断章のグリム 完全版1 灰かぶり/ヘンゼルとグレーテル
三章 灰かぶりの欠片 ③
3
再び、店のテーブルを囲む一同。
「……こいつがですか?」
雪乃は言いながら、じろりと蒼衣に目を向けた。
少しテーブルから離れて座っている蒼衣は、さすがに顔色が悪い。昨日今日でこれだけのことが起これば当然かも知れないが、それでも雪乃は同情などはしなかった。
「そう。〈グランギニョルの索引ひき〉の予言に、白野君も引っかかった」
夢見子を
「雪乃君に出た予言と同じだよ。『灰かぶり』だ」
「……!?」
背後の棚に額をつけ、突っ伏すようにしていた蒼衣が、それを聞いて驚いた様子で、顔を雪乃の方に向ける。
「一週間くらい前に、雪乃君にも同じ予言が出たんだよ」
「え……」
「君たちがあのマンションで出会ったのは偶然かも知れないが、ここから先は必然ということになるね」
「……」
蒼衣が雪乃を見る。雪乃は眉を寄せて、そっぽを向く。
「まあ予言による運命を、必然と呼ぶならば、だけど。いずれにせよ白野君と雪乃君は、間違いなくこの先に、同じ〈泡禍〉に巻き込まれることになるね。白野君には悪いけど、白野君のためにも僕らに協力してもらわなきゃいけない。〈グランギニョルの索引ひき〉の予言は、まだ一度も外したことがないからね」
「……そうね」
相変わらず話の長い神狩屋に眉を寄せながら、一応雪乃は頷く。
三年に満たない雪乃の経験の中では、夢見子の予言が出たのは数えるほどだ。だがそのいずれの場合も〈泡禍〉は確かに起こり、起こった出来事を後から繫ぎ合わせると、全て予言が指し示した『童話』の内容を
いずれ必ず『灰かぶり』は起こる。いや、それはもう、すでに起こっている。
昨日の〝眼球を抉り出した女性〟も、その一環だ。それは確認済みだ。そんな話を、昨日の夜に神狩屋としたばかりだ。
雪乃は蒼衣を見る。
これから異常事件の渦中に放り込まれるというのに、蒼衣は果たしてそれを理解しているのか、緊張感のない表情で雪乃や神狩屋を見ている。
「……私としては、こいつが原因の〈潜有者〉である可能性も捨ててないんだけど」
「雪乃君……」
小さな腹立ち交じりに言う雪乃に、神狩屋は困った声で言った。
「君のお姉さんが、昨日のあの〈泡禍〉の中で、白野君は違うと見立てたんだろう?」
「どうだか。姉さんの言うことは信用できないわ」
「……」
疑われている当人の蒼衣は話の内容について行けない様子で、きょとんとした表情で、雪乃を見返していた。
その様子が、ますます腹立たしかった。
この蒼衣という男の言動は、どうにも雪乃の調子を狂わせる。
そういう意味では雪乃の生き方に干渉してくる神狩屋も同じだったが、事情を承知している神狩屋と違って、何も知らない蒼衣には余計に腹が立った。それに雪乃は、神狩屋がその内に抱えている、おそらく日本中探しても彼ほど〈泡禍〉を憎悪している人間はいないと言われているほどの闇を知っているし、また〈断章〉という闇を共有しているため、神狩屋は決してある程度以上は雪乃に踏み込んで来ないのだ。
だが蒼衣は違った。
雪乃を安穏とした日常に触れさせようとする、その無自覚な顔。
安穏に生きるのは構わない。ただ雪乃に関わりさえしなければ。雪乃にとって〝日常〟というものは、とっくに終わってしまった、忌むべきものなのだ。
そう、終わったのだ。
元々不安定だった精神に〈泡禍〉が浮かんだ姉が、父と母を惨殺し、その三人が中にいるまま明々と燃え上がる我が家を見上げた、三年前のあの時に。
それからは、雪乃はその身を、悪夢との闘争に
家族も生まれ育った家も失い、この世界は悪夢と恐怖に侵略されているという、その世界の真実を知ってしまったその時から、雪乃は戦いを日常とすることを選んだのだ。
それゆえ雪乃にとっては、普通の暮らしや平穏な生活は、薄っぺらな
もう燃えてなくなった。紙のように。そしてこの世界はどこに逃げたとても、すぐに燃える紙のように、安全な場所など存在しない。
経験したものが違う。見えているものが違う。住む世界が違う。
だから触れられると気に障る。調子が狂う。
「…………」
雪乃は眉を寄せて、蒼衣を睨む。
その様子を見ながら、神狩屋が小さく溜息をついた。
「……まあ、その話は置いておくとして」
そして神狩屋は、この件で何かを言うのを諦めたらしく、元々そのつもりであったろう話題に話を変えた。
「今は『灰かぶり』の問題だ。白野君にも知ってもらおうと思う。どうかな?」
「…………」
それ自体には異論はないので、雪乃は黙った。
神狩屋は言った。
「ええとね、白野君。いま僕や雪乃君は、『午後六時の放送を聞きながら階段を降りた者は惨殺される』という、〈泡禍〉の中心を探しているんだ」
「……それって、あのマンションであったやつのことですよね」
「うん、そう。その通り。それでね、これは〈グランギニョルの索引ひき〉の予言を受けた雪乃君が、五日前に遭遇した〈泡禍〉で────おそらくグリム童話にある、『灰かぶり』のメタファーになっているんだ」
「……?」
分からない表情をする蒼衣。神狩屋は続ける。
「えーとね、この『灰かぶり』というのは、一般には『シンデレラ』という名前で知られてる話だね。白野君も『シンデレラ』は知ってるよね? 僕らも君を守ろうと思うけど、残念ながら毎日いつでも、というわけにはいかない。だから一人でいる時には、『シンデレラ』に出てくるものや、暗示する状況は、避けるようにして欲しいんだ」
危ないものには近寄るな。おかしいと思ったら逃げろ。それは最初の頃に雪乃もされた、多少マシではあるだろうが、悪夢の〈泡〉が持つ神の強制力の前にはほとんど無意味な気休めの注意だ。
「シンデレラ、ですか?」
当然、蒼衣は当惑したように言う。
「シンデレラに出てくるものと言うと……ガラスの靴とか、かぼちゃの馬車とか?」
「うん、まあそんな感じだけど、そんなものは避けるまでもなく見当たらないよね? そうだね、ええと、難しいと思うけど、この場合は〝暗喩〟で考えて欲しい。連想ゲームだ。これはいわゆるオカルトの象徴学とか、シンボル学も密接に関係してくる話になる」
蒼衣の疑問に、神狩屋はそう答えて言う。
「いいかい。民話や童話というのは、オカルト的に見ると、神話に次いで遙か昔から伝わる象徴形態の塊なんだ。前に言った『元型』論もそうだけど、人間の文化と無意識に、童話は極めて密接に関係しているんだ。オカルトは人の無意識を操作し、無意識のエネルギーを用いる技術という側面があるらしいんだけど、その魔術などのオカルティズムの実践者は、神話や民話を儀式に取り入れたりする。象徴を利用して、本来は自分では意識することも操作することもできない無意識に働きかけて、自分の望むように変容させるんだ。
だからオカルティストは象徴を勉強する。で、童話の形をした〈泡禍〉というのは、一説によれば、それとは逆の現象だ。無意識からの象徴が、人間の意識と、それからこの現実を強制的に変容させてしまう。だから予言に出た童話を分析すれば、どんなことが起こるか、どんな状況で起こるかの手がかりになる」
「……」
蒼衣はいつの間にか椅子の上の膝に手を置いて、神妙に話を聞いていた。
「現に雪乃君が五日前から二度遭遇した────そのうち一度は君も遭遇した〈泡禍〉は、明らかに『シンデレラ』のモチーフを
「…………え?」
しかし、そこに話が及ぶと、少し考えた後、蒼衣の眉が訝しそうに寄った。
「……シンデレラ、ですか? 〝あれ〟が?」
「うん」
頷く神狩屋。この展開を雪乃は知っていた。昨日ちょうど、その同じ話を神狩屋としたばかりなのだ。
そのとき自分も、蒼衣と同じような反応をした。
それを思い出し、雪乃は何となく面白くない思いになって、退屈げに視線を外した。
蒼衣は言う。
「あのマンションの〝あれ〟が、シンデレラ?」
神狩屋は、再度肯定した。
「そうだよ。君の経験した異常現象は、明らかに『シンデレラ』がモチーフだ」
そして、説明する。
「君が見たあの時も、その前に雪乃君が遭遇した〈泡禍〉も、どちらも夕方六時を告げる放送を聞きながら階段を降りていた時に、一度目は突如発狂した鳥によって、そして二度目は人間によって、被害者が目を抉り出されるという形で起こっている。
この状況のセッティングに、何か思うところはないかい? シンデレラは舞踏会で、十二時の鐘を聞きながらお城の階段を駆け下りた。そしてシンデレラ自身ではないけれども、目を刳り抜かれるシーンもグリムのシンデレラにはある」
「……目?」
蒼衣が訝しげに言う。自分の知っているシンデレラの記憶を掘り返しているのだろう。それも昨日、雪乃もやった。ますます面白くなかった。
「ああ、君もグリムの『灰かぶり』は知らないみたいだね」
その蒼衣の反応に、神狩屋は頷く。
そして言う。
「今は子供向けに改変された『シンデレラ』が有名だからね。一応言っておくと、グリム童話の『灰かぶり』には、ガラスの靴も、カボチャの馬車も出てこないよ」
「……え?」
驚く蒼衣。
「ガラスの靴やカボチャの馬車は、グリムの童話集より昔に、フランスのシャルル・ペローという人が書いた灰かぶり物語、『サンドリヨンあるいは小さなガラスの靴』に出てくる道具立てなんだ。
対してグリム童話を書いた、兄ヤーコプ・グリムと弟ヴィルヘルム・グリムはドイツ人。この二人は色々な人から民話を聞き集めて、それを記録するという形で、かの有名な童話集を
ある金持ちの男の妻が、病気になってこの世を去った。残された一人娘は毎日お母さんのお墓に行って泣き、お母さんの最期の言いつけ通り、いつでも気立てを良くしていた。男は春になって、新しい妻を迎えた。新しい妻には二人の連れ子がいて、その二人は美しいのは顔ばかりでとても心は醜いものだった。
連れ子とその母親は娘に粗末な服を着せ、毎日つらい仕事をさせた。そのうえ連れ子たちはいろいろなことを考えて、娘をいじめた。二人が豆を灰の中にぶちまけるので、娘は朝から晩まで灰の中に座って豆を拾い出さなければいけなかった。そして夜は灰の中で眠らなければいけなかったので、いつも灰だらけになっていた娘のことを、世間の人は皆『
灰かぶりはある時、おみやげは何がいいかと訊ねる父に小枝をねだって、そのハシバミの小枝をお母さんのお墓に挿した。小枝はやがて大きくなって、立派な大木になった。灰かぶりは毎日、この木の下でお祈りをした。するとそのうち、白い小鳥が、この木にやって来るようになって、この小鳥は灰かぶりが何か欲しいものを口に出すと、何でも望み通りのものを投げ落としてくれた。
ある時、国の王様が王子の花嫁を探すために、国中の美しい娘を招待して三日間の
灰かぶりは庭に出て、声を張り上げて言った
「家ばと、山ばと、小鳥さん。いい豆は、お鍋の中へ。悪いのは、おなかの中へ」
すると窓からたくさんの鳩や小鳥が入ってきて、灰の中から瞬く間に豆をつつき出し、良い豆を残らず鍋の中に入れて、良くない豆を食べてしまった。それで灰かぶりは、できあがった仕事を継母のところに持っていったけれども、継母は「何をしたっておまえは連れて行かれないよ」と言って、灰かぶりを置いてお城へ行ってしまった。
家に誰もいなくなると、灰かぶりはお母さんのお墓のハシバミの木の下に行って叫んだ。
「はしばみさん。こがね、しろがね、私に落としてくださいな」
そうすると白い鳥が現れ、金糸と銀糸で織られた立派な着物を投げ落とした。灰かぶりはそれを身に着けて、お城へ向かった。



