竜胆の乙女 わたしの中で永久に光る

二 ④

 昼餉が済んでから下男の三人は各自仕事に勤しんでいた。立山は買い出しに行き、白樺は衣服と紙幣にを当てていた。檜葉は硝子窓の水拭きをしていたが、それが済んだので庭を掃き清めようと外に出た。夕方の頃である。松の木に何かがぶら下がっていることに気付いた檜葉は大声で仲間を呼んだ。

 丁度その頃には立山も買い出しから戻ったらしく、三人は松の木の前に集まって相談を始めた。果たしてこの知らせを竜胆に見せるか否か。竜胆は仕事部屋でまだ眠っているはずである。夜通し看病しやっと眠れたのを起こすのは気の毒ではないかと思ったのだ。たとえ今日を逃してもおかとときの知らせは今後何度でも見ることができる。その意見には私も同意だった。

 そこで口を開いたのは白樺であった。彼は廊下で聞いた竜胆の悲痛な叫びを思い出していた。


「確かにお嬢さんには休ませてやりたい気持ちもある。しかし今は叩き起こしてでも見せた方がいいだろう。お嬢さんは自分が何も知らないことを気にしている。これを見せなかったらまた深く傷つくだろう」


 白樺がそう言ったのに他の二人も同意した。それで檜葉は竜胆を呼びに行き、立山と白樺は宴会場の硝子戸を開いてそこから松の木が見えるよう調整した。

 暫くして竜胆が大広間の宴会場に現れた。マガレイトの髪はいくらかほつれ、顔は少しんでいた。しかし可憐な瞳は緊張でしっかりと開かれ、とても寝起きの人間だとは思えない。


「竜胆、御覧ください。あれがおかとときからの知らせです」


 檜葉が開かれた硝子戸へ竜胆を誘導する。竜胆は硝子戸の傍に立つと身を乗り出して松の木を見た。そこには夕暮れに赤く染まる空を背景にして、羽衣のように風でなびいている帯があった。


「今回松の木に結われたのは帯ですね。結われるものは何でも良くて、飾りひものときもあれば千代紙のときもあります」


 檜葉が説明していると庭に出ていた立山が松の木から帯を解いて竜胆の方へ持って来た。檜葉が竜胆に向き直って言う。


「これが明日来るおかとときです。手に取ってじっと見つめて御覧なさい。いろいろと見えてきますから」

「見えてくるってどういうことなの」


 竜胆が警戒するように言った。


「いいから手に取って御覧なさい」


 しかしおかとときが結んだものということもあり竜胆はそれに触れるのを躊躇ためらった。檜葉と立山と白樺が一斉に竜胆の顔を見る。空気がややひりついた。それで竜胆は腹をくくって、威勢よく手を伸ばした。

 竜胆の白い手の中で羽衣はじきにんだ。すると肌を通して溶けていくようにある幻想が竜胆の内側に広がり始めたのである。夢とも幻ともつかぬ映像が頭の奥でまぶしくひらめき染みわたる。


「見えましたか。これが明日来るお客様です。おかとときの連中は毎回こうやって知らせてくれるんです」


 せんこうはふいに閉じて竜胆の脳裏から去った。巨大な打ち上げ花火が終わったような余韻と疲労に竜胆の足元は少しふらついた。身体の内に残ったのはおかとときの膨大な情報と感覚である。


「驚いた、こんな風に知らせてくるのね。言葉にはできないけれど理解はできる。これによると明日はそんなに大勢で来るわけではなさそうね。十人と見積もっておけばいいのかしら。それともそれでは足りないかしら」

「おかとときに数なんてのは無意味です。あまり気になさいますな。大規模か小規模かわかればそれでいいのです。腕車は一台か二台か、用意する部屋は大部屋か小部屋か、遊びはどれにするか、そのぐらいでいい」


 檜葉が言った。すると立山が険しい顔をして竜胆に向かって言う。


「おれ達がおかとときを拒むことはできません。できることは普段通りおかとときを持て成すことだけです。おかとときの興を殺がぬよう、機嫌を損ねぬよう、全身全霊で挑まないといけない。お嬢さんだっておれ達のように記憶を取られちゃあかなわないでしょう。くれぐれもお忘れなきよう」


 傍らで檜葉は例の帯に手を伸ばした。慣れた手つきである。明日のおかとときの姿を全身で感じとった檜葉は竜胆に向き直った。


「竜胆、とりあえずは明日のおかとときの余興について話し合いましょう。前回と違い明日は竜胆が主としておかとときを持て成すのです。ご存じのように厄介な相手ですから、気を引き締めてかかってください」


 おかとときからの知らせを知った竜胆はすっかり興奮していた。下男の三人は娘にゆうまで仮眠を取らせてやるつもりでいたが、その必要はないと竜胆が断ったので、そのまま道具部屋へ案内することにした。


 道具部屋は一六畳のどことなく陰気な薄暗い部屋である。ながもちと背の低い簞笥が並んでおり、壁には女面、おきな面、鬼面などの能面がしきつめられるように飾られている。中には見慣れぬ動物の能面まであるので、竜胆は感嘆の声を漏らしてそれらの前に立った。私も壁一面に飾られた様々な能面に感心していた。


「薄暗いので足元にお気を付けください」


 檜葉に注意を受け足元を見やると、そこには色とりどりの美しい加賀まりが並んでいた。これらにあしらわれている幾何学模様を薄暗い部屋で見るのは何とも残念である。竜胆は薄紫色のものをひとつ手に取った。中に鈴が入っているのかころころと愛らしい音がする。


「この部屋にあるものみんな余興に使うための道具なの」

「そうです」


 檜葉は小さな手で部屋の奥にある長持を重々しく開いた。


「わたくしがご提案する遊びは貝合わせです」


 ごうしやな金の貝桶をひもいて出てきたのは四寸にもなる大振りのはまぐりの貝殻二十四枚。それらには全てきんぱくが貼られており、内には地獄絵図の責め苦が描かれていた。貝を正しく合わせたおかとときが、描かれた責め苦を商物の一人に味わわせることができると檜葉は説明した。


「こちらの遊びでしたら今の竜胆でも十分おかとときを満足させることができます。くぎぬきうすきねや鍋いっぱいの煮えたぎる湯なんかはわたくしどもが用意しますし、竜胆は愛想よく座っているだけで良い。琴でも鳴らしていただけたら尚良いのですが、まああいにく先日の腕前では……」

「……悪いけれども、他のものをお願いしたいわ。あの人たちが地獄の責め苦を味わう姿を落ち着いて見ていられる自信がないの」


 檜葉はめんらい、温いことを言う新しい主を叱責するように目をぎらりと見開いた。しかし娘はしおらしく頭を下げ、もう一度檜葉に懇願する。


「頼みます。どうか」


 初日のような気の強さで何か言って来るのであれば檜葉の方も容赦しないところであったが、調子が狂った。それにあまりこちらが強く出て今度こそ娘に逃げられてしまっても困る。

 そこで檜葉は長持の中をあさり次の遊びを提案した。


「ではこちらの絵すごろくはいかがでしょうか」


 檜葉は絵巻物を取り出し畳の上に広げた。そこには一人の高貴な女性が落ちぶれて命を落とすまでの物語が美しい筆遣いで描かれていた。どことなく九相図を思わせる絵である。


「これはおかとときを三組に分け、各組に商物を一人ずつ宛がって進める遊びです。さいを振り、この絵双六に止まったところに描かれた絵と同じ運命を商物に背負わせるのです」


 双六の初めは女性が化粧をしたり美しい着物を身に纏ったりする絵が続いた。果物を食べている絵もある。


「これをあの三人にさせるのです。ふりではありません。化粧道具や着物や果物もすべてこちらが用意して実際にさせるのです」

「男に女の真似をさせるというの」

「良いご趣味でしょう。御父様がご考案になった遊びです」


 難色を示した竜胆に檜葉が軽く釘を刺した。今の竜胆にできる範囲でおかとときを満足させ得るものは少ない。この絵双六は貝合わせ同様、主が何もせずとも成立する類の遊びである。


「ちょっと待って頂戴。この絵双六、あがりの絵は女の骸骨の姿だわ。この場合、あの三人はどうなってしまうの」

「すべて絵の通りになります」



刊行シリーズ

八千草の兄妹 言の葉は川に流れるの書影
竜胆の乙女 わたしの中で永久に光るの書影