断章のグリム 完全版1 灰かぶり/ヘンゼルとグレーテル

四章 魔女と魔女の死 ③

 葉耶は呪った。周囲の人間を、周囲の世界を。そして、それによって誰にも愛されない自分を、間接的に彼女は呪っていたのだ。

 誰かを、あるいは誰でもないものを呪う儀式があった。

 何らかの力を、葉耶へと集めようとする儀式があった。

 効果のあった儀式もあれば、ない儀式もあった。そんな記憶がある。それらの、おまじない遊びと呼ぶにはあまりにも陰惨な〝ごっこ遊び〟を通じて、蒼衣と葉耶はたった二人、何か悲惨な卵を温める鳥のように、共有した目に見えない何かを醸成しながら、ずっとずっと過ごしていたのだ。


「蒼衣ちゃんだけは、わたしの味方だよね」

「うん……」


 二人きりで、そんなやり取りを何度繰り返しただろう。

 今にして思えばカルト染みていたその関係。しかし当時の蒼衣は、自分の知らないことを知り、自分の考えもしないことを言う葉耶のことを、本当に尊敬していて、そして蒼衣を支配しながら蒼衣に縋るこの少女のことが、本当に好きだった。

 これが多分、蒼衣の初恋なのだと思う。

 キスしたこともあった。だから確証はないけれども、蒼衣の一方通行の好意ではなく、葉耶にとっても同じだったのではないだろうかと、今でも思っている。

 好意を差し引いても、葉耶との遊びはがんがらめで窮屈だった。だが蒼衣のことを単なる自由になる玩具と思っていたのではなくて、彼女なりの好意がそうさせたのだと、蒼衣は信じている。

 幼く歪で、しかし幸せだった二人の関係は、二人が小学校に上がっても続いた。

 だが、この関係は蒼衣が成長し、小学校低学年を過ぎた辺りに、蒼衣が社会性を身につけ始めた頃から、徐々にかげりが差し始めた。

 当然の理由だ。蒼衣は学校に行くことで、他の友達や学校での責任と徐々に共存し始め、対する葉耶はそれらの全てを拒否し、蒼衣と二人だけでいようとし続けたのだ。さらに蒼衣も学校で普通の友達との関係を深めるにつれて、葉耶の言う異常な世界観を、そのまま異常なものとして認識するようになった。

 葉耶のことは変わらず好きだったが、しかし蒼衣はもう、葉耶と同じ閉じた世界は共有できなくなっていた。葉耶の一面ではあまりにも正しく、しかし他の全てで間違っている認識を蒼衣は正そうとし、それゆえに二人は徐々に、言い争いをするようになった。

 蒼衣は自分が生きている、人として生きる以上は、必ずそこにいなければならない普通の世界に、葉耶にも出てきて欲しかった。

 彼女と一緒に、普通の生活をしたかった。

 蒼衣は粘り強く葉耶を説得しようとしたが、葉耶はそれを裏切りと認識した。そして、やがて破局が来た。忘れもしない十歳の時、頑なな葉耶の態度と、それから蒼衣の日常への悪し様な言いように、とうとう蒼衣の忍耐が底をついて、葉耶へと拒絶の言葉を投げつけて、倉庫から立ち去ったのだ。

 その辺りの記憶は、逆上していたせいか曖昧だ。

 そして葉耶は、それきり蒼衣の前から姿を消した。

 いや、蒼衣の前からだけではない。そのまま彼女は行方不明となり、大騒ぎになった。そしてとうとう葉耶は見つかることなく時が過ぎ、彼女の家族もこの町を離れ、全ては過去のこととなってしまった。

 葉耶は、それっきり。

 蒼衣のせいだ。子供の頃の、最悪に苦しい思い出。

 まだ幼い子供だった蒼衣には、選択の余地も、選択する能力もなかった。きっとあの時に耐えていたとしても、ほどなく同じことになったはずだが、それでも後悔していた。思わざるを得なかった。


 もっと別の説得をすれば。

 もっと蒼衣に忍耐があれば。


 あのとき葉耶を見捨てなければ────きっと葉耶は、いなくなったりしなかった。


 そしてきっと、それからだ。蒼衣がリストカットをするようなタイプの女の子に、変な義務感のようなものを感じるようになったのは。なんだか放って置けない気分になるし、見かければ目で追ってしまう。だが今までは、無意識に考えないようにしていたのか、この趣味については自分でも変だと思いつつも、漠然とした認識だった。

 それが今、はっきりした。

 蒼衣はこの時槻雪乃という少女に────かつて救ってあげられなかった、幼馴染の少女の面影を重ねて見ていたのだ。


「…………」

「白野さん」


 そんな物思いに沈んでいた蒼衣を、不意に颯姫の声が呼んだ。


「え……あ……ごめん。考え事してた。どうしたの?」

「あの」


 慌てて蒼衣は頰杖を外し、隣の颯姫に答えた。颯姫は顔を雪乃の方へ向ける。見ればいつの間にか雪乃が携帯を片手に、蒼衣の方を見ていた。

 その顔には普段の不機嫌とは別の、厳しい表情。

 それを見て、蒼衣はすぐに察する。


「あ、もう出るんだ」

「ええ」


 この数日の付き合いで蒼衣が見た雪乃の表情は、ほとんど二種類だ。普段の不機嫌と、それからもう一つ、〈騎士団〉の活動に関わる時の、この厳しい真剣な表情。

 蒼衣たちはここに、〈泡禍〉の捜索にやって来ている。

 颯姫の食事も終わった。となれば、いよいよというわけだ。


「探すんだよね。この辺りを」


 微かな緊張と共に、蒼衣は言った。二人がうろつけば、〝予言〟があった以上、必ずそのうち〈泡禍〉に出くわす。


「ええ、どこを探すかも決まったわ」


 雪乃は答えた。


「そうなんだ。どこを?」

「それなんだけど、さっき神狩屋さんから電話があったの」


 片手の携帯。言いながら蒼衣を見る雪乃の目に、微かに蒼衣を品定めするような、微妙な色が混じる。


「電話?」

「一昨日のマンションの〝女性〟の、身元が分かったそうよ」


 雪乃は言った。


「あの〝目を刳り抜かれた女性〟の名前は、くろいそ夏恵。あのマンションに住んでる、杜塚眞衣子という典嶺の一年生と、関係だそうよ。……知ってるわよね?」

「!?」




 学校を休んで家で母の世話をしていたこの日、夕刻に黒磯の伯母から電話があった。


『眞衣ちゃん……夏恵が帰って来ないの。心当たりない?』

「え……!?」


 その伯母の言葉に、杜塚眞衣子は呆然と声を上げた。

 昨日約束していたのに、母親の世話に来てくれなかった夏恵。あれから携帯にかけても繫がらず、だから納得できなかったものの、自分との言い争いが原因で怒らせてしまったのだと思うようにして、ようやくそう信じられるようになってきたところだった。


『ねえ……うちの夏恵、そっちに行ってない?』

「え……」


 伯母の言葉に、一瞬口ごもる眞衣子。

 というのも黒磯の伯母夫婦も、他の親戚と同じく眞衣子の母親を嫌っていて、夏恵が世話をしに来てくれるというのも、伯母たちには内緒の話だったからだ。

 そんな話をすれば、伯母夫婦────特に眞衣子の母親にとって兄に当たる、かんしやく持ちの伯父が怒り出すことは目に見えていた。だから秘密だったのだ。この伯父夫婦が、夏恵と同じく眞衣子には同情を示してくれるということを、可能な限り大きく差し引いてもだ。

 あれは、夏恵の個人的な好意だったのだ。

 そんなことを考えながら受け答えをした結果、反射的に眞衣子の口から出た言葉は、否定の言葉だった。


「い、いえ……知らないです」

『そう……』


 困り果てたような、伯母の声。疑われているような様子はなかった。そのとき眞衣子の胸に浮かんだのは、道理に合わない気もしたが、疑われていないということに対する安堵の気持ちだった。

 そして次にやっと浮かんだ、心配と困惑。


「あの……帰ってないんですか? 夏恵お姉ちゃん」

『そうなのよ……』


 首を傾げるのが見えるような、伯母の声。


「い、いつからですか?」

『一昨日の晩からよ』

「おととい……」

『さすがに心配してるのよ。もう子供じゃないって言っても、今まで無断で外泊するなんてことなんか一度もなかったし』

「そ、そうですね」


 知っている。夏恵はしっかりした人だ。眞衣子のためにちょっとした噓をつくことはあっても、そういう基本的なところはきっちり押さえている人だ。


『何回携帯に電話しても繫がらないし……警察にお願いしようか、って今朝もお父さんと相談してたの』

「警察、ですか……」

『眞衣ちゃんも、ちょっと気にとめておいてね。もし連絡あったら、教えて、ね?』

「あ、はい……」


 控えめに答えながらも、胸の中にはみるみるどす黒い不安が広がり始めていた。

 じゃあね、よろしくね、と繰り返して、伯母からの電話は切れる。しかし眞衣子は受話器を戻すのも忘れて、呆然とその場に立ち尽くしていた。

 一昨日の夜といえば、あの言い争いになった夕方の、その後。

 眞衣子の家に来なかったどころではない。その前の日から、夏恵は自宅に帰ってさえ、いなかったのだ。


 ────行方不明?


 眞衣子の頭の中で、答えの出ない問いがぐるぐると回った。

 なんで? どこに? あのケンカが原因? そんなわけない。しかしあの直後に、夏恵が消えたとしか考えられない。

 いなくなるような素振りがあっただろうか?

 分からない。全然わからない。見開いた眞衣子の目が、見下ろしている電話機の表示の上を無為に泳いだ。

 夕刻の、薄い陽光と蛍光灯の明かりが、ぼんやりと相殺しあう薄ぼけた色彩のリビング。

 ツーッ、ツーッ、という電話機の音を遠く聞きながら、眞衣子は電話台の前に立ち尽くしたまま、夏恵のことを考えていた。

 親戚の中で一番仲のいい従姉。

 子供の頃から一緒にいた仲のいいお姉ちゃん。

 しっかり者で正義感が強くて、頼りがいのあった夏恵お姉ちゃん。


〝失踪〟


 そんな言葉とは、眞衣子の中では最も無縁だった人だ。あり得ない。どんな理由も考えられない。たった一つ、何かの事件か事故に巻き込まれたという────本人とは関係ない、理由以外は。


「…………!」


 それを思った瞬間、胸の中から、冷たい不安に心臓を摑まれた。

 そうとしか考えられなかった。そうに違いない。眞衣子は祈った。早く伯母が、警察に捜索願を出してくれるように。

 と、その時、眞衣子の耳に寝室から母の激しいせきが聞こえた。

 はっ、と眞衣子は我に返った。そしてずっと握ったままだった受話器を慌てて戻し、寝室に向かって、母の世話へと戻ろうとした。


「!」


 と、その瞬間、受話器を置いたばかりの電話が再び鳴り始めた。


「え? わ……」


 至近距離の電子音。電話機から離れようとしたばかりだった眞衣子は、その切り替えができずに、あわあわと部屋の真ん中でたたらを踏んで電話の前に戻り、まだ自分の体温が残っている受話器を摑んで、取り上げて耳に当てた。


「も、もしもし?」


 慌てているのが、思い切り声に出た。

 しかし電話の相手の声を聞いた途端、眞衣子の声はますます慌てることになった。



『えーと、杜塚さん? 僕、白野だけど』

「え……白野君!?」


 電話の相手が名乗るのを聞いて、眞衣子は思わず動揺した声が出た。

 予想もしていなかった相手だった。そして彼の声が聞けたことを一瞬嬉しく思ってしまった後、昨日見た綺麗な女の子の記憶がよぎって、その気持ちは苦いものに変わった。


「ど、どう、したの? 白野君……」

『あ、えーと……何か用があるわけじゃないんだけど。ちょっと気になってさ』


 眞衣子の問いに、きっと用事があって電話をかけてきたはずの蒼衣は、少し困ったような調子で、何故だか話題を探すように言った。


『いや……前に話したとき、大変そうだったからさ。家のほう、大丈夫?』

「え?」


 ぽかん、とした。意味が飲み込めるまでに、数瞬かかった。

 蒼衣が、ただ自分のことを心配して電話をかけてきたらしいということ。そんなのは想像を通り越し、妄想の外だった。眞衣子はてっきりこの間のように学校の用事だとばかり思っていたのだ。それ以外にあるはずがないと。


「えっ? え……あ……う、うん。大丈夫……」


 眞衣子はやっとのことで、そう答えた。せっかく、せっかく蒼衣が心配して電話をくれたというのに、もっと気の利いたことが言えないのかと、たどたどしい上に内容のない答えを口にしながら、心の中で激しく落ち込んだ。


「平気……」

『そ、そっか。何か変わったこととか、身のまわりになかった?』


 蒼衣は少し困った様子で、重ねて訊ねる。


「う、うん……ない……」

『そう……ならいいんだ。何かあったら遠慮なく電話して。手伝えるかもしれないし』

「うん、ありがとう……」


 眞衣子の胸に広がる、どこか幸せな、戸惑いの感情。この人は、何でこんなことをするんだろう? そんなことを思う。きっと誰にでも、こうする人なのだ。それは今まで見ていて感じた蒼衣の人となりとは違うものだったが、誰にでもこうなのだとでも思わなければ、うっかり期待してしまいそうで辛かった。

 それとも、あの蒼衣といた一高の子は、恋人じゃないのだろうか?


刊行シリーズ

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