竜胆の乙女 わたしの中で永久に光る

一 ④

 檜葉が先頭に立ってこれらの客人を大広間に案内する。竜胆はこれに出遅れたためにぞろぞろと移動する闇の群れを眺めることしかできなかった。これらは静かであるのに実にざわざわとい動きをする。


「今行ってもお客様の邪魔になるからしばらくそこに居るといいや。おれらも車を片したら大広間に行くから共に行こう」


 立山がこう言うので、新しい屋敷の主はのろのろと下男二人について大広間へ続く廊下を歩いて行った。


「今日は花の御膳だったからきっといつものあれをやるんだろうなあ。今宵のおかとときはあれで満足するだろうか?」

「わからん。先代の竜胆なら空気が悪くなりゃ機転を利かせてあれやこれやできるんだが、今日は檜葉しかいないからなあ」

「先代の考えた余興だけでこの先やっていくんじゃじきにおかとときも飽きちまうな。お嬢さんの方に新しい余興を考えてもらわなきゃいけねえ」

「念のため焼け火箸を用意しておこうか」

「うむ」


 竜胆は下男二人の会話の意図がめなかったが、かといっておいそれと声を出すこともできずにいた。大広間が見えてきたと思ったら、急に檜葉に強引に腕を引かれて客人たちの前に突き出された。


「こちらが先ほどお話しした二代目の竜胆でございます。未熟者ゆえ本日は代わりにわたくしがお勤めをさせていただきます。至らぬこともございますがなにとぞご容赦いただけると幸いにございます」


 檜葉が深々と頭を下げるので竜胆も慌てて頭を下げたが、ふいに見えた檜葉の脚は冬かと思うほどに震えていた。

──やあこれが例のお嬢さんか。でかいずうたいの先代からこんなにきやしやなお嬢さんに交代だなんて随分な変わりようじゃないか。

──先代と違って随分かわいらしいこと。

──やあ、お父さんが亡くなってお気の毒だったね。竜胆もあんな大きななりをして簡単にくたばってしまうんだから、情けないじゃないか。

 口はないのに喋りは達者とみえて、客人は思い思いに言いたいことを言っては笑う。その声は男とも女ともつかず、また二重にも三重にもなって響いた。重く太い声で響くのに、耳を澄ますと中に一本氷のような硬い芯が通っているので耳にする方はぞわぞわと居心地が悪く耳障りである。

 さてこれから何が始まるのかと身構えていると、白樺と立山が金屛風の前に座っていた例の美しい三人の男を引きずって客人たちの前に突き出した。ごろりと転がる彼等の前で脅すように地団駄踏むと、三人は再び礼儀正しく正座した。


「本日はお花の御膳をご用意しております。お道具もご用意していますから、お好きにどうぞ」


 おかとときがどっと沸いた。最初に標的になったのは惜菫である。

 惜菫は肌の色白く、女のように細身、月の光のような美男であった。香料よろしく纏うのは憂い、細い眉はいつだってひそめられ、悩まし気にしてそこにいる。眼鏡は彼の気難しい印象を強めたが、その奥にある二つの瞳は、まるで海の底で静かに光る宝石のようであったので、見る者は感心してそれに見入ってしまうのであった。

 誰が触るともなく惜菫の口は自然と開いた。顎が外れるかと思うほど大きく開かれ、喉の奥から、ああ、ああ、といううめき声が聞こえる。

──いったい幾つ入るだろうかねえ。ねえきみ、少し賭けてみませんか。

──いやあ、この花は大振りだから、そんなには入らないんじゃあないか。

──この花はなんという名前なのかね。


「それははまでございます」


 おかとときの問いに檜葉が答えた。

──なるほどそうか。

 御膳の箸がついと浮いて浜茄子をひとつ摘まんだ。しかしそこに横槍が入る。

──でもあたくし、ひとつのお花よりも色んなお花を詰めてみたいわ。そっちの方が見栄えがいいんじゃなくて。

──なるほど一理ある。賭けはひとまずやめておきますか。

──そうしましょう。

 すると浮いた箸がついと動いて惜菫の口の中に浜茄子をぐいと押し込んだ。加減を知らぬらしく奥へ奥へと箸は入り、あまりの苦しさに惜菫の目や鼻や口がれて汚れた。

──まずひとつ入ったかな。

 おかとときが満足気に言った。しかしその矢先、惜菫がみ込んだ浜茄子を吐いてしまった。浜茄子は彼の唾液にまみれててらてらと光っていた。惜菫はまだしわぶいている。


「うちの玩具がたいへん失礼致しました。あとできつく叱っておきますから」


 檜葉が頭を下げるとおかとときはこれを遮って、

──いやいやこれも少しは面白かったから。

──どうだろう、色んな花を詰め込んで、彼が何を吐き出すかを当ててみるというのは。

 おかとときがそう言うや否や御膳の箸がいくつも持ち上がって惜菫を囲んだ。おかととき自体は膨らんだり縮んだりを繰り返す幻影のようなものでその場からは動かない。ただ箸だけがついと浮いてあちこちに動き回るのである。しかし箸の作法はよくわからないと見え、ただしく花を摘まんでいるのもあれば、突き刺しているのもあった。

 花は次から次へと彼の腹の中に押し込まれ、惜菫の無様な悲鳴が響く度に、おかとときは、

──いいねえ。

と機嫌を良くした。惜菫の腹はとうとう子を宿した女のごとく膨らんだ。

 これに気分を害したのはこの屋敷の新しき主である。彼女は蛮行を止めるべく眼光鋭く惜菫のもとにけ寄ろうとしたが、立山がこの娘の腕を摑み叱責した。露出した左目がぎらりと光る。


「いけねえやお嬢さん、勝手なことせず大人しく座ってな。下手打ったらおれ達全員死んじまわあ」


 竜胆は、夕方藤潜がこの立山に殴り倒されたことを思い出した。さらに檜葉の言いつけも思い出し、苦々し気な表情を浮かべて静かにその場で両膝を折った。

 腹のぱんぱんに膨らんだ惜菫が泣きながら花を吐き出すのを見ていると、別のおかとときが言った。

──あたくしその遊びは退屈だわ。花の御膳ですもの。いつもの遊びがしたいわ。

 このおかとときが選んだ玩具は八十椿であるらしかった。

 八十椿は星を思わせるような美少年であった。大人しく繊細で、美しい漆黒の髪と大きな瞳を持っていた。年若いゆえに男でもなく女でもないところにいて、笑うときもはにかむような弱さがあり、この先、光と闇のどちらに落ちていくかわからない、あやうさを持った流れ星だった。

 八十椿の襟元がついと引っ張られ、畳の上をられていくつも連なる闇の方へ向かっていく。


「いやだ、たすけて、たすけて。ぼくは嫌だ。助けて、お願いします、後生ですから」


 嫌がる八十椿はおかとときにはたいそう面白く見えるらしい。おかとときの笑い声があちこちで響いた。やはり八十椿の口も顎が外れるほど大きく開かれ、いろんな種類の花を挟んだ箸がいくつもいくつも詰め込まれた。

──これでいいかしら、もう十分詰め込んだわよね。お道具いただけないかしら。


「はいただいま」


 檜葉がそそくさと駆け寄って、かます針、ひし針、忍針など様々な針の載った盆を差し出した。


「どうぞお好きなものをお使いください」


 様々ある針の中からおかとときが選んだのはくつ針である。ついと浮かび上がって八十椿の腹を突き刺し、そこに大きな穴をあけた。苦痛のあまり八十椿の悲鳴は尾を引いた。

──それじゃあ次ね、さあ鬼さんこちら。

 最後に藤潜がおかとときに呼ばれた。

 藤潜は太陽のちようあいのもとで生きてきたかのような美男である。肌は浅黒いがきめ細かく、黒い瞳はさほど大きくはないものの、それを縁取るべく密集したまつは迫力があり、鼻筋はれいに通って、唇は紅をさしたかのように鮮やかである。憂いやはかなさとは無縁の力強い美しさを持ち、見る者を摑んで放さないような魅力があった。

 途端に藤潜の両の目はついと浮かび上がっておかとときに取られた。あめだまのような藤潜の目が二つ宙に浮いている。目玉を取られて藤潜は何も見えない。

──心配しなくても大丈夫よ、ちゃあんと最後に返してあげるから。いつだってそうでしょう。

──ねえ、音楽くださいな。

 檜葉は快活に返事をし、おびえて座る竜胆の羽織をついと肘でつついた。


「琴、お弾きになりますね」

「え、ええ」



刊行シリーズ

八千草の兄妹 言の葉は川に流れるの書影
竜胆の乙女 わたしの中で永久に光るの書影