断章のグリム 完全版1 灰かぶり/ヘンゼルとグレーテル
三章 灰かぶりの欠片 ④
王子は美しい灰かぶりをダンスの相手に選んだ。継母たちはその立派な着物を着た娘のことを、灰かぶりだとは気づかなかった。日が暮れると、灰かぶりは引き止める王子からすりぬけて家に戻り、ハシバミの木に着物を返した。王子も誰も、その美しい娘が何者なのか分からなかった。灰かぶりは次の日も、前の日よりもさらに立派な着物を小鳥に落としてもらって、お城の宴に現れて、王子は再び灰かぶりをダンスの相手に選び、日が暮れるとまた灰かぶりは逃げてしまった。
そして三日目の、宴の最後の日、王子は一計を案じてお城の階段にタールを塗らせた。この日も宴に現れ、同じように逃げ出した灰かぶりが階段を駆け下りた時、履いていた金の靴が片方くっついてしまい、置き去りになった。
王子はその小さな靴を拾い上げて言った。
「この靴を履ける娘を花嫁にする」
それを聞いて連れ子の二人は喜んだ。二人は小さな美しい足を持っていたから。
まずは姉が靴を試した。しかし爪先が入らなかった。すると継母は包丁を持ってきて、「指なんか切っておしまい。お
しかし途中でお墓のわきを通った時、ハシバミの木に二羽の鳩がとまって言った。
「ちょっと見てごらん。靴に血がたまってる。ほんとの花嫁はまだ家にいる」
王子はそれを聞いて、娘を家に帰した。次に妹が靴を試したが、今度はかかとが入らなかった。継母はまた包丁を持ってきて、娘はかかとを切り落として靴に足を押し込み、痛みをこらえて王子のところに行った。王子が娘を連れて帰ろうとした時、またハシバミの鳩が同じことを言い、ばれて家に帰された。
そしてとうとう灰かぶりが呼び出され、靴を試した。灰かぶりの足は、もちろん靴にぴったりと収まった。王子は立ち上がった灰かぶりの姿を見ると、これこそがあの美しい娘だと気がついた。継母と連れ子たちは真っ青になって怒ったが、王子は構わずに、灰かぶりをお城へ連れて帰った。
ハシバミの木を通りかかると、二羽の鳩が言った。
「ちょっと見てごらん。靴に血なんかたまってない。ほんとの花嫁を連れて行く」
そして飛び立って、灰かぶりの両肩にとまった。
いよいよ王子との婚礼が行われることになると、連れ子の二人がやって来て、灰かぶりにおべっかを使って取り入ろうとした。花嫁が教会に行く時、姉は右に、妹が左に付き添うと、両肩の鳩が二人から片方の目玉をつつき出した。式が済んだ帰り道には姉が左に、妹が右に付き添うと、二羽の鳩はめいめいからもう一つの目玉をつつき出し、二人の連れ子は一生涯目が見えなくなってしまった。
……これが、グリム童話の『灰かぶり』の筋立てだ。全然違うだろう? 実は一般に絵本などでグリム童話として知られている『シンデレラ』は、ペロー版である『サンドリヨン』を元にした話なんだ。サンドリヨンも、意味はアッシェンブッテルと同じ〝灰かぶり娘〟。シンデレラも英語で、ほぼ同じ意味だ。
ただ、これはグリムが間違っているとか、ペローが正しいとか、その逆だったりとかいう話じゃない。どちらも同じ『灰かぶり』物語なんだ。これらは類話といって、世界中に似た筋立ての話が存在してる物語だ。たとえば中国にも『
……例えばシンデレラでは、魔法使いがネズミを馬に、カボチャを馬車に変えてシンデレラを舞踏会に運ぶよね? これを象徴的に解釈すると、ネズミは疫病を媒介する死の象徴で、カボチャは愚鈍の象徴だ。だとすると、シンデレラは立派な馬に引かれた馬車に乗っているはずが、これは魔法によるまやかしで、実は死に引き回される愚か者であるという解釈も成り立つわけだ。まあ、これはあくまでも一例に過ぎないわけだけども」
「へえ……」
神狩屋の話に、感心する蒼衣。こういう話には興味があるらしい。少しテーブルに身を乗り出して言う。
「面白いですね」
「うん、僕もそう思う」
蒼衣の言葉に、嬉しそうに笑って頷く神狩屋。神狩屋は昔大学でそういったものを学んでいたらしく、シンボル学や民俗学、オカルトなどに造詣があった。
いつだったか雪乃にも同じような話をしたが、反応の薄い、実際に興味もなかった雪乃の時とは違って、ここで話している神狩屋は少し楽しそうだ。良い生徒を見つけた気分なのかもしれない。にこにこ笑っていたが、ここでその笑顔に少し影が差した。
「……まあ、これが人の生き死にに関わらなければ、もっと楽しいんだけどね」
「あ……」
それを聞いて、蒼衣の表情が少し気まずそうに曇った。
「興味本位で楽しんじゃって、すいません……」
「あ、いや、気にしないで。それよりも、話の続きをしても大丈夫かい?」
「あ……えーと、はい」
「えーと、どこまで話したかな。つまりこんな感じで象徴を解釈して分解してゆくと、どんな悪夢が〈顕現〉するのかを予測する手がかりにできるかもしれないという、そういう話をしてたわけだ。本当は個人の悪夢とも混じり合うから、そのままの解釈はできないんだけど、そのうち法則性が見えてきたら、誰のどんな悪夢なのか、どんな時に何が起こるのかといった予想ができて、対策しやすくなるかもしれないし、また君もそういう場所や状況に近づかなければ被害にも遭いにくくなるかもしれないというわけ。
いま分かっているのは、〝午後六時の放送が鳴っている時に階段を降りてはいけない〟というものだ。これは明らかに、シンデレラの魔法が解けてしまう『十二時の鐘』のメタファーだろう。『鐘』はそのまま時間の境界を告げるものでもあるけど、他にも鐘の音は死者の霊魂を呼び出す道具として、降霊術や召喚魔術にも使われる。また鐘の象徴するものには、さっきとは全く逆の『神聖性』があって、鐘の音は魔を
そんな神狩屋の説明に、蒼衣が口を挟む。
「あ、じゃあ……ひょっとするとシンデレラにかけられた魔法も、鐘の音が力を打ち払ったから消えたかもしれないとか、そんな解釈もできるんですか?」
「ああ、なるほど」
神狩屋の眼鏡の奥の目が、心底嬉しそうに細められた。
「そんな解釈もできるね。面白い考え方だ」
「あ、こういう考え方で大丈夫なんですね」
「うん、いいと思うよ」
何となく
「……じゃあ、何でガラスの靴は残ったわけ?」
「え?」
「それならガラスの靴も消えるはずでしょう? 夜十二時には魔法が消えるような良くない力があって、それがお城の中に響いた鐘の音で打ち消されて靴だけ残ったとかいう解釈にしないと、靴の理屈が通らないわよ?」
「あー……」
雪乃の指摘に、蒼衣が残念そうな表情をした。そんな蒼衣を見て、雪乃は少しだけだが
「なるほど、それもいい解釈だね。雪乃君」
「……っ」
嬉しそうに話しかけられて、今度は雪乃の方が何かを飲み込んでしまったような表情をする羽目になった。言うんじゃなかった。神狩屋はこうした思考実験を好んでするが、雪乃の知る限り〈泡禍〉がまともに予想できたためしはない。
「……馬鹿馬鹿しい」
雪乃は呟く。
「今のは話の穴をつついただけよ。今回の〈泡禍〉には靴なんか出てきてないじゃない。無意味だわ」
「いや、そのうち靴に関わるものに発展するかもしれないし、あるいはもう起こっている事象が、靴に関わるメタファーかも知れないよ。そうしたら雪乃君の分析も、重要な手がかりになるかもしれない」
「…………」
臆面もなく言う神狩屋。よほど雪乃が話題に参加したことが嬉しかったらしく、この神狩屋の先生気質というか、こういうところが雪乃は苦手だった。
「あ、じゃあ……」
蒼衣が、口を開く。
「それなら靴も、何かの象徴ですか?」
「うん、『靴』も象徴的には、非常に重要なものだね」
雪乃は解放されたが、話は終わらせられなかった。神狩屋はそんな突発的な問いにも、すらすらと答えて言った。
「『シンデレラ』では王子が花嫁の
ちなみにそれの延長線上の概念とも言えるけど、靴には〝死〟の象徴の意味もある。死後の世界という境界の向こうへ旅立つ意味で、西洋の葬送儀式で靴を遺体のそばに置いたり、日本でも死出の旅装束として
「境界、ですか……」
「履物は歩くためのものだから、そのまま旅の意味でもあるしね。しかし〝境界〟の意味で取れば、さっき言った時間の境界を告げる『鐘』とも繫がる」
頷く神狩屋。蒼衣も頷き、二人で考え深げに黙りこむ。
「…………」
それを横目に、雪乃は不愉快げに、テーブルに頰杖をついた。学者肌というかオタク気質というか、ついていけない。うんざりしながら隣の颯姫に目をやると、考察に夢中の二人を見ながら、何が楽しいのかにこにこしている。
「…………楽しい? 颯姫ちゃん」
「え? 何がですか?」
笑顔で雪乃を見て、首を傾げる颯姫。別に喜んで話を聞いていたわけではなくて、特に何も考えていなかったらしい。その笑顔を見て、雪乃は、はあー、と溜息をついた。何だか急に馬鹿らしくなった。
雪乃は言った。
「お楽しみのところ悪いんだけど」
ずっと気づいていたが、わざわざ言わなかったこと。
「時間は大丈夫?」
「え?」
「あ」
その雪乃の言葉を聞いて、考え事に夢中になっていた男二人は慌てて顔を上げて、カウンターの奥にかかっている大きなアンティーク時計に目を向けた。
「うわ、もう七時!?」
「あ、これはいけない。予想外のことが色々あって、ずいぶん引き止めてしまった」
蒼衣が驚き、神狩屋が椅子から立ち上がった。急に店の中が慌しくなった。そんな気はしていたが、完全に話に夢中になって、時間を忘れていたらしい。
「とりあえず、タクシーを呼ぶから、家の近くまで送らせよう」
神狩屋は、蒼衣に言った。
「あ、はい……」
「君のことについてはこれから考えてみるから、君もくれぐれも気をつけて」
言うと、神狩屋はカウンターに向かった。
そうして埃っぽいコルクボードに張られたメモから電話番号を見繕うと、それを指でなぞりながら、電話機に手を伸ばした。そしていまどき珍しいダイヤル式の黒電話から、その重くて大きい受話器を、ちん、という小さなベルの音と共に取り上げて、ダイヤルでタクシー会社の番号を回し始めた。



