断章のグリム 完全版1 灰かぶり/ヘンゼルとグレーテル
五章 葬送そして葬送 ③
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お葬式に来てくれた親戚、たったの六人。
その全員が立って待つ白く静かな部屋に、微かなモーターの音を立てながら、大きな火葬台が入ってきた。
火葬場の職員によって運ばれてきた、窯から出てきたばかりの、まだ強く熱を残す台。
先ほどまで炎に晒されていた台の上には、むっと独特な臭いと共に強い熱気が立ち昇り、跡形もなくなった棺の灰に埋もれるようにして、残骸のような白い骨が辛うじて人の形だと分かる配置で横たわっていた。
「……それでは、お骨上げのご案内をさせていただきます」
そう言って一礼した初老の火葬場係員に応えて、眞衣子と親戚たちは神妙な空気の中で静かにお辞儀をした。台の周りに集まっている一同。そこに職員の手によって、長い箸の入った箸立てと、磁器で作られた、ただひたすらに白い
台の脇でじっとお骨を見下ろす眞衣子の顔に、台から立ち昇る熱が触れる。最期には底意地の悪さという皮が張り付いた骸骨のようになっていた母だったが、本当に骨になってしまうとその面影もなくなり、むしろ
「えー、まずお箸ですが、これは竹と木の箸を一本ずつ一組にして使います」
係員がそんな説明をしながら、皆に箸を渡していった。
「木と竹は
そして係員は、一同を見回した。
「お骨は、足から頭へ順番に骨壺に収めていきます。……それでは、喪主様から」
係員が言い、眞衣子は黒磯の伯父に促されて箸を持ち直した。
黒磯の伯父は、大変な状況の中、こうして来てくれた。夏恵は結局戻って来ずに、行方知れず。とうとう先日、警察に捜索願を出したばかりだった。
癇癪持ちの怖い伯父だったが、義務には堅く、頼りになる。
母にも夏恵にも似ている伯父は、足のあった辺りの灰に箸の先を近づけ、目線で眞衣子を促し、頷いて見せた。
「……」
眞衣子も、その白い灰へと、箸を伸ばした。
足の位置にある、半ば灰に埋もれた崩れかけの骨を、伯父と共に箸でつまみ、ことん、と骨壺に入れた。
拾い上げた感触も、骨壺に入った音も、とても軽く、乾いていた。七人が順番に骨を拾って一巡すると、そこからは時間短縮のために箸渡しは省略され、後は普通に骨壺を満たす作業となった。
神妙な空気に、少しだけ和やかなものが混じった。
微かに緑がかった白い灰から骨を拾い出しながら、ぽつぽつと親戚達の間で静かな会話が交わされ始めた。
だが眞衣子は少し気分が悪くなった振りをして、台から離れ、その輪から外れた。
交わされる会話が、当然ながら、母の人となりについてだったからだ。
母について話せば、どう控えめにしても悪口にしかならないことは、眞衣子も十分に理解していた。だが聞きたくはないし、言って欲しくもない。しかしだからといってやめて欲しいとも、眞衣子の口からは言えなかった。
言われても仕方がないくらいに、母は親戚中に迷惑をかけていた。
そんな風に見て欲しくないという眞衣子の望みは、どう考えても無理な相談だった。
「良子さん、最期までいい話は聞かなかったわねえ……」
台を囲む親戚の女性がぽつりと呟いたその言葉が、母の人生の全てを語っていた。眞衣子はそれらの会話をできるだけ意識に入れないように、何か意識を逸らすものがないかと、自分の身体を抱きしめるようにして探った。
「……」
制服の上着のポケットに、硬いもの。
のろのろと取り出した。それは火葬の棺に入れようとして断られた、病床の母を世話したスプーンだった。
白い部屋の明かりの下で、鈍く輝く大振りのスプーン。これを母は持って行けなかった。向こうで、母はどうやって食事をするのだろう。
心配と想像を巡らせた。少しだけ周囲の話から意識が逸れた。
そしてそうしているうちに、台の周りでの話題は、やっと別のものに移っていた。
「……この仏さん、長く病気されてたでしょう」
係員が、骨を見ながら言う。
「わかるんですか?」
「ええ、年間何百人と見てますとね、大体わかってくるんですよ」
親戚たちは係員の話に興味を移した。スプーンを握ったままの眞衣子は、心の中で係員に感謝する。
「病気してるとね、悪いところの、お骨の色が違うんですよ」
係員は言った。
「ははあ……」
「ほら、こことか黒くなってるでしょ? 脊髄なんかも色がついてる。薬を長く使ってると、こんな風になるんです」
灰と骨の欠片を、箸がかき回すかさかさという乾いた音。親戚たちも台の上に箸を向け、灰を探っている。そして骨壺の中に骨を入れる作業を、ぽつりぽつりと再開する。
伯父の手にした箸の先に白い骨が摘ままれ、壺の中に落とされる。
その光景を見ていた眞衣子は、ふと思い浮かんだ。
「あ……」
骨を摘まむ箸が、まるで鳥のくちばしのようだと思ったのだ。
パンを啄む鳩。そのくちばしの印象が、目の前で行われている作業と、眞衣子の頭の中で重なったのだ。
その途端、連想が働いた。
一節が浮かぶ。
次々と浮かぶ。
『家ばと、山ばと、小鳥さん。いい豆は、お鍋の中へ』
『悪いのは、おなかの中へ』
『悪いところの、お骨の色が違うんですよ』
目の前であった会話が、『灰かぶり』の一節と混ざる。それなら────あの骨壺は、もしかして、お鍋だろうか?
思い至った瞬間、ぞっとした。
奇妙で、異常な寒気。そして、そんな突然の怖気を感じたその直後、ぶわ、とこの空間に足元から、まるで目に見えない大きな〈泡〉が浮かび上がってきたかのような、奇妙な感覚に襲われた。
「えっ……」
驚く。戸惑う。そして。
次の瞬間、弾けた。部屋の中の空気が一変した。
ぞわっ、
と全身の
突如として闇を増した世界の中で、しかし骨を拾う親戚たちは、誰もそれに気づいていないかのように骨上げの作業を続けていた。いや、事実、気づいていなかった。彼らはすでに、それに気づくべき正気を失っていた。
────ざくっ。
音が、響いた。
そのスナック菓子を
しかしその印象自体は、決して事実から遠いものではなかった。眞衣子がそれに気づいたのは、目の前で骨上げをしている親類の、その一人の箸の先が、一つ奇妙な方向を向いているのを見つけた時だった。
彼の持った箸は、自分の口へと向いていた。
────さくっ、
別の口から音がした。おばあさんと呼んでいい年をした親類の女性が、箸でつまんだ骨を口に入れていた。
それを嚙み締める、ざくっ、という音と共に、茶色に濁った脊髄の欠片が、女性の口からぽろりと一つ、台の上にこぼれて落ちる。色の変わった骨。闘病の痕跡が残っている、お母さんの、悪くなった骨。
『悪いのは、おなかの中へ』
立ち尽くす眞衣子の中で、全てが符合した。
その瞬間、台の上に広がった母親の灰を囲む、男女の手に握られた箸が、狂騒のように母の遺灰へと一斉に群がった。我先にといくつもの箸先が、灰の中を探り出す。そしてその中に埋まっている〝悪いの〟を、次々とつつき出して、自分の口へと運び始めた。
────さくっ、さくっ、さくっ、さくっ、
乾いた音が、部屋の中に次々と響き始めた。
全ての親戚と係員たちが、群がるように灰の中から骨をつつき出して、悪いものを次々と口に入れて咀嚼し、それを
親戚達の目は鳥のように真ん丸に見開かれて、その顔からは表情が失われていた。鳥の顔だった。無表情な目と顔は、いかなる情動も表現しない代わりに、明らかな本能と欲望と、そして人間としての、明らかな異常と狂気を発散していた。
────ざくっ、さくっ、さくさくさくさくさく、
灰の中から、瞬く間に骨という骨がつまみ出されていった。そして正常な骨の欠片が溢れるほど骨壺に放り込まれ、色の変わった悪い部分の骨が、親戚達の口の中、腹の中に、次々と収まっていった。
その音。音。音。
悪いのは、おなかの中へ。
その言葉が作り出す、あまりにもおぞましい光景。
そして音。ホールを埋めつくす、ついばみの音。
「……う…………っ!」
吐き気を催して口を押さえた。
だがそれが、全ての間違いだった。
瞬間、
ぴた、
と骨を啄む音が、止まった。
眞衣子の立てた、そのたった一つの声によって、初めてその存在に気がついたように、一斉に灰に群がる男女が、骨を探る動きを止めたのだ。
そして、
次の瞬間──────一斉に彼らは眞衣子を見た。
鳥類の無表情に、真ん丸に見開かれた鳥類の目。そんな目を、鳥の群れが何の前触れもなく一斉にそうするような、動物的な動きで眞衣子へと向け、そしてじっと、一切の音を立てずに眞衣子の顔を見つめた。
「…………………………………………!!」
わっ、と恐怖と戦慄が、背筋を駆け上がった。
明らかに正気、いや人間ではない表情をした十四個の瞳に見つめられて、その明らかに意思疎通不能の存在に自分が見つめられているという恐怖に、肌が
この密室に、それらのイキモノと閉じ込められているという事実が、恐怖を加速した。
真ん丸に目を見開いて、口の周りに人間を焼いた灰をこびりつかせた男女。
ごくり。
と真正面にいる黒磯の伯父が、口の中のものを胃の中に飲み下した。
そして次の瞬間、伯父は仲間へと呼びかける鳥のようにがばっと大きく口を開けると、その喉の空洞の奥から声と音とを相半ばにしたような〝
『────
途端に次々と親類たちが、裂けるほど口を開け、それに続いた。
『灰!』
『灰ダ!』
『灰ヲ!』
『
部屋の中に反響する凄まじい〝聲〟。それらは部屋の中で反響しながら混じり合い、もはや人間の声とはとても思えぬ不協和音となって、部屋の中に響き渡った。
その声は幾重にも重なり合って、おぞましいまでの声量で、部屋を、耳を、頭の中を、響き渡った。それは徐々に混じり合い、重なり合って、あたかも夕暮れの空で不吉に鳴き交わす鳥の聲に似た、人の言葉からは逸脱したものに変質していった。
『悪!』
『灰ヲ!』
『
空気の振動が皮膚で感じられるほどの、怖ろしいまでの〝聲〟の不協和音。
身が竦んで、心が竦んで、思い切り強く耳を塞いで、身体を硬くして、眞衣子は冷たい石の壁際に、震えながら立ち尽くした。
「………………っ!!」
涙が浮いた。鳥肌が立った。
凄まじい〝聲〟と、異常と狂気と狂騒とを全身と頭の中に浴びて、もはや何も考えられなかった。ただひたすらに、恐怖に竦んだ。
だが、それは始まりだった。
ぶつっ。
その眞衣子の目の前で。
黒磯の伯父の持つ箸が、隣に立つ伯母の目に突き入れられた。
『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア──────────ッ!!』



