断章のグリム 完全版1 灰かぶり/ヘンゼルとグレーテル

五章 葬送そして葬送 ④

 大きく開かれた伯母の口から鳥類に酷似した、凄まじいまでの甲高い悲鳴が溢れた。その絶叫は灰と悪の存在を叫ぶ〝鳴き聲〟と入り混じって、鳴き交わされる狂騒に、新たな音階を付け加えた。

 皮切りだった。

 そこに群れていた男女は突如として共食いを始めたかのように〝箸〟を振りかざし、互いの目を、顔を、次々と突き刺し始めた。そのたびに血と甲高い悲鳴が部屋の中飛び散って、狂騒をさらにおぞましいものへと塗り替えていった。

 狂騒は台の上の灰を吹き飛ばし、撒き散らした。

 撒き散らされた灰が、彼らの着ている黒い喪服を白灰色に染め上げ、それはますますこの光景を、灰にまみれた鳩の狂騒に酷似させていった。



『ギャアアアアアアアア──────────ッ!!』



 彼らは瞬く間に互いの目玉をつつき出して、顔を血と涙と、得体の知れない粘液で汚しながら叫び続けていた。眼球に突き刺された箸が眼窩の中で折れ、血を流す目から箸を覗かせたまま、他の者の目玉を求めて絶叫を上げて摑みかかった。

 眼窩を狙って逸れた箸が顔の肉を抉り、叫びを上げる口から喉の奥に突き刺さった。恐ろしい殺し合い。それを目の前にして、眞衣子はただただ一人だけ、悲鳴を上げることしかできなかった。


「──────いやああああああああ──────────っ!!」


 すでに足が立たず、壁を背に座り込んだ眞衣子は、耳を塞いで悲鳴を上げた。

 生まれて初めて上げたほどの大きな悲鳴。しかしその悲鳴ですら、この部屋に響き渡る怖ろしい絶叫と狂騒の前には全くの無力で、反響する凄まじい鳥類の叫びと悲鳴の中に、ただ飲み込まれてゆくだけだった。

 もはや何も考えられなかった。

 ただ床に座り込んだまま、強く強く身を竦ませて、耳を塞いで、心の底からの恐怖の悲鳴を上げ続けた。

 それでも恐怖に引き攣り、閉じることさえできない目。

 恐怖と狂気を見つめたまま、涙を流して見開かれた目。


 ずる、


 と、そんな眞衣子の見開かれた目に、突如として異様なものが見えた。床にぶちまけられた母親の遺灰、その中に、不意にもぞりと、動くものがあったのだ。

 伯父たちが踏みしだく足元に、うっすらと積もった灰。

 その灰が、ずる、と盛り上がる。いや、それは灰ではなく、母親を焼いた灰の中から、灰にまみれた大量の髪の毛と、その下に続くモノが這い出てきたのだ。

 目が合った。それは灰の中から顔を出した、人間の頭の上半分だった。

 それは灰の中から覗く、病苦で荒れた髪の毛と、骸骨のように瘦せた顔だった。


 母だった。


 それは見間違えようもない、つい今朝まで毎日見ていた、癌のせいで瘦せ細った、眞衣子の母の顔だった。灰の中から、じっと母が見つめる。その目は大きく、真ん丸に見開かれて、表情のない、鳥の目をしていた。


「──────────────────!!」


 もはや、悲鳴にもならなかった。

 恐怖に息が止まった。もはや声は出ず、ただ心の中だけで割れんばかりの悲鳴を上げた。

 動けない眞衣子の目の前で、視界の灰という灰が残らず蠢き、その下から〝何か〟がもがくようにして這い出した。灰にまみれた羽、くちばし、目。しかし這い出した〝それ〟は間違っても鳥などではなく、鳥の部品をちやちやにこね合わせたような、世にも気味の悪い、けいじみた塊だった。

 灰から半分ほどを出した母の頭部が、身じろぎするように這い出した。

 それまで見えていた上半分の下が、床に溜まった灰の中から、徐々に姿を現した。

 しかし、そこから現れたのは、眞衣子の知っている母の顔ではなかった。灰の中から現れた頭の下半分は、鳥の翼と頭と足とが滅茶苦茶に生えた、世にも怖ろしい形状をした、人体の成れの果てだった。


「──────っ、きゃああああああああああああああああっ!!」


 止まっていた息が、悲鳴になってほとばしった。

 その瞬間、動かなかった自分の身体が、動いた。

 自分の悲鳴に弾かれるようにして、眞衣子は半ば這うように立ち上がって、この場から逃げ出した。目の前で繰り広げられている全てに背を向けて、部屋に反響する甲高い叫びと悲鳴を背に、両開きの大きな扉に取り付いて、その扉を押し開けた。

 外の見える大窓と、すでに日の落ちかかっている夕刻が見えた。

 異様に静かな無人の火葬場を、妙に薄暗い電灯の光の中、入り口の自動ドアに向けて、無我夢中で走った。自動ドアが開いて、表に出た。夕刻の空の下、高台にある火葬場の正面には大きな階段があり、眞衣子はその階段を、必死になって駆け下りた。

 そのとき空気に、不意にノイズが混じった。

 耳に聞こえているのに、まだはっきりとした音ではない、空気の音。スピーカーのスイッチが入った時の、あの聞こえる無音が、不意に空気と世界に満ちて、そして直後、夕刻の六時を告げる放送が、火葬場の前に立っているスピーカーから、大音量で流れ出した。

 瞬間、


「うくっ!」


 いきなり左足に激痛を感じて、眞衣子は階段の途中で足を止め、うずくまった。その頭上で鳴り響く放送。夕闇の下、音の割れた『夕焼け小焼け』が空気そのものを震わせる中で、眞衣子が自分の足を見下ろすと────そこには靴に付着していた灰から、無数の鳥の畸形が涌きだして、その羽が、嘴が、爪が、眞衣子の靴と左足を食い破っていた。

 血。

 激痛。

 その目の前で、



『灰ノ中ノ、悪ヲ!!』



 血に塗れた嘴が大きく大きく開いて、一声啼いた。

 その甲高い〝コエ〟と、おぞましい〝ギヨウ〟の鳥。自分の足に生えたそれが、眞衣子の正気がこの世で見聞きした、最後のものだった。



 蒼衣たちがようやく火葬場に辿り着いた時、最初にそこで見つけたのは。

 正面の階段の中ほどに転がっていた、ぼろぼろに破れて血に濡れた、小さな学校指定の革靴だった。


 …………………………




 田上颯姫の〈食害〉が広がる火葬場の前に、一台の車が乗り付けられた。

 大型で黒塗りのバン。そのバンは後部の窓が全てスモークで塗り潰されていて、本物を見たばかりでなければそれと勘違いしただろうほど、あまりにも霊柩車じみていた。

 夜の火葬場。周囲に人気は全くない。

 白野蒼衣は、そんな正面玄関の灯火だけがぼんやりと照らす火葬場の前に立って、その黒塗りの車を、雪乃や颯姫と共に黙然と出迎えた。


「……」


 この車は、火葬場の中に転がる死体を処理するために呼ばれた〈葬儀屋〉だった。

 もちろん普通に言うところの葬祭業者ではない。この車の人物は、死体を処理することができる〈断章〉を抱えている〈騎士〉で、一片の痕跡も残さずに死体を処理できる〈効果〉を使い、周辺の〈ロッジ〉から死体処理を請け負っている、関東で最も有名な〈騎士〉の一人なのだという。

 通称〈葬儀屋〉。どこの〈ロッジ〉にも所属していない孤高の〈騎士〉。

 どんな人物なのか、蒼衣はほとんど聞かされていないが、ただ一言颯姫が言うには「怖い人です」とのことなので、それを出迎える蒼衣は緊張していた。


「……」


 神の悪夢の顕現である〈泡禍〉は、それに巻き込まれた被害者を二目と見られないほど悲惨な状態にしてしまうことがままあるという。

 大量死。

 あまりにも猟奇的な手段で損壊された死体。

 現代の技術では完全に不可能な、異常な殺され方。

 しかも、聞けばそれらはまだマシな部類なのだそうで、場合によっては明らかに超常的な、例えば完全に人間ではないものに変質してしまう場合もあるという。そして発見されれば大事件になることが免れない、それらを処理する役目の人間が、〈騎士団〉には常に一定数存在するのだということだった。

 確かに、必要だろうと思う。


 ────人目に触れさせちゃいけない!


 火葬場の中に広がっていた現場を見た瞬間、立場的にはまだ一般人寄りの蒼衣でさえ、反射的にそう思った。

 眞衣子を追って火葬場にやって来た蒼衣たちは、中に入った途端に悲惨なものを見た。骨上げをするための部屋の中は、セレモニーホールで見たことがあるはずの人たちが殺し合いをしたらしく、血と灰が飛び散った、凄惨な有様になっていた。

 見たことが〝ある〟、ではなく、〝あるはず〟の人たち。

 というのは一目見ただけでは、それが本当にその人たちだったのか、判別ができなかったからだった。

 忘れたわけではない。

 目を潰し合って容貌が損壊していたが、そのせいでもない。

 倒れていた七人分の人体は、からだ。それらは身体の傷という傷から、鳥の羽や頭や脚などの部品が滅茶苦茶に生えていたのだ。

 特に傷の多い顔面部は無数の鳥の部位に覆われ、どんな顔をしているのかすら、もはや判別できない有様になっていた。それはまさしく、人間という形へのぼうとくに他ならなかった。見た瞬間に心が悲鳴を上げ、凄まじい怖気に襲われた。そして蒼衣はすぐさま逃げるように部屋を出て、表に立ったまま、二度とそれらを見ることなくこの時間を迎えていた。


「……」


 そしてその車は、やって来た。

 威圧感のある黒いバンは火葬場の前にまると、蒼衣たちの見守る中、そのエンジンを静かに止めた。

 一瞬の間があって、ドアのロックを外す音が、不気味な静けさの広がる夜闇にやけに大きく響いた。雪乃も颯姫も、その音を聞きながら、少しだけ表情を硬くしていた。


「……」


 どんな人が出てくるのかと、蒼衣も緊張していた。

 あの、できるなら二度は見たくないとまで思った、悲惨な死体の数々を、平然と処理するであろう、そして、してきたであろう人物。

 それだけでも、今の蒼衣にとっては充分に畏怖の対象たりえる。

 がちゃ、と音を立ててドアが開く。開いたのは、運転席と助手席が、同時だった。


 ────現れたのは、黒衣を纏った男だった。


 百九十センチ近いのではないかと思われる長身に、ノーネクタイの着崩された喪服。癖のある髪に、彫りの深い顔立ちはやや日本人離れしている。目元は険しく、寡黙に引き結ばれた口元は、古い洋画が似合いそうな、かいな墓掘りのような印象だった。

 その両手に提げられているのはどういうわけか、傷みが目立つ大型のバケツと、使い込まれた大振りのなた。しかし、この男と対面した時に感じた何よりも異様な点は、この男の姿形などではなく、その全身から発散されている異様な〝気配〟だった。

 雰囲気などという生易しいものではない。それは存在自体が周囲の空気を作り変えているかのような、存在感と呼ばれるものを悪意を持って濃縮したような、明らかに人間離れしたものだ。彼がそこに現れただけで、景色が悪夢めいて見える。蒼衣が知っている『人間』と呼ばれているモノとは、明らかに存在の『枠』が違っていた。

 いや、奇妙な話かも知れないが、蒼衣はこうも感じた。

 それは────彼は、人間を人間というカテゴリに押し込めている『枠』を失いつつある人間で、その存在そのものが、周囲の空間に漏れ出している存在なのだと。


「……」


 男は無言で、蒼衣たちには一瞥すら向けず、に乱暴に車のドアを閉めた。一言の挨拶も愛想もない。だが代わりに蒼衣たちに話しかけて来たのは、助手席側から出てきた、長いスカートの喪服を着た、蒼衣よりも少し年上と思われるくらいの娘だった。


「今晩は」



刊行シリーズ

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