竜胆の乙女 わたしの中で永久に光る

二 ⑤

 途端に竜胆の身体が恐怖で戦慄わなないた。その唇が開く前に檜葉は鋭く切り込む。


「竜胆、昨日御覧になったとおり、商物の身体は宴が終わればすべて元通りです。ほんの一晩のことなのですよ。それにこれは貝合わせよりもずっと身体の負担も軽いはず。今はわたくしどもは選べる立場にないのです。どうかご理解ください」


 竜胆は押し黙った。檜葉の言う通りである。


「わかったわ。己は思案せず、嫌だ何だと既存の遊びに文句をつけてばかりで御免なさい。この遊びでよろしくお願いします」


 竜胆は素直にび、檜葉に向かって深く頭を下げた。

 これで明日の宴の余興は双六に決まった。



 明くる日の夕方、白樺が玄関先を掃き清めていると百足むかでがいくつもいくつも現れてその身体をうねらせた。


「おや、始まったか」


 白樺はたけぼうきを止めて百足の群れを見やる。うねり絡まり合った百足は次第にその身体を失い文字の形を作ったが、まばたきを三回するほどの時間が経つと赤い砂になって崩れた。


「いらしった」


 白樺は声を張り上げた。


「檜葉、おかとときから便りが届いた。腕車を出して迎えに行って来る」


 その声に竜胆の背筋がぴんと伸びた。檜葉と目が合うと意を決したように頷き表座敷を調えに行く。ここは竜胆が初めて屋敷に来たときに通された部屋である。その部屋に竜胆と檜葉の二人が香をき座布団を敷いて絵双六と道具を並べていく。前日から檜葉のもとで段取りを何度もさらっていたので不備はない。

 それが終わると竜胆は火熨斗を当てたばかりの紫の羽織を身に着け、玄関の上框で座って待った。背筋はぐに伸びている。


「竜胆、くれぐれも頼みますよ」


 ふいに立山が現れて竜胆の耳元で囁くように言った。竜胆が驚いて振り向いた頃には、彼は廊下の奥へと消えていた。竜胆と同じく上框に正座をした檜葉が言う。


「立山は雑で乱暴者ですが、あれでいて商物の連中を一番気にかけているのです。今日の宴も竜胆が主を務めるということで心配なんでしょう」


 藤潜に拳骨や蹴りを入れる一方で、薬入りの白湯を与えたり買い物に応じたりする立山の姿を竜胆は見ていた。竜胆は静かに深呼吸をし、再度背筋を伸ばし座り直した。


「お着きい」


 とうとうおかとときの到着を知らせる白樺の声が響いた。

 弾かれるように檜葉が飛び出し玄関の戸を開く。たいそうな造りの門をくぐっておかとときが次々とこちらに向かって来るのが見えた。

 ゆらめくおかとときの影は見るだけでやはり背筋の凍るものである。しかし紫の羽織を着た竜胆は意にも介さず笑顔で出迎えた。若い娘らしい華やかな笑顔であった。


「どうぞ皆さまよくぞおいでくださいました。わたくしが二代目竜胆でございます。本日はわたくしが皆さまを誠心誠意お持て成しいたします」


 おかとときの影はゆらゆらと揺れて一人二人と増えていき、少し感じ悪くひそひそと笑い合った。

──ああ、きみが二代目。例の未熟な新参者だね。聞いているよ。

 未熟な新参者という棘のある物言いに、今日の客人はひょっとすると機嫌が悪いのかもしれぬと檜葉は少し怯んだ。しかし竜胆はまるで聞かなかったような顔でおかとときを中に通した。振り返ったときの表情はやはり花のような笑顔である。


「さあお客様、お部屋はこちらでございます。準備はすべて調っておりますので、どうぞ」


 腕車を片付けてきた白樺が檜葉に囁いた。


「どうなることかと思ったが、なかなか肝が据わっているじゃないか」

おや譲りなんだろう。先代も豪胆な人だったから」

「しかしあんまり油断しない方がいいな。過剰に無理をしているだけかもしれないんだから。ああいうのは一旦突かれたら脆い」


 白樺の言葉に檜葉が用心深く頷いた。

 おかとときの通された客間には惜菫、藤潜、八十椿の三人が既に座らされていた。座布団無しにながじゆばんだけを纏っている姿は美男といえどもみすぼらしかった。


「さあ皆様お揃いでしょうか。本日お客様に愉しんでいただくのはこちらでございます」


 竜胆の合図で立山と白樺が絵巻物を畳に置いた。美しい女性が落ちぶれていくまでのむごい絵双六が静かに広がってゆく。


「本日の余興はこの絵双六でございます。皆様には三つの組に分かれていただき、この者どものうち一人を各組にお貸しいたします」


 笑顔の美しい竜胆がはつらつとした声でおかとときに絵双六の説明をしていく。檜葉とさらった通りの台詞せりふだ。おかとときは大人しくそれを聞いていたが、ひと通り説明が終わるとこう言った。

──どうだろう。我々が三組に分かれるのではなく、二組に分かれて、残りひとつを二代目竜胆にやってもらうというのは。

 檜葉の顔にたちまち焦りの表情が浮かんだ。こんなやり取りは想定していない。


「つまり、わたくしが皆様と絵双六をご一緒すると」


──そういうことになるね。

 しかし竜胆はなんてことはないと言った風で、口元に手をやってその辺の女のよくやるようにほほほと笑った。


「皆様とご一緒できるだなんてたいへん光栄なことでございますわ。けれども、お客様の愉しみをわたくしが奪うわけにはいきません。大変恐れ多いことでございますので今回は」


──できないというのかね。

 おかとときの言葉がぴりりと響いた。竜胆がこれ以上拒めば場の空気は急速に冷える。

 下男三人、商物三人、いずれも祈る心持で竜胆を見た。しかしやはり竜胆は少しも狼狽うろたえず、明け方花が開くように悠然と笑った。


「とんでもない。たいへん光栄なことでございますわ。それではわたくしも、せんえつながら絵双六に参加させていただきます。どうぞお手柔らかに」


 かんとして笑い、優雅に頭を下げた。男たちは静かにあんの息を吐く。


 おかとときが受けたのは藤潜と惜菫の二人、竜胆が宛がわれたのは八十椿であった。

 賽を振り、駒が絵巻物の上を滑っていく。始まったばかりなので、絵の中の美女は美しい衣装を纏ったり、化粧をしたり、花を頭に飾ったりするだけだ。三人の男は絵の美女と同様の女の着物を着せられ、おしろいと紅を塗られて花を頭に飾った。女の道具を使って美しく仕上げようと思えば思うほど、無骨な男の身体ではひどく滑稽に映る。下男たちは率先して声をあげ、手を叩き、腹を抱えて笑った。下男たちの笑い声に誘われておかとときもまた愉快そうに笑い、黒く得体のしれぬ身体をゆすった。竜胆もそれに寄り添うように笑う。今のところ宴はいたく順調、場は盛り上がる一方であった。

 賽は投げられ絵物語は進む。美しく着飾った女性は道中追いはぎに遭い、服を剝がれて縄で縛られ髪の毛を刈られてしまう。服を剝がれたのは藤潜だった。縄で縛られたのは惜菫である。

 竜胆が賽を投げた。止まったのは髪を刈られる絵であった。立山ははさみかみそりを竜胆の前に置くが、やや焦燥に駆られた顔でちらりと竜胆の顔を盗み見た。竜胆はやはり素知らぬ顔をしていた。立山の心配をよそに、竜胆は絵双六に描かれている女の姿そのままに真似、八十椿の髪を乱雑に切ったりったりして彼を妖怪の山荒のようにした。


「こんなに着飾っているのに髪だけ刈られているなんて滑稽でございますね」


 八十椿の惨い姿をおかとときに見せ、竜胆は心底可笑しそうにほほほと笑う。おかとときも八十椿の素っ頓狂な姿に満足し手を叩いて喜んだ。

 余興は和やかに進み、このまま無事に終わるかと思われた。しかし竜胆の駒があるところに止まると流れが変わった。

 これは食うに困った女が鮮やかに塗られた己の爪を全て剝ぎ、首飾りにして売るという場面である。着飾った八十椿の爪は既にあかい染料で染められている。これを全て剝いで糸でつなぎ、首飾りにするのである。

 それまで素知らぬ顔をしていた竜胆の表情が急にこわった。檜葉が爪を剝ぐための道具を竜胆の右にそっと置いた。竜胆はそれをちらりと盗み見ると目の前に座った山荒の八十椿を見た。途端に金縛りにあったように動かなくなった。

──どうした、やけにもったいつけるじゃないか。


刊行シリーズ

八千草の兄妹 言の葉は川に流れるの書影
竜胆の乙女 わたしの中で永久に光るの書影