竜胆の乙女 わたしの中で永久に光る
四 ④
主に頭を下げられた下男はどう振る舞って良いものか分からず、口を半開きにしたまま何の言葉も紡げないでいる。暫く言葉を失ったままであったが、
「急にそう言われましても……」
「茎や枝を前もって商物の皮膚に刺しておくのは本来は誰の仕事なのですか」
「竜胆です……。いつも先代が行っていました」
「ではそれをわたしにやらせてください」
竜胆が顔を上げて真っ直ぐに檜葉を見た。強いまなざしである。その一点の曇りもない瞳に檜葉は余計に狼狽えた。
「いいや……失敗続きのあなたにはできますまい……」
「やります」
竜胆が食い下がるので檜葉はどうしていいかわからず、狼狽えた表情のまま硬直した。竜胆は尚も食い下がった。やがて檜葉は怯えたように、道具部屋から廊下に向かって声を張り上げた。呼んだのは立山と白樺の名であった。
ややあって、道具部屋に立山と白樺がやって来た。その後ろから付いてきたのは例の暖簾を手にした惜菫であった。
檜葉は下男二人に状況を説明した。二人はたちまち険しい顔に変わり竜胆に厳しい言葉を浴びせた。それでも竜胆の決意は変わらない。特に立山が強く出たため話し合いは長引いたが、やがて惜菫が割り込んだ。
「人から見放される恐ろしさは僕にもわかる。お嬢さんに汚名返上の機会を与えてやってもいいだろう。僕はお嬢さん、もとい竜胆にやってもらいたい」
惜菫がそう言ったため、商物を針山にする仕事は竜胆が請け負うことに決まった。
立山の話では、惜菫は例の暖簾を見た瞬間ひどく狼狽えたとのことである。しかし心当たりを尋ねてみても決して口を割らなかった。おかとときに言葉を辿られた経験が彼をそうさせるらしかった。
当日の夕方、立山が緊張した面持ちで
気負いの表れか焚かれた香があまりに濃かったため少しむせる。耳元で響くのは檜葉が洋灯を準備する音である。その音を聞いている内に惜菫の姿が徐々に明らかになった。襦袢姿の惜菫は覚悟を決めた表情をして立っている。いつぞやの藤潜のように泣いて喚いて逃げ出すようなことはなさそうである。
部屋で待機していた竜胆が惜菫を出迎えた。背筋は真っ直ぐに伸びているのに顔は死人のように青白く、そのくせ目はらんらんとしていて妙な気迫があった。竜胆の華奢な身体から白く
「惜菫、お勤めご苦労様です。本日は宜しくお願い致します」
竜胆の様子がこれまでと随分違うので惜菫は少し狼狽えたらしかった。私も驚いて竜胆を見た。紫の羽織姿はいつもよりも堂々として立派である。下男三人も思うところがあるのか互いに顔を見合わせている。
花と葉を削ぎ落した植物は既にこの部屋に運ばれていた。見たところ三十近くある。竜胆がそれらに目を遣ると部屋の空気が張り詰めた。
「痛みを長引かせたくないので惜菫に枝や茎を刺すのはおかとときが来る直前です。手早くやらないと間に合いません。くれぐれも頼みます」
檜葉の言葉に竜胆は静かに頷いた。下男も惜菫同様覚悟を決めた表情である。
窓から
惜菫の目は
「いいかい竜胆、刺していいのは皮膚だけだ。目と口と耳、柔らかく大切なところには刺さないことになっている。おかとときがそこを刺そうとした場合もやんわり矛先を変えてほしい」
立山は更に付け加えた。
「躊躇いは却って惜菫を苦しめることになる。どうか宜しく頼みます」
植物の茎や枝の先は刃で針のように尖らせてあった。しかしそれでも惜菫の皮膚を通らない場合は針で穴を開ける必要がある。白樺が黙って盆を差し出す。そこにはかます針、菱針、忍針など様々な針が載っている。かつて八十椿の腹を破ったくつ針もある。
立山が惜菫の襦袢を剝いだ。
竜胆は顔色一つ変えなかった。植物を手に取り惜菫の白い肌に活けていく。枝であろうと、茎であろうと、針であろうと、迷いはそこにはなかった。固い茎が柔らかい皮膚を通っていく感覚も、滲み出る血の色も、僅かに漏れる惜菫の
私は後ろから竜胆を眺めていた。その背筋は真っ直ぐに伸び、指の動きは堂々として冴えているように感じられた。百日紅、木槿、茉莉花、百合、朝顔、惜菫の首から下の肌に秋の花が彩を添えていき、人の姿をした針山が少しずつ出来上がっていく。
血の池に半身を浸して突き進む竜胆の姿が見えるようだった。そこに悲劇はなかった。あるのは覚悟だけである。
襖に描かれた孔雀の羽が動き出した。
羽の斑点模様はず、ず、とゆっくりと襖の上を這って、やがて客間に飛び上がった。それは巨大な一匹の
下男の三人はその煙の形を目を凝らして見つめ、やがて渋い顔で言った。
「いらしったか」
竜胆は宣言通り惜菫の皮膚に植物を刺し終えていた。
白樺が腕車を出しに部屋から出て行った。宴は間もなく始まる。
おかとときを出迎えたとき、暖簾から感じとったのと同じ底意地の悪い憎悪が一気に私たちの顔に吹き付けた。今宵の客は一筋縄では行かぬと一同は改めて思い知った。
「皆様ようこそいらっしゃいました。わたくしが本日皆様をお持て成し致します竜胆でございます。さあどうぞおあがりくださいませ」
屋敷に染み始める禍々しい気配に竜胆は肝を冷やしたが、それでも春の花がほころぶのに似た笑顔を作り、今宵のおかとときに頭を下げた。
──あなたが二代目竜胆ね。まあ
──きみのことは我々の間では随分と噂になっていてね、まあ知らぬ者はいないといったところかな。
──ただ少し調子に乗っているらしいじゃあないか。そろそろ幕引きじゃないかって我々も話しているところだよ。
おかとときの声は一本氷のような冷たい芯が通っているようであるが、今日はその氷が一段と冷ややかであった。冷えると顔は自然と強張る。竜胆は顔が強張るのを歯を食いしばってじっと耐え、笑顔のままこう言った。
「お客様の評判になって光栄でございますわ。幕引きだなど悲しいことをおっしゃらないでくださいな。わたくしどもはこれからもお客様に楽しんでいただきたいと思っております」
竜胆の言葉に返すおかとときは誰もいなかった。竜胆の食いしばった歯はいつの間にかがたがたと震えていた。
幕引き。この言葉を聞いた一同は身を震わせ、今宵の宴で何かが起きることを確信した。
竜胆は惜菫のいる客間におかとときを案内し始めた。
しかし、ふと後方に異様なものがいることに気が付いた。それはおかとときに交ざらず少しばかり間を空けて黙ってついてくる。紋付き
腕車を仕舞って戻って来た白樺も男の存在にすぐに気が付いたらしく、玄関で待機していた立山と囁き合っている。
竜胆がおかとときを客間に通した後、やはり例の小男もついて来たが、おかとときには交ざらずに離れた場所で正座した。竜胆が小男を気にするのがおかとときにも伝わったらしかった。
──気になるかね。あれは我々の連れだよ。
おかとときはどこか得意げに言った。竜胆はにっこり笑って言う。
「お連れの方でしたか。でしたらお持て成ししないといけませんね。あんなに後ろにお座りにならず、前にいらっしゃればいいのに」
──いいえ、あれはまだいいのよ。あたくし達が呼ぶまでああしているよう言いつけてあるの。
「そうでしたか。それは失礼いたしました」



