竜胆の乙女 わたしの中で永久に光る

四 ③

 分からないことばかりである。せめて八十椿が燃やした先代の文が残っていればとこの場にいる誰もが思っていた。


「何はともあれ目の前にあることをやるしかありません。明日のおかとときの持て成しを無事に終わらせることに集中しましょう」


 檜葉がそう言うのを私たちは黙って聞いていた。

 そのとき三人の下男は突然何かに気付いたようにお互いの顔を見合わせた。それから目配せを何度かすると輪を作り、ひそひそと囁き始めた。何を話しているのかはここまで聞こえない。恐らく竜胆の耳にも入っていないだろう。三人はあるときぴたりと話すのをやめ、静かに頷き合って輪を解いた。何かの約束が三人の中で結ばれたように見えた。

 檜葉は竜胆を連れて宴会場から出て行こうとする。


「これから道具部屋に行って遊びの説明をいたします。ようくお聞きになってください」

「立山と白樺は」

「惜菫に白羽の矢が立ったことを伝えに行きます」


 振り向くと立山が花嫁暖簾を畳んでいるのが見えた。恐らくあれを持って離れに行くのだろう。口で説明するよりも暖簾を握らせて分からせる方が早い。


「待って。わたしも惜菫のところに行きたいわ」

「いけません。竜胆は遊びの準備をしなければ」


 檜葉は後ろ髪引かれる竜胆を強引に連れて道具部屋へ行った。


 おかとときが指定した遊び「絵葉書の花かるた」というのは、植物の茎もしくは枝だけを見ておかとときが植物の名前を当てるというものであるらしい。


「しかしおかとときが茎や枝だけを見て植物の名前を当てることはほぼできません。ですから手掛かりとしてこの絵葉書を見せるのです。おかとときは絵葉書と茎を見比べて名前を当てる。かるたという名前ではありますがどちらかというと神経衰弱に近い遊びですね」


 そう言って檜葉は道具部屋から大量の絵葉書を出した。数十枚の束が四つある。それぞれの一番上に「春」「夏」「秋」「冬」の紙が挟まれていた。檜葉はその束の中から夏と秋を取って竜胆の前に並べ始めた。


「たったそれだけの遊びなの」

「そうですよ。しかし竜胆はおかとときの興を殺がぬように正解を仄めかす必要があります。また、植物の名前が合っているかどうかの判断も竜胆が行いますから、竜胆自身も茎や枝を見ただけで植物が分かるようしっかり覚えておかなくてはなりません」


 華道を嗜んでいる竜胆にとって植物を見分けることは造作もないことである。それはたとえ葉だけだとしても同じことだが、花も葉もない茎だけの状態となると話は別だ。そんな奇妙なことは経験したことがない。

 竜胆は少しだけ不安になったらしい。並べられた絵葉書を見て弱弱しく言う。


百日紅さるすべり木槿むくげまつ、朝顔……、これらを見るに知らない植物はないけれど、茎や枝だけを見て判断するとなると少し心もとないわ」


 言葉を濁す竜胆を支えるように檜葉がすかさず答える。


「では、立山と白樺に竜胆用の見本の分も余計に取ってくるよう伝えておきます。植物を集め、花と葉をすべてぎ落しておくのはあの二人の仕事なのです」

「ありがとう、助かるわ」


 それから竜胆は並べられた絵葉書を無言で眺めていた。ふと竜胆が白い指を伸ばし一枚取る。裏表と確認するが何の変哲もない絵葉書である。絵師は双六とは違うようである。

 沈黙が暫しこの場を支配した。竜胆は何枚か絵葉書を確認していたが、あるとき真っ直ぐに顔を上げて檜葉に言った。


「この遊び、これで終わるわけではないわよね」


 その声は刃物のように鋭かった。まるで深く切り込まれたかのように檜葉は青い顔をしている。


「それはどういう意味でしょうか」

「おかとときは風流なものと残酷なものを好む存在だと聞いているわ。おかとときが好むにしては、この遊びは残酷さが足りないと思うの」


 檜葉は冷静を装っていたが顔色は優れないままだ。すかさず竜胆が切り込む。


「暖簾を通してお前も見たでしょう。明日来るおかとときは意地の悪い大きな企みを抱いている。そのおかとときが指定した遊びにしてはこれはあまりにも温いわ。植物を茎や枝だけにするような残虐性で満足するようには思えないのよ」


 竜胆の美しい目尻が吊り上がっている。そこに生来の気の強さが滲み出ていた。


「わたしに何か隠しごとをしているのね。屋敷の主であるこのわたしに」


 立場を明確にされ檜葉が観念したように瞼を閉じた。元来真面目な性質であるから、下男の身で主をだますということに耐えられなかったのだろう。


「無礼をお許しください。わたくしども三人で決めたことです」


 檜葉が絞り出すように言った。私は先程大広間で見た三人の目配せのやり取りを思い出していた。


「先程竜胆もおっしゃったように、明日来るおかとときは意地の悪い大きな企みを抱いている。少しの失敗が命取りになってしまう可能性があります。だから竜胆には秘密にしておく必要があったのです」

「一体何を秘密にしているというの」


 竜胆が語気を強めた。


「この遊びは、茎や枝を前もって商物の皮膚に刺しておく必要があります」


 檜葉が苦し気に言った。腹の底から押し出されるような声である。両の手は膝の上で固く握られ小刻みに震えている。彼の手のひらが脂汗で濡れているのが私にも伝わってきた。

 檜葉いわく、「絵葉書の花かるた」という遊びは、商物の皮膚に刺さった無数の茎や枝を、おかとときが一本選んで引き抜いてから植物の名前を答えるのだという。正解ならば引き抜いたままだが不正解なら再び皮膚に刺す。だからおかとときが来る前にこちらで商物を針山のようにしておかなければならない。


「しかし八十椿の爪を剝げないような竜胆が、貝合わせの遊びを拒絶する竜胆が、この遊びを許すはずがありません。だから立山と白樺と示し合わせて竜胆に黙っておくことにしたのです。竜胆には内容を伏せたまま準備はすべて我々が終わらせて、そのまま本番に持ち込もうと。竜胆が惜菫に下手に同情して宴を台無しにするといけないから……」


 竜胆が忌々し気に奥歯を嚙んだ。同時に檜葉が叫ぶ。


「嗚呼、どうか怒らないでください竜胆。これはそういう遊びなのです。どうか明日の宴を台無しにしないでください。明日のおかとときを怒らせる訳にはいかないのです。八十椿だけでなく惜菫にも何かあっては可哀想です!」


 その叫びからは檜葉の切実な思いが伝わってくるようであった。そしてそれは竜胆を打ちのめすのに十分であった。

 今度は竜胆が拳を強く握る番であった。白く小さな両の手が小紋の総絞りの上で震えている。


「さっきの話し合いはそういうことだったのね。わたしはなんと……なんと情けない……」


 竜胆とて明日の宴が重要であることは理解できている。「絵葉書の花かるた」がどんなに残酷な遊びでもおかとときが指定してきたものを拒否するつもりなど毛頭なかったのだ。しかし下男三人はそうは思っていなかった。そのことに竜胆は深く傷ついた。

 しかし考えてみれば自分は二代目の竜胆としてこの屋敷にやって来てからろくな働きをしていないのである。初日は檜葉が務め、絵双六はおかとときを怒らせた。血が流れることを恐れて藤潜の腕に爪を立てることから逃げ、訓練のために檜葉が集めた飛蝗を逃がし、既存の遊びを残酷だといって否定し、八十椿の腕を失わせた。これらのことが巡り巡って己に返って来ただけではないか。こんな調子でどうして下男三人の信用を得ることができようか。

 竜胆を継ぐように言われたというのにこれでは亡き父に合わせる顔がない。屋敷の主の肩書をかざして好き勝手に振る舞うだけの木偶の坊である。振り返れば振り返るほどこれまでの己を許すことができなかった。

 竜胆は暫く身体を震わせていたが、急に手をついて檜葉に頭を下げた。


「すみませんでした。竜胆としての自覚が足りませんでした。今から心を入れ替えます」


 急に謝られた檜葉は何が起こったか理解できないらしくきょとんとしていた。竜胆は畳に額を擦り付けたまま続ける。


「ここが綺麗ごとが通じる場所ではないことを早く受け入れるべきでした。心を鬼にせねば皆に迷惑を掛けることになると散々忠告されてきたのに逃げ続けたのはわたしです。不信感を抱かせてしまったのは己の責任です。どうか許してください」



刊行シリーズ

八千草の兄妹 言の葉は川に流れるの書影
竜胆の乙女 わたしの中で永久に光るの書影