣。押されれば遠慮なく引けるのだが、逆にこうして引かれると、蒼衣は弱かった。相手の譲歩に応えなければいけない気になってくる。いつか騙される気がする。「まずいなあ」と内心で思いながら、蒼衣は頭を下げている。
そんな視界の端で、床に座る少女が不意に顔を上げた。絵本を読み終わったらしく、先ほどまで開いていた一冊を脇の山の上に積んで、ふわりと床から立ち上がると、本棚の前に立ってたどたどしい動作で別の本を探し始めた。
本棚の上の方の段に、手を伸ばす。飾りのついた靴下に包まれた脚を爪先立ちにするが、天井近くまである高い本棚の上の段には届かない。
一生懸命伸ばされた指の先にある本を、蒼衣はひょいと棚から引き出した。
蒼衣の手に移った、その重厚な童話集を少女は無表情に目で追って────そしてそのまま釣られるように向き合った時、蒼衣はその本を少女の前に差し出した。
「はい」
「………………」
無表情ながらも、きょとんとしたような様子の目が、本と蒼衣を見上げた。少女はしばらくそのまま動かず、本を間違えたかと蒼衣が不安になるくらいの時間そうしていたが、やがておずおずと手を伸ばして、本を受け取った。



