断章のグリム 完全版1 灰かぶり/ヘンゼルとグレーテル

六章 終わりの始まり ⑤

 黒いゴシックロリータの衣装を着て、長いスカートと黒髪を、舞い散る火の粉にはためかせて、少女は立っていた。

 雪乃と違い、優雅に下ろされた髪には雪乃のものと全く同じ、黒いレースのリボン。

 そしてその衣装も、雪乃の着ているものとほぼ同じ仕立てのものだが、しかしその着こなしが雪乃とは全く違っていて、強く少女性が表れていた。


「……ふふ」


 少女は、雪乃とよく似た美貌を雪乃に振り返らせ、陶酔したような笑みを浮かべる。

 凄絶な、狂った微笑。少女は階段の中ほどに立ち、その両腕を大きく広げて、まるで正気を手放したシンデレラのように、楽しそうに一つ、くるりと回ってみせた。

 とてつもない苦痛に襲われながら、それでも必死で階段を見上げる雪乃へと向けて。

 その光景は、まるで、さかしまの姿を映す、一対の鏡像のようだった。


 ────時槻風乃。


 雪乃の苦痛を吸い上げることで実体を得て、その苦痛を意のままに炎に変える、借り物に過ぎない雪乃の〈断章〉の、いわば

 花のように風乃は微笑う。炎の中で。

 焼き払われる、せいな毒花のように。火刑に処された、魔女のように。


『……鳩って、臆病者の象徴でもあるって知ってるかしら?』


 風乃は燃え上がる階段を、優雅な動作で、静かに上がった。


『平和の象徴。そして灰かぶりの物語では、善意を助けて悪意を裁く〝裁く者〟の役割。でも所詮、無為な平和を望むのも、人を裁くのも臆病者のやることよ。〝異端のシンデレラ〟。あなたのようにね』


 くすくすと笑う。その足元には、よく見れば陽炎のような炎が燃えながら形を成し、円と奇怪な図形を組み合わせた、見たこともない魔法円のようなものを描いていた。

 円と、FLAME IS PAINフレーム・イズ・ペインというアルファベットを、魔法円のような形に成形して作られた風乃の紋章。雪乃は詳しく知らないが、実在する魔術の一派の手法で作ったものだと、生前の風乃が言っていたのを、辛うじて記憶していた。

 風乃の〝象徴〟。

 その象徴の中央に、あたかも魔法の円の中に召喚された悪魔のように、風乃は微笑んで、踊り場に立った。

 眞衣子を、風乃は静かな、しかし凄まじい狂気に彩られた微笑で見下ろす。それを座り込んだまま見上げる眞衣子は、火傷を負い、そこからおぞましい〈異形〉化の片鱗が止まらない顔の半分を隠すように手で押さえて、恐怖に満ちた表情で、目の前に立った風乃の姿を見上げている。


「あ……あ…………」

『可哀想な子。ただ歪みとそれがもたらすものに吞み込まれただけの、抵抗する意思も論理もない弱い〈異端〉』


 哀れみに満ちた目と、笑みに歪んだ口元で、風乃は言った。


『哀れなシンデレラ。あなたの痛みは、どんな色で燃えるのかしらね? 見てみたかったのだけど、でも今は私は、慈悲深い魔法使いになってあげる。せめて王子様の手で、この悪い物語を終わらせてもらいなさい?』


 風乃は言う。それを見上げ、止まらない血と苦痛に塗れ、今にも真っ白な彼方かなたへと意識が消え失せそうな雪乃だったが、しかしそれでもその意識の端で、いま発された風乃の言葉を、不審に思う。


「風乃……」


 苦しい息の下で、燃え上がる業火とその中に立つ黒い亡霊を見上げ、雪乃は言う。


「それって……どういう……」

「ごめん、雪乃さん、横通るね」


 その時、雪乃の横に、モスグリーンの制服が立った。


「え……」

「うん、心配かけて、ごめん」


 いつの間にか正気を取り戻していたらしい蒼衣は、雪乃の脇を通って階段を上がり、ちらと雪乃を振り返って、力弱い笑顔を浮かべた。


「…………誰もあなたなんか、心配してないわ」

「……そっか」


 思わず憎まれ口を叩いた雪乃に、蒼衣はただ笑ってみせた。そして、〝鳩〟がほとんど燃え尽き、今は赤い絨毯ほどに火勢の落ちた階段を、蒼衣は踊り場まで上がっていった。


『おはよう。目が覚めたかしら? 白野蒼衣』

「うん……」


 風乃の問いに、蒼衣は複雑な表情を浮かべてそれだけ答えた。だが風乃の問いも、蒼衣の答えも、ただ聞いた通りの、それだけの意味ではなかった。


『もう自分の〈断章〉に気づいたかしら?』

「うん……」


 蒼衣は答える。階段の下で、雪乃は思わず目を見開く。


『なら、自分のすべきことは分かるわね?』

「……うん」

『この可哀想なシンデレラが違うものに変わってしまう前に、あなたが終わらせてあげる。あなたが終わらせるの。この悪い夢を』

「うん……わかってる」


 蒼衣は言った。そして床に座り込んで震えている、眞衣子に近づいた。

 その時、雪乃は蒼衣がその片手にぶら下げているものに気がついた。それは火葬場の階段で拾った、眞衣子のぼろぼろの革靴だった。蒼衣は形容しがたい、悲しんで、それに耐えて、しかし同時にひどく醒めているような、奇妙な表情をしていた。蒼衣はそんな表情のまま眞衣子の前に立つと、膝を突き、手にした靴を差し出した。


「杜塚さん、忘れ物……届けにきた」

「………………白野君……」

「ごめんな、何もできなくて。間に合わなくて。それに、杜塚さんの気持ちにも気づいてて、でもそれを無視してて」


 眞衣子は蒼衣の言葉を理解しているのかいないのか、呆然とした表情で、ただ蒼衣を見上げている。


「でも……ごめん。まだ、謝らなきゃいけない」


 蒼衣は、目を伏せて言う。


「僕は、王子様なんかにはなれない。僕は、君を拒絶しに来た」

「…………」

「ごめん……ほんとに、ごめん」


 ぎり、と蒼衣の口元が、嚙み締められて歪む。

 眞衣子は何も言わなかった。ただ蒼衣が目の前に立った時の呆然とした表情のままで、目の前の蒼衣を、見つめていた。

 顔の片方を恥じるように隠したまま。

 しかし、沈黙の、その後。


「……いいの。ありがとう」


 微かに、その口元に微笑を浮かべた。そしてまだ無事な片方の頰に、つう、と一筋、涙が流れて落ちた。

 がり、と蒼衣の奥歯が折れそうなほど嚙み締められた音が聞こえた。

 しかし蒼衣は次の瞬間毅然として顔を上げると、眞衣子に向かってはっきりとした言葉で、語りかけた。


「よく聞いて、杜塚さん。〈本当の君は、何だ?〉」


 そして、叫んだ。



「〈君の好きにすればいい。君の本当の形は、君しか知らない。誰も君の形を、縛ってなんかない────変われ〉!!」



 瞬間。ぱん、と巨大な泡が割れるような気配が、空気に広がった。

 見えないが、巨大で、決定的な何か。そしてこの場に満ちていた、全ての〈泡禍〉の気配が渦巻くように反転収束して──────


 炎も何もなくなった階段の踊り場に、あちこちが焼け焦げた制服が落ちていた。

 そして白い、本当に白い鳩の一群が、学校の開け放たれた廊下の窓から、学校の周りを巡るように舞って、どこかへと飛び立っていった。


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刊行シリーズ

断章のグリム 完全版6 いばら姫の書影
断章のグリム 完全版5 なでしこの書影
断章のグリム 完全版4 金の卵をうむめんどりの書影
断章のグリム 完全版3 赤ずきんの書影
断章のグリム 完全版2 人魚姫の書影
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