竜胆の乙女 わたしの中で永久に光る

四 ①

 夜が明けてすぐに、腫れた目をした竜胆が裏座敷に現れたため、下男の三人は何事かと起きた。

 最初は寝ぼけ眼でぼんやりとしていた三人だったが、竜胆から昨晩椿つばきに何をされたかを説明されると、たちまち眠気は吹き飛んで興奮状態に陥った。今や怒りのために身体中の血が滾って沸騰しそうな勢いである。今すぐにでも八十椿の休む離れになだれ込まなければ気が済まないといった様子である。

 しかし竜胆は興奮する三人を静かに制止した。当然三人はこれに納得できない。


「何故ですか、どうして止めるんですお嬢さん。腕を失わせた負い目があるからですか。だから許せと言いたいのですか」

「おっさんからの文を燃やされたとあっちゃ、娘としても許すべきではないでしょうよ」

「文には竜胆の仕事について書いてあったと奴は言っていたのでしょう。恐らく先代の目的と今後の指示も記されていたはず。それを失ったのはあまりに惜しい。殴ってでも文の内容を聞き出すべきです」


 彼等は三種三様に竜胆に抗議した。彼等の拳は八十椿を打つ気満々に震えていたが、竜胆はやはり首を横に振りそれを制した。


「わたし自身八十椿を許せないし、お前たちに許せと言っているわけでもないわ。でも、燃えてしまったものはもうどうしようもない。八十椿をいくらせつかんしてもお父様の文はもう戻ってこない。それにお前たちはおかとときではないから、八十椿に傷をつけたら完治するまでに時間がかかる。傷物になった商物で商売はできないわ。とにかく落ち着いて頂戴」


 そう言われ三人は渋々拳の力を抜いた。

 その後、竜胆の頼みで下男三人は道具部屋に移動した。八十椿の言うことが正しいのか確認したいとのことであった。

 八十椿の話では道具部屋の奥にある簞笥の、下から二番目に仕掛けがあるとのことである。そこの引き出しだけ他のものより短く作られていて、それを引き抜くと奥に隠し箱がある。そして箱の鍵は小面の能面を取ったところにあるという。

 檜葉が、下から二番目の引き出しを最後まで引き抜いた。この引き出しは確かに他の段よりも少しだけ短いようであった。簞笥の奥を覗き込んだ檜葉は上擦った声で言った。


「竜胆、確かに奥に隠し箱があります。八十椿の言ったことは本当です」


 一方白樺は壁にかかっている大量の能面から小面を選んで取った。すると壁に一本の釘が打ち付けられており、そこに金色の小さな鍵が掛かっていた。こちらも八十椿の言う通りである。下男の三人は初めて知る秘密を前にしてやや動揺していた。

 檜葉が隠し箱を、白樺が金の鍵を竜胆に恭しく渡した。竜胆は神妙な面持ちでこれらを受け取った。金の鍵を差し込むと、かちりと小さな音がして秘密の小箱が動いた。竜胆は震える指で蓋を開ける。するときりの薫りがふわりと舞い、中の秘密が露わになった。

 箱の中にあったのは掛け軸と手鏡であった。本来ならばそこに娘宛ての文も入っていたはずだった。手を入れ探ってみるも鏡と掛け軸以外には何も無いようである。文の断片が一枚でも残っているのではないかといちの望みにかけていたらしい竜胆は酷く落胆した。

 手鏡の裏面には美しいききようの模様と「きよう」の文字が彫られていた。持ち主の名前であると推測するのが妥当であろうが、その名前に竜胆は心当たりがまるでなかった。

 隣で立山と白樺が掛け軸を持ち両端から広げた。現れたのは美人画である。椅子に腰掛けた美しい娘がこちらに微笑みかけている。その膝には一匹の黒猫がくつろぎ、頭上には枝に止まった二金糸雀かなりあが果実をついばんだり、羽繕いをしたりしている。

 私はこの絵師が例の双六と同じであることにすぐに気付いた。つまりこの掛け軸は先代の竜胆がわざわざ作らせたものである。

 凄惨な絵双六とは違いこの美人画は繊細優美、思わず息を吞むような美しさと華やかさである。つややかな黒髪のひさしがみ、伸びた背筋、添えられた白い指のなよやかさ、娘から漂う気品、どれも目を引く素晴らしいものであるが、何よりもこの画から漂う優しさと温かさが見る者の心を引き寄せる。それは色遣いのせいか筆遣いのせいか、美術に詳しくない私には知る由もないが、この画を見ると不思議と柔らかな気持ちになるのは事実であった。

 特に美人画にれていたのは竜胆である。しかしその隣では下男の三人がものすごい形相で絵を睨みつけていた。

 相変わらず不自然なほどに整った顔立ちである。しかし大きく見開かれた目は瞬きを忘れ、額には脂汗が浮いていた。浮き上がった汗は苦々しげな表情を通って垂れていく。三人の身体は凍り付いたように動かない。


「お前たち一体どうしたの、様子がおかしいわ」


 竜胆が声を掛けても三人は返事をしない。この頃には三人の顔は土気色に変わっていた。

 竜胆は慌てて掛け軸を奪い手早く巻いた。このままでは三人が死んでしまうような気がしたからである。

 途端に三人の身体は硬直がとけ、安堵の溜息が噴火のように出た。

 三人のただならぬ様子に、もしや失われた記憶に係わりがあるのではないかと竜胆はただした。しかし三人は苦しそうな顔で口を閉ざすばかりであった。

 ややあってから白樺が右目を押さえて呻くように言った。


「すみませんが、分からないんです、お嬢さん」


 白樺の身体は疲労のために震え息も絶え絶えであった。


「お嬢さんの言うようにあの掛け軸の娘は我々の失われた記憶と深い関係があると思われます。我々はあの娘をよく知っている気がする。しかし、しかしわからない。思い出そうとすると身体が根こそぎ取られてどこかに行ってしまいそうになる。嗚呼もうこれ以上考えたくない。その画をどこか見えないところにやっちまってください。頼みます。後生ですから、早く」


 竜胆は懇願された通り掛け軸が彼等の目に触れぬよう桐箱に仕舞った。

 三人の下男は安堵の表情を浮かべた。しかし懇願した割に彼等は名残惜しそうに掛け軸の入った桐箱を眺めている。先とは打って変わりその表情のこうこつとしたこと。

 私はあの美人画が下男の三人と深い係わりがあることは間違いないであろうと判断した。そしてわざわざ絵師を呼び美人画を作らせた以上、先代の竜胆にとってもあの絵の娘が大切な存在に違いないとも考えた。その名前は恐らく手鏡の持ち主である「梗子」であるだろう。

 一方、竜胆は亡き父の秘密の箱を抱えながら思いをせていた。たとえば疲れきった日や寝付けない夜、父は人目を忍んでこの娘「梗子」に会いに来たのかもしれない。そのとき父は「竜胆」ではなく「えいいち」に戻っているのだろう。梗子の優しく温かな微笑に心満たされた後、叡一はそっと小箱を仕舞い、再び竜胆の名を背負って血も凍るような凄惨な仕事場に足を踏み入れるのだ。

 父の夢想から返った竜胆の目尻には涙が浮かんでいた。彼女はその涙を周囲に気取られぬよう、隠し箱を持ってそっと自分の仕事部屋へ戻った。


 その後、私は掛け軸と手鏡を持った竜胆と共に商物三人の離れを訪れた。

 八十椿は不在であり、ふじくぐりせきすみれおそおののいた面持ちで竜胆を出迎えた。二人の目は竜胆の手元を捉え、その身体は強張って動かない。

 状況を察した竜胆が言った。


「仕事の通知をしに来たんじゃないわ。おかとときからの知らせはだなし、松の木はそれは静かなものよ。わたしが今持っているのも仕事道具ではないわ。あなた達に聞きたいことがあって来たのよ」


 竜胆は藤潜と惜菫に掛け軸と手鏡を見せた。しかし二人は彫られた名前にも画の娘にも心当たりはないようであった。


「この娘、僕は最初竜胆かと思った。これは先代が絵師を呼んで作らせたものだというから、てっきり父親が一人娘の姿を画に残したのかと思ったが」

「実を言うと俺も最初竜胆かと思ったんだ。目元と輪郭が実に似ている。しかしよく見ると、掛け軸のお嬢さんは気品がある。まるで木登りなんかしそうにない。梗子という名の別人だと聞いててんがいったよ。しかし似ているということは竜胆の血縁だと思うがね」



刊行シリーズ

八千草の兄妹 言の葉は川に流れるの書影
竜胆の乙女 わたしの中で永久に光るの書影