断章のグリム 完全版1 灰かぶり/ヘンゼルとグレーテル

五章 葬送そして葬送 ②

「とにかく……気を強く持って」


 蒼衣は言った。陳腐も極まる言葉だったが、眞衣子は本当に真摯に受け止めて、蒼衣の言葉に頷いた。


「……うん」

「じゃあ……また」


 蒼衣は最後にそう言って、眞衣子の席から離れる。


「うん、ありがとう」

「……」


 そんなお礼の言葉を背中に聞きながら、離れようとする自分の足取りが、その前の何倍も重く、蒼衣には感じられた。

 この、薄暗い同情が満ちている空間もだ。

 重かった。蒼衣が想像もできない悲惨な家庭環境に、想像できる家族愛。一部は分かるからこそ、そこから想像できる凄絶な家族愛が、あまりにも重かった。

 重い足取りで、蒼衣は自分の座るべき椅子を探して歩く。

 その時、そんな蒼衣に声をかける者があった。


「……白野」

「先生……」


 担任の佐藤先生が、先ほど会った時よりも緊張したような面持ちで、蒼衣を呼んだ。

 普段の着慣らしたようなスーツではなく礼服なので、くたびれた中年の印象があった普段の先生とは、多少印象が違っていた。


「何です?」

「えっとだな、さっき親戚の人から気になることを聞いたんだが……」


 何か言葉を選ぶような、困惑交じりの声で先生は言う。蒼衣はぴんと来る。そして少し声を潜めて、先生に答える。


「……杜塚さんの、お母さんのことですか?」

「あ、ああ。てことは……」

「本当みたいですね。さっき少しだけ、杜塚さんからも聞きました」

「そうか……」


 思案げに頷く先生。


「うーむ。そうか、弱ったな。本当なら、相談に乗ってやらんといかんだろうな……」


 眉を寄せて、顎に手をやる。


「そうですね。お願いします」

「ん、わかった。少し話してみよう。白野も済まんな」

「いえ」


 片手を上げて、先生は眞衣子のいる席へと歩いて向かう。

 その先生の背中を見ながら、蒼衣は密かに心の中で、先生を見直していた。いつも学校で見る先生は、いまいちやる気の見えない中年だ。だが意外にも、面倒見は悪くないらしい。

 大人に任せられるなら、それに越したことはない。

 絶対にその方がいい。そして先生と話して、少し心が軽くなった気がした。

 心の重荷も、人と共有すれば軽くなる。蒼衣は先生の背中を見ながら、眞衣子もそうなることを願った。

 そして何となく、次に思い浮かんだのは。

 何もかも一人で背負い込もうとしているような態度の、雪乃の横顔だった。




 葬儀は、何事もなく終わった。

 ひつぎが運び出されて、黒塗りのれいきゆうしやに乗せられて火葬場に向かった後、蒼衣はセレモニーホールを出て、その近くにある小さな公園に足を向けた。

 そこには待機中の少女二人が、蒼衣が来るのを待っていた。

 ビルの脇に、申し訳程度に切り取られた、あずまじみた小さな公園。蒼衣が顔を出すと、颯姫がぱっと笑顔を浮かべ、休みの日だというのに学校の制服姿の雪乃は、相変わらず冷ややかな表情。

 対照的な二人はそれぞれの表情で蒼衣を迎えたが、その関心事は二人とも同じだ。


「お疲れ様です! 何も起きませんでしたね」

「うん、そっちもお疲れ様」


 結論とねぎらいの言葉を言う颯姫に、蒼衣はそう言って答えた。何事も起きなかった。と言っても、蒼衣だけが単独でいる中で〈泡禍〉が起こるという危険な事態は、できるなら起こらない方がいい。

 しかしそれでも、いくらか拍子抜けしたことは否定できない。一応は、何かが起こりかねないと見込んで潜入したのだ。


「で? 何かわかった?」


 その辺りをどう思っているのか、見た目からはうかがえない雪乃が、冷ややかに問う。問われた蒼衣はちょっと複雑な笑みを浮かべて、とりあえず頷いた。


「一応、色々わかったけど……」


 色々な意味で、少し口ごもる蒼衣。思った以上に深刻だった眞衣子の家庭。そして葬式を口実に、それを暴きに行った罪悪感。それから。


「えーと、雪乃さんは、嫌いなんじゃなかった? 分析とか、予想とか」

「うるさいわね」


 一応配慮のつもりだったが、睨まれた。


「いいから話して」

「うん」


 蒼衣は溜息をついて、中で聞いた話を雪乃たちに話して聞かせた。


「えーと……」


 蒼衣は話した。童話に出てくるような、意地の悪い眞衣子の母親の話を。

 まるでシンデレラのようだった、眞衣子の身の上の話を。


「……これ、完全にシンデレラと重なるよね」

「そうね……」


 語り終わった蒼衣がそう評価を口にすると、雪乃もやや渋々ながら、同意した。

 そして、


「少なくとも、その杜塚さんが完全に〈泡禍〉とは無関係で、ここで待ってたのが完全に無駄だった、って事態だけは避けられそうかもね」


 そう言うと、雪乃はどこか凶暴にも見えるうっすらとした笑みをその貌に浮かべた。

 獲物を見つけた、猫のような笑みだ。今までの人生で色々な人と出会ってきたが、こんな表情を浮かべた人間を見たのは、過去にはたった一人だけだった。

 たった一人だけ。幼い頃の、溝口葉耶、その人だけ。

 蒼衣はその事実に何とも形容しがたい運命を感じたが、雪乃はふっと表情を不機嫌なものに戻すと、ぼやくように言った。


「まあ、確証があるわけじゃないから、まだ分からないわけだけど」


 冷めた意見。

 颯姫も同意して頷いた。


「そうですねえ……」


 雪乃を始めとする〈騎士団〉の人間は、蒼衣が見てきた限り、希望的観測というものをほとんどしない傾向があった。それが普段の出来事ならそうでもないが、〈泡〉に関わるものに関しては、できるだけ最悪の予想を立てようとする。それが何を意味しているのかは、蒼衣はあまり考えないようにしている。


「まだ〈泡禍〉も本格化はしてないみたいだし。ひょっとしたら長丁場になるかもね」

「困りますねえ……」


 雪乃が言い、颯姫は頰に指を当てて、可愛らしく小さな溜息をついた。場の雰囲気がかんした。溜息交じりの空気が、三人の間に広がった。

 だが、その瞬間。



『────そうかしら?』



 ぞわっ、と背筋を撫で上げられるような少女の声が、蒼衣の耳に流れ込んだ。

 透明で綺麗な声に、とてつもない悪意と狂気を含ませた少女の声。そのどこから聞こえてきたのか分からない声が聞こえた瞬間、蒼衣の周りにある空気があっという間に異質なものへと変質した。

 皮膚に触れる空気の温度が一気に下がり、周囲の明度が突然に翳った。

 そもそも曇り気味の夕刻近く、それ以上翳ることなどあり得ないにも関わらずだ。


「………………!!」


 だが、その瞬間に顔色を変えたのは、三人の中で二人だけだった。雪乃と蒼衣。そして、その二人だけが気づいたという事実に気がついた途端、その瞬間まで平静だった雪乃が、瞬く間に顔色を失った。


「あ、あなた…………!?」

「えっ…?」


 問われたことの意味が、理解できなかった。

 自分の五感が当然感じるものに、気づくも何もなかったからだ。


『へえ……あなた、私の声が聞こえるの?』


 暗い暗い、世にも楽しそうな声が、空気から染み出すようにして聞こえる。そんな空間そのものから話しかけられているような、不可解な感覚に、蒼衣は慌てて周囲を見回し、その声の主を探す。


「!」


 そして見つけたのは────雪乃の背後だった。


『はじめまして、かしらね?』


 うっすらと笑みを含んだ声。その声の主は、その少女は、そこにいる雪乃と半ば重なるようにして、ふわり、と背後に立っていた。

 半ば景色に溶け込んだような少女が、雪乃の背後に、影のように寄り添っている。雪乃とよく似た顔立ち。しかしその表情は、笑みであることこそ判別できるものの、背景に溶けてしまうほどうっすらしたもので、詳しい顔形は分からない。

 蒼衣は、呟いた。


「風乃……?」

「!」


 それを耳にすると、雪乃は険しい表情で蒼衣を睨みつけた。


「何であなた、風乃を知ってるの?」

「い、一度、神狩屋さんから……」

「あのおしやべり……! ……ううん、違う。そんなことは、今はどうでもいいわ。あなた、どうして風乃が見えるわけ? 何で私の〈断章〉が知覚できるの!?」


 強く問い詰める調子で言った。蒼衣は呆然とする。まだ状況が理解できない。


「〈断章〉……?」

「あなた、姉さんの〝声〟が聞こえてるのよね?」


 雪乃は言う。


「私に〈断章〉として取り憑いてるこの姉さんの亡霊は、私にしか見えないし、声だって私にしか聞こえないのよ!?」

「!」


 そんな雪乃の説明に、今度は蒼衣の方が顔色を失った。だが蒼衣は、同時に思い出してもいた。この場に満ちている空気が、少女の声が聞こえた瞬間から、あのマンションの踊り場に満ちていた空気と、恐ろしくよく似ていることにだ。


「どういうことなの!?」


 そして、さらに問おうとする雪乃。

 だが答えたのは蒼衣ではなく、くすくすと笑みを含んだ〝声〟だった。


『そういう〈断章〉なんじゃないかしら? 他人の〈悪夢〉を共有してしまうタイプの』

「!?」


 振り返る雪乃。蒼衣はそのりが、自分の事を言われているのだと理解して、思わず呟いた。


「共有……?」

『ほら、完璧に聞こえてる。嬉しいわね』


 くすくすと、声が笑った。


『私に新しい話相手ができたのかしら? 今まで話相手が雪乃ばかりで、退屈してたところなのよ。これは私にとって奇跡的な出逢いと言えるでしょうね。私に身体があったら、抱きしめてあげたいくらいだわ』


 楽しそうな〝声〟。颯姫は何が起こったのか全く分からない様子できょとんとし、雪乃はますます表情を険しくした。


「白野君……あなた……」


 雪乃は、口を開く。だがそれ以上言葉が続かずに口ごもり、尻切れになった言葉は、そのまま雪乃の背後の影が話す楽しげな〝声〟に奪われた。


『ところで雪乃。水を差すけど、いいのかしら?』

「な、何よ……?」

『こんなことしてる暇はないんじゃないかしら? 〈泡〉が、溢れ出しそうよ』

「……!?」


 その言葉に、雪乃は絶句した。


『〈泡〉の気配がするわ』


 世にも楽しそうに、少女の声は言う。


『もうすぐ、『灰かぶり』が始まりそう。喜んで。貴方あなたたちの見立ては、正しかったということよ』

「…………っ!!」

『きっとあの杜塚という女の子が、〈泡〉を抱えていたのね』


 くすくすと。


『さあ、急いで。急いで追わないと──────あの子の着いた火葬場、きっと、もうすぐになるわよ?』

「…………………………!!」



刊行シリーズ

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