竜胆の乙女 わたしの中で永久に光る
五 ②
八十椿の視線の先にあるのは藤潜の残した味噌汁である。その中から何かの植物の芽が出て育ち始めた。葉をつけ茎をのばし丸いつぼみをつけたかと思うと開いたのは一輪の桔梗であった。桔梗の花びらがゆらりゆらりと揺れるとそれはたちまち紫の蝶となって羽ばたき、窓に向かって飛んで行ったかと思うと窓硝子から
藤潜の呻くような泣き声が漏れた。
「おかとときからの知らせだ。ああ、俺のところにもとうとう迎えが来ちまった。惜菫と同じようにきっと言葉を辿られたんだ。迂闊に故郷のことなんて話すんじゃなかった」
「落ち着いて藤潜。さっきも言ったように今日は松の木に知らせはなかったのよ」
「そうですよ。来るのはおかとときじゃありません」
八十椿が素っ気なく言った。しかし藤潜は取り乱して聞き入れない。
「藤潜はだめだ。ぼく達だけで迎えに行こう竜胆。例の三人も連れて。彼等が一番あの人に会いたいだろうから」
かくして檜葉、立山、白樺の下男三人を引き連れて竜胆は八十椿の引率のもと例の松の木の下へと集った。
宴会場を通って縁側に出ると秋になったばかりの空気が冷たかった。暗い夜空に月が出ている。
ふいに夜の帳の裾が揺れて、何らかの茎と葉が伸びてきた。私たちはぎょっとしてそちらの方を注視する。
茎と葉が伸びた先に玉のようなつぼみがついた。花が咲くとそれは桔梗の花である。花は散って枯れると次の茎と葉が伸びて、また桔梗の花が乱れ咲いた。それを幾度となく繰り返すうちに車輪の音がゆっくりと聞こえてきた。
私たちは自然と身構える。
夜の闇から現れたのは花を模した車輪である。地獄の火車のような姿で、炎の代わりに車輪に絡むは大量の桔梗の花である。その火車に腰掛けているのは掛け軸の美人画の少女、梗子であった。
その姿を見てはっと息を吞む竜胆の隣で、駆け出して行ったのは下男の三人であった。
檜葉、立山、白樺の三人は夜の闇を風のように駆けて行くと、端整な姿かたちは次第に夜の色に溶けて一匹の黒猫と二羽の金糸雀に姿を変えた。黒猫と金糸雀は尚も駈けて梗子の膝に飛び込んだ。
「ああお前たち、会いたかった。どれほど恋しかったことか。どれ、顔を見せて。わたしの
しかし梗子がそう言ったのも
梗子は暫く彼等を抱きしめていたが、
「お母様」
竜胆が恐る恐る声を掛けた。
「お母様なんでしょうか。そうですよね、わたしのお母様」
「ああ、ひょっとしてお前は」
「叡一の娘です。梗子さん、あなたはわたしのお母様だと聞いています」
「ああやはり。あのときの赤ん坊がこんなに大きくなったというのね。お前、身体はどこも悪いところはないの。耳も足も悪いところはないの。お前は自由に歩けるの」
「悪いところはひとつもありません。歩くことも走ることも木登りもできます」
「ああ良かった。本当に良かった。そうです、お前はわたしと叡一さんの大切な娘ですよ」
竜胆が縁側を降りて梗子の傍まで歩み寄った。
「叡一さんから話は聞いているわ。気が強くて、お転婆だって。わたしに目元が似ているって。本当にそうだわ。赤ん坊のときのお前を抱いたときの重さ、肌の感触、立ち上る匂い、今でもよく覚えている。まるで昨日のことのよう。ああ、どうかもっと傍に。これが夢だと思いたくないの」
梗子が腰掛けたまま手を伸ばすので、その手が触れるところまで竜胆は寄った。梗子は震える手で何度も娘を撫でた。
竜胆は母の手の温かさを感じつつ、梗子の膝に乗っている黒猫と金糸雀にそっと手を伸ばす。もう
「それで、叡一さんは」
「お父様は今年の夏にお亡くなり遊ばしました」
「今、なんと」
「ご存じなかったのですか、お母様」
「わたしは、先日叡一さんに一度お会いして、竜胆の咲く季節にこの屋敷に来るよう指示を受けただけ。わたしがお会いしてそれから間もなく亡くなったということなの」
「詳しいことはわかりません。お父様から頂いた文は、わたしが目を通す前に処分されてしまったのです。お母様にお尋ねしたいことが山ほどございます。どうかこれまでのことをわたしにお話しください」
梗子は静かに頷いて、ゆっくりと叡一のことを話し始めた。
【二〇分四二秒】



