竜胆の乙女 わたしの中で永久に光る

三 ③

 竜胆は素直にそれに従い、瓶から赤いのだけを選って八十椿の右の掌に載せた。ひとつ、ふたつ、と積もっていって、ゆっくりと赤い金平糖の小山ができていく。


「どれだけ取ればいいかしら」


 竜胆の問いに八十椿は答えなかった。彼は答える代わりに黙って右手を傾けた。すると赤い金平糖の小山はぱらぱらと解け、赤い星になって庭に散り散りになった。

 竜胆がぜんとしていると、八十椿は平然とこう言った。


「拾ってよ、竜胆」


 八十椿の目は真っ直ぐに竜胆を射た。双六のときの無垢な瞳と違い、人を試すような意地の悪い目をしていた。

 竜胆の視線は自然と八十椿の左腕に注がれていた。彼女はやや動揺したような表情を浮かべていたが、やがて強い目をしてはっきりと言った。


「お断りよ。あなたが意地悪でわざと落としたものをわたしが拾う理由はないわ。落としたあなたが拾うのが筋ではなくて」


 竜胆の厳しい声がぴしゃりと響いた。


「竜胆、ぼくはきみのせいで左腕を失ったんだよ。きみは自分の立場をわかっているの」

「だから意地悪で落とした金平糖を拾えというの。左腕のことは本当に申し訳ないことをしたと思っているわ。だけどその件とこの件は別のものよ。混同してはいけないわ」

「きみは優しくない人だ」

「優しさというのは奴隷のように振る舞うことではないわ」


 八十椿が黙った。私はきっと彼が初日のようにねて、すぐにでもこの場から駆けて消えるだろうと思っていた。しかし意外にも彼はそうしなかった。ゆっくりと庭に出て膝を折り、右の手でせっせと赤い金平糖を拾い始めたのだった。

 私は金平糖を拾う八十椿を黙って見下ろしていた。すると竜胆も膝を折って金平糖を拾い始めた。


「わたし一人が全部拾うのはお断りよ。でも拾っているあなたを手伝うにやぶさかでないわ」


 竜胆は集めた赤い金平糖を八十椿へと差し出した。


「腕のこと、本当に御免なさい。あなたがわたしを恨むのも無理はないと思っているわ。あのね、わたし、おかとときの住まう場所に行ってみようと思うの。運が良ければあなたの腕を取り戻す手掛かりも見つかるかもしれない」


 竜胆が突然こう言い出したので、私も八十椿も驚いて顔を上げた。


「お父様はどうやらおかとときの住まう場所を行き来していたらしいの。そして昨日の宴でどうやらわたしはおかとときに引かれない性質であるらしいことが分かったわ」

「だからって向こう側に乗り込むっていうのか。危険だよ。上手く行きゃしないよ。だってきみはここに来たときからずっと失敗続きじゃないか。成功するはずがない」

「そうね、仔猫だと思って木に登ったら手拭だったものね。おかとときも怒らせてしまったし、あなたの左腕も奪われてしまったし」


 竜胆は悲しそうに目を伏せた。しかしその後は微笑んでいた。


「でも失敗続きでもやってみるわ。だってそれがわたしの性分なのよ」


 これを聞くや否や八十椿は赤い金平糖を乱暴に瓶に押し込み、すっくと立ち上がって宴会場から出て行った。しかし彼は怒ったのではなかった。私の見間違いでなければ、彼の口元は心なしか綻んでいたのである。


「おかとときの住まう場所に行くですって?」


 竜胆から異界行きを聞かされたとき、檜葉は箒を放り出し血相を変えて詰め寄った。


「何を考えているのですか、いけません。あれは先代が特別だったというだけの話。普通の人間ができることではありません。確かにあなたは先日の宴でおかとときに引かれなかった。しかしそれはただの偶然だったのかもしれないんですよ。あまりにも危険です」

「危険は百も承知よ。藤潜から話を聞いたわ。あそこは瘴気が酷く、立ってもいられない。上も下も東も西もない闇の世界。あちらにいるとだんだんと言葉も忘れてしまうんですって。だけど、藤潜は今は話すことができているじゃないの」

「あまりにも甘く考えすぎです。そう簡単に物事が進むとは思えません」

「そうかもしれないわ、でも分かって頂戴。危険だなんだとはいうけれど、危険なのはお前たちもそうなのよ。お前たちも例の三人も、いつ死ぬかも分からない状態で、肉体も尊厳をも傷つけられて、記憶まで失くしてしまって、ずっとここで働き続けていくつもりなの。わたしは嫌よ。たとえ危険を冒してでも何か手掛かりを摑んでくるべきだと思っているわ」


 檜葉はそれでも険しい顔をしていたが、廊下の水拭きをしていた立山と白樺が割り込んで来て言った。


「檜葉、お嬢さんの言うことも一理ある。先代はもうこの世にはいないんだ。先代の目的が分からないままこの仕事を続けて行くのは不安だよ。何も分からないというのならこちらから動くしかないだろう」

「白樺の意見におれも賛成だ。運が良ければおれ達の記憶も戻るかもしれないし、八十椿の腕も取り戻せるかもしれない」


 二人に説得された檜葉がどう決断を下すか、私は黙って様子を見ていた。ややあってから、檜葉は観念して瞼を閉じた。竜胆の異界行きは決まったらしかった。


 先代の異界行きについて詳しく説明できたのは白樺であった。先代があちら側に行く際はいつも白樺の腕車に乗って行ったとのことである。

 おかとときを迎えに行くときは、夜の闇の濃い方角に向かって車を引いて走っていけば、いつの間にか一人二人と夜の闇の皮を剝がしたおかとときが、腕車に重なるように乗り込んでくる。

 しかし先代をあちら側に送るときは、決して走ってはいけない。夜の闇の中で腕車をゆっくりと引いて、先代がおかとときの住まう場所とこちらとの綻びを見つけなければいけない。その綻びの隙間に入って行けばあちら側に行けるのだという。


「今回はその綻びとやらをわたしが見つけなくてはいけないのね。でもそんな難しいこと、わたしにできるのかしら」

「わかりません。でも、先代と血を分けた娘です。何かしら閃くものがあるのかもしれない」


 夜が十二分に更けた頃、白樺は紫の羽織姿の竜胆を納屋へ連れて行った。静かで冷たい場所である。私たちが洋灯を掲げつつ置かれた二台の腕車を避けて進むと、奥に観音開きの大きな簞笥があった。白樺はその扉を重々しく開く。

 中には竜胆の花の紋が入った提灯と何十本にも及ぶろうそくがあった。蠟燭には提灯同様に竜胆の花の絵が描かれていたが、提灯とは違い紫が色鮮やかだったため、簞笥の中はまるで花の園、夢見るように美しい。


「先代がおかとときの住まう場所に行くときは、例の羽織を着て、この竜胆の提灯と蠟燭を持って、おれの車に乗って行きました。ひょっとしたらこれらの何かひとつでも欠けると行けないのかもしれない。だからできるだけ先代と同じようにしてやってみますが、上手く行く保証はどこにもありません」


 竜胆の花の蠟燭に火をつけると何とも言えない苦いような、饐えたような独特な匂いが漂う。しかしそれ以外は普通の蠟燭であるように思われた。

 提灯を持った竜胆を乗せた腕車がゆっくりと動き出す。納屋を抜け、門を出て、静かに静かに車は進む。

 竜胆は神経をとがらせこちら側とあちら側の「綻び」を探した。それは夜の闇の濃淡であったり、音と音の間に差し込まれる僅かな沈黙であったり、夜風の冷たさと晩夏の温い空気のはざであったりはしないか、ときには提灯の炎の揺らめきに現れるのではないか、丹念に調べて夜の闇を彷徨さまよった。

 しかし白樺がいくら腕車を引いても竜胆は何の変化も感じることができない。

 車は仕舞屋の並ぶ中を、橋の上を、河原を通ってどこまでも進んでいくが、景色が変わっていく度に竜胆に焦燥が募っていく。竜胆の心の内を察した白樺が声を掛けた。


「お嬢さん、何も感じませんか。特に耳をよく澄ませてください。先代は目を閉じてじっと耳を澄まして、ここだと思ったときに声を出すんです。そしたらおれはそれを合図に車を心持ち下に傾けてぐっと夜の闇に押し遣るから」


 竜胆は言われた通り耳を澄ませるが聞こえるのは車輪のきしむ音、虫の声、川の音ばかりである。


「神経を尖らせてよく耳を澄ませて、お嬢さん。特に左だ。先代は左耳がよく聞こえると言っていた」

「左ですって!」


 竜胆は思わず声を上げた。


「何かの間違いだわ。だってお父様は生まれつき左の耳が聞こえないのよ!」



刊行シリーズ

八千草の兄妹 言の葉は川に流れるの書影
竜胆の乙女 わたしの中で永久に光るの書影