竜胆の乙女 わたしの中で永久に光る

二 ①

 新しい竜胆を迎えた初めての宴が終わった。

 檜葉、立山、白樺の下男の三人が仮眠から覚めると既に昼をまわっていた。彼等は布団を雑に畳んで押し入れに叩き込み欠伸しいしい八畳の裏座敷から出て行った。裏座敷は下男たちの寝起きの場になっている。


「やれやれ、宴が終わっても後始末が残っているから鬱陶しいや。おれはこの作業が一番きらいかもしれねえ」

「全くだ。できることなら何もしないで夕方まで眠っていたいよ」


 立山と白樺が首を左右に振って豪快に音を鳴らした。普段なら真っ先に台所に向かうところだが今日ばかりは勝手が違った。普段と違う方向に廊下を進んでいく。その中で思い詰めた顔をしているのは檜葉である。


「竜胆はちゃんと眠っただろうか」


 檜葉の問いかけに立山と白樺は知らねえと適当に打ち遣ってまたひとつ欠伸をした。

 そうして辿り着いたのは竜胆の仕事部屋である。何だかんだ言いつつ私たちは竜胆を心配していた。父親を突然亡くした後に急に呼び付けられ、何も分からぬまま地獄の様相を見せつけられた十七の娘。恐ろしさのあまり部屋で一人むせいていてもおかしくはない。

 檜葉が襖越しに声を掛けた。


「竜胆、御加減いかがですか。もう起きていらっしゃいますか」


 しかし襖はしんとして静かである。何の返事もないので下男たちは整った顔を見合わせた。


「返事がないのなら眠っているのかな。初日だし夕方でも夜でも好きに眠らせてやってもいいが」

「眠っているならいいけどなあ。昨晩の衝撃に耐えきれなくて首でもくくってたら大事だな」


 立山の言ったのは軽口だった。しかし私たちはそれを受け流すことができなかった。

 昨日のことを思い返してみればあり得ない話ではない。嫌味を言われても言い返すような負けん気の強い娘ではあったが、その鼻っ柱を折ってやろうとばかりに屋敷の人間がこぞって意地の悪い応対をしたのは事実であった。商物であるふじくぐり椿つばきせきすみれ、下男の檜葉、立山、白樺、誰も新しい主に優しい言葉は掛けてやらなかった。おかとときからも屋敷の人間からもつらく当たられては折れてしまうのも無理はない。

 それぞれに思い当たる節があり、下男たちはばつの悪い思いで互いの顔を探るように見遣った。

 しかし罪をなすけ合うように視線を投げつけ合っていてもらちが明かない。この中で最も責任感の強い檜葉が動いた。


「竜胆、すみませんが開けますよ」


 檜葉がそう言うのと同時に勢いよく襖が開いた。

 誰もいなかった。無人の部屋特有の冷たい空気がそこに充満しているだけである。

 中に入って念入りに調べたがどこにも娘の姿はない。先代の竜胆の道具が無造作に転がっているばかりで布団が敷かれた跡もない。


嗚呼ああ、これは逃げたな」


 立山が露出した左目を細めて肩を竦めた。それを追いかけるようにして私たちも深いためいきを吐く。

 新しい主に逃げられたのは大変なことではあるが、娘に首を縊られることに比べればなんてことはない。しかし先代の竜胆の仕事が過酷なのは事実ではあるにしても、もう少し娘に気を遣って優しく接してやれば良かった。下男たちは昨日の振る舞いを思い返して反省した。


「お嬢さんは今頃東京行きの列車の中かしら。それとももう東京に着いているかしら」

「そんなことより新しい主が逃げ出して、この先おれ達どうやっていけばいいんだろう」

「わからん。とりあえず今日の仕事はきっちり終わらせよう。考えるのはそれからだ」


 がらんどうになった竜胆の仕事部屋を後にして次に向かったのは台所であった。慣れた調子で檜葉がひるの準備を始め、立山が鉄瓶を火にかける。湯が沸いた後、立山はそれを盆の上の三つのわんに注いだ。注がれる湯の音に立山の鼻歌が混ざり、次第に湯気と薬の匂いが台所に立ち上る。は薬入りらしかった。


「そんじゃあちょっくら行ってくらあ」


 立山と白樺の二人はこれから昨晩の宴の舞台であった大広間の後片付けに行くのである。檜葉に見送られて二人は台所を出て行った。


 白樺が襖を乱暴に開けるのと同時に私たちは宴会場にどかどかと入り込んだ。

 座布団や花弁がそこかしこに散らばって酷い有様である。四七畳もの広い部屋を見渡して立山と白樺は片付けの手順を考えているらしかった。しかし部屋の奥に意外な人物の姿を発見すると驚きのあまり飛び上がった。

 金の屛風の傍には三人の美しい商物が寝そべっている。その傍らに腰を下ろしていたのは、マガレイトの可憐な娘だったのである。


「お嬢さん、いらしったんですか!」


 白樺が声を掛けると娘は顔を上げた。娘の黒く愛らしい目がらんらんとしている。顔の色は白を越して青く生気がない。この様子では恐らく一睡もしていない。

 惜菫の傍に、床の間に置いてあったはずの花器があった。中の花と剣山が抜かれて花弁混じりのしや物が入っている。

 八十椿の腹部と藤潜の目元には濡れたハンカチが当てられていた。畳の上のおけのぞけば水が入っている。

 娘は逃げ出すどころか夜通し商物の三人を看病していたのである。立山と白樺がよく似た顔を見合わせた。

 正直なところ、放っておけば傷が治る相手を寝ずに看病するのは無駄としか言いようがなかった。手当ては先代もやっていなかったと昨晩下男たちも伝えたはずである。

 下男の二人は娘に何と声を掛けたら良いものか悩んでいた。それでも夜通しおうする惜菫の背中をさすってやった手は彼の慰めになったであろうし、冷たい水を含んだ手巾は藤潜と八十椿の痛みを和らげたはずである。それは彼等にも理解できていた。

 悩んだ末、二人は新しい屋敷の主に頭を下げた。


「竜胆、お勤めご苦労様でした」


 昨晩とは打って変わった神妙な態度に竜胆は驚いた顔をした。私も驚きながら深く頭を下げた二人を見ていた。

 しかし数秒もつと、二人は何もなかったかのように涼しい顔に戻り、金屛風の傍で眠っている美しい商物の三人を順に蹴り始めたのだった。


「そら、起きろ起きろ。もう昼だぞ。寝たいんだったら自分の寝床に戻って寝ろ。片付けの邪魔だ」


 下男に蹴られた三人は芋虫のように身体を丸め、欠伸ともほうこうともつかない寝起き特有の妙な音を口から出した。それからめいめい頭をき目を擦り、身体を起こして、立山から差し出された盆から白湯の入った椀をえない顔で一つずつ受け取った。

 白檀の香りは夜と共にせていた。さっきまでうっすら漂っていた吐瀉物のえた臭いは今は湯気と薬の匂いに上書きされていた。


「ああみるね。毎度のことだがこれを飲むとやはり仕事をやり切ったという心持になるよ。おい八十椿、腹から零れないよう気を付けろよ。俺は目から零れないよう気を付けるから」


 猫舌なのか品性によるものなのか、藤潜が音を立てて白湯を飲み、胸の辺りをばりばりと搔きむしった。藤潜の質の悪い冗談にどう返したら良いか分からないらしい八十椿は少し困った顔をしてはにかむように笑っている。惜菫は眼鏡を曇らせて黙って飲んでいる。

 泣いて喚いていた三人の姿はそこにはない。昨晩の緊張は薬の匂いと白湯の熱ですっかり解け、今はどこにでもいる寝起きのだらしない男になっていた。

 これを見てげんな顔をしたのは竜胆である。あまりにものんな雰囲気なのできつねにつままれたような心持になったらしかった。恐る恐る口を開く。


「お身体の方はもうよろしいの」

「よろしくはないがよろしくってよ」


 藤潜は随分と軽い調子で言った。まるで何事もなかったかのようにぴんぴんしているので竜胆はまだ戸惑っている。


「あの、父のせいで辛い思いをさせてしまって、本当に御免なさい。父があなた達にこんなことを強いていたなんて少しも知らなかったの。父の仕事を継ぐように言われたけれども、わたしはこんな非人道的なことは即刻やめるべきだと思っています」

「やっぱりお嬢さんは何も知らされていないんだなあ」



刊行シリーズ

八千草の兄妹 言の葉は川に流れるの書影
竜胆の乙女 わたしの中で永久に光るの書影