断章のグリム 完全版1 灰かぶり/ヘンゼルとグレーテル
五章 葬送そして葬送 ⑤
後ろ髪を髪留めでまとめた彼女は、そう挨拶すると静かに微笑んだ。だが少女が鞄を持つように、体の前で合わせられたその手には、やはり重ねられたバケツが提げられ、その中には何本もの山刀と鉈、鋸などが突っ込まれていた。
「被害者は?」
簡潔に訊ねる娘に、颯姫が答える。
「この中の……入って左です。
「そう。ありがとう、颯姫ちゃん」
可南子と呼ばれた娘はそう言って微笑み、振り返って、無言でバンの後部ドアを開けていたあの男へと呼びかけた。
「……だそうよ、
「ああ」
男はそれだけ答え、後部ドアを最大まで開けてしまうと、中からさらに大量のバケツを出して、道路に降ろした。そして自分は最初に持っていたバケツ一つと、鉈を手に、大股に火葬場の建物へと向かって行った。
可南子は、蒼衣たちに微笑みかけて言った。
「じゃあ、また。……はじめましての君も、また機会があれば」
最後に蒼衣へとそう言うと、男の後を追って歩み去って行った。
思った。男の方が〈葬儀屋〉で、女の方は助手か何かだろう。間違えようもなかった。外見や性別は関係ない。その理解はただ一つ、男の纏っている、あの異様きわまる〝気配〟ゆえのことだった。
呆然と、蒼衣は呟いた。
「何だ……あれ……」
「自分が抱えた悪夢と、付き合い過ぎた人間。〈断章保持者〉の行き着く先の一つだけど、人としての正気をいくらかでも保ったままああなるのは、
そんな雪乃の解説を聞きながら〈葬儀屋〉の背中を見送っていると、蒼衣たちの連絡でここまでやって来ていた神狩屋が、火葬場の玄関から出てきて〈葬儀屋〉を出迎えた。
「たびたび済まない、
「役目だ」
例の調子で迎える神狩屋に、〈葬儀屋〉は答える。そして瀧修司という名前らしい、その〈葬儀屋〉は、笑みの一つも浮かべずに、神狩屋へと質問を返す。
「……仏の数は?」
「七人。全員〝
「多いな。わかった」
短いやり取りは、すぐに終わる。
そのまま〈葬儀屋〉は、可南子を伴って、建物の中へと入って行った。あまりにも、素っ気ない。しかし見ていた颯姫は、呟くように言った。
「今日はよく話しますね。〈葬儀屋〉さんが話すの、久しぶりに聞きました」
「え? あれで?」
思わず言う蒼衣。
「ええ、神狩屋さんくらいなんですよね。普通に話するの」
頷く颯姫。雪乃も否定はしない。そうしていると〈葬儀屋〉と別れた神狩屋が、蒼衣たちに近づいてきた。疲れたような笑顔をその顔に浮かべると、蒼衣たち三人を見回して、労いの言葉を口にする。
「……ご苦労様。まさに『シンデレラ』になってしまったね」
言って神狩屋は、手にしていたものを蒼衣に差し出した。
ぼろぼろの、茶色の塊。それはここの正面階段で蒼衣たちが見つけた、眞衣子のものだと思われる、破れた革靴だった。
差し出されたので、蒼衣は思わず受け取った。典嶺高校の、女子用指定革靴。すでに血は拭き取られているが、最初蒼衣が見つけた時には
それが階段の途中に転がっていたのを見つけた時には、正直ぞっとした。
童話のどの場面かは、説明も要らない。そしてこの場面の後は、グリム版なら足を切り、目を潰されるエンドへと一直線なのだ。
颯姫が言った。
「もうずいぶん、目が潰されちゃいましたね……」
「そうだね」
神狩屋は頷く。
屈託なく颯姫のような女の子の口から出るには、ぎょっとするような残酷な言葉だ。だが本人も、聞いている大人である神狩屋も、雪乃も全く気にした様子がないのは、こういったものが彼女らにとって、どれだけありふれているのかが窺える。
最初に雪乃が遭遇したという一人。
それから蒼衣が遭遇した、マンションの踊り場での一人。
そしてここで、新たに七人。
「九人。つまりこのモチーフが、最も重要ということだね」
軽く腕組みして、言う神狩屋。
「ほぼ確実に、今回の〈潜有者〉は杜塚眞衣子君だろう。彼女こそが『灰かぶり』だ」
「……」
それを聞いて、蒼衣は複雑な表情になる。ずっと疑って調査していたのは確かだが、こうして断言されてしまうと、また思いが違った。
「そうですか……」
「うん、もちろん中の被害者に〈潜有者〉が混じっている可能性もあるわけだけど、それは希望的観測だね。十中八九彼女で、その彼女が〝目〟に関する何らかの悪夢を抱えているんだろうと思う。それが解れば、この先どう出るかの手がかりになるかもしれない。できるなら彼女も、救ってあげたいものだけど……」
思案げに言う神狩屋。蒼衣も心の底から、同意する。
「……杜塚さんを、助けてあげられるんですか?」
蒼衣は、訊ねた。
神狩屋は答える。
「もちろんできる。僕たちはそのために、〈騎士〉として活動している」
「どうすればいいんですか?」
「神の悪夢である〈泡〉そのものは実にあやふやなもので、直接どうこうする手段はない。僕たちにできることは〈潜有者〉を〝顕現〟してくる悪夢から守り、〈泡〉の内容物が尽きるのを待つことだ」
「……」
「だからまずは、行方の知れない杜塚眞衣子君を探さなくてはいけない」
そこで神狩屋は、表情を微かに厳しくする。
「急がなくてはね。〈
神狩屋は言う。蒼衣は眉を寄せた。
「異端?」
「ああ、前はわざと君に詳しい説明をしなかったんだけど……〈
難しい顔で、神狩屋は答えた。
「なぜ説明しなかったというと、ショックが大きいかと思ったからだ。その〈異端〉となってしまうと、その人間は殺すしかなくなる。狂気は、悪夢の門なんだ。鍵の壊れた門。際限なしに悪夢を撒き散らす〈異端〉は、殺さなければならない。そうしなければ、周りにもっと大きな被害を出してしまう」
「……!」
確かにショックではあった。そうなった時に自分はどうすればいいのか、蒼衣は想像できずに、ただ表情を暗くした。
「…………」
嫌な沈黙が広がった。
そしてますます暗鬱なものが、ここにやって来た。
火葬場の入り口の自動ドアが開いて、中から可南子が出てきたのだ。そしてその両手に下げられた、バケツの中身が────
「!!」
「……ああ、白野君は見ない方がいいかも知れないね」
神狩屋の忠告は、明らかに遅かった。
見てしまった。可南子の手にしたバケツは血に塗れていて、その中にはぶつ切りにされた人体の破片が、なみなみと入っていたのだった。
バケツに入った血と肉と羽毛との混合物から、切断された腕が一本突き出ていた。
色が変わって見えるほど血塗れの髪の毛が、ごっそりとバケツの淵から溢れていた。
それを持っている可南子の手も血脂で汚れていて、白い顔にも赤い血が飛び散っていた。
むせ返るような血の臭いが広がる中、可南子は解体された死体の入ったバケツに手際よく蓋をすると、澄ました顔でバンの後部ドアから車の中に積み込んだ。
そして道路に置かれた新しいバケツを抱えて、建物の中へ戻って行く。
そのとき蒼衣と目が合った可南子は、血の斑点が飛び散った貌で、にこ、と柔らかく、優しげに微笑んだ。
「……!!」
あまりのことに竦んでいる蒼衣に、神狩屋が言った。
「済まない。いずれ知ることだと思って
血だけなら、三十分もしないうちに跡形もなく現場から消えてなくなる。薬品による血液反応すら消失する。それを利用して、彼は〈泡禍〉による被害者の死体を処理する。現時点では彼ほどの有効な死体処理係は世界的に見てもほとんどいない」
「……!」
神狩屋が蒼衣の肩に手を置いた。思わずびくりと震える蒼衣。
「い……生き返るんですか? 死体が」
「うん、まともな状態じゃないけどね、生き返る。修司はそれを家に持ち帰って、心臓が燃え尽きて再生しなくなるまで窯に入れて燃やす。完全に灰になるまでね。彼の本業は陶芸で、山の中の家に大きな窯を持っている」
淡々と説明する神狩屋。その落ち着いた言葉が、かえって怖ろしい。
「これから君が〈断章〉と共に生きるなら、必ず一度は彼とは関わることになる。覚えておいた方がいいと思う」
「灰に……」
自分の唇が震えているのが分かった。
「『灰』……『罰』……『罪』……」
頭の中で、次々と連想が組みあがった。
人を焼いた火葬場の『灰』。葬式の前に眞衣子が恐れを吐露した母親の『罰』。そしてあのマンションで、狂った女性が口にしていた────『罪』。
「人はみんな、火葬場で焼かれる……」
震える声で、蒼衣は呟いた。
「人はみんな最後に灰になるってことは……つまり人はみんな、『灰』ってことじゃ?」
「…………白野君?」
蒼衣の言葉。その呟きを聞くうちに、神狩屋の声が、みるみる真剣なものになった。
「確かに、人は『灰』だと言われているよ。多くの神話物語で、人は灰や、
神狩屋は言った。
「キリスト教の祈りにもこうある。『
「…………」
補強される。やはり、そうなのだろうか。
思いついてしまった。それならば。
それならば、まだ『灰かぶり』は──────何も終わっていないのだ。
神狩屋は訊ねた。
「白野君……君は、何を、思いついたんだい?」
「………………」
蒼衣の沈黙。
問いが、静かに夜闇に広がった。
そして物語は、最後の階段を転がり落ちる。



