入学したて特有のわいわいがやがや賑やかな教室。
あちこちで親睦を深めようとぎこちないやりとりが行われている中、俺は孤高を気取る痛いやつという評価を恐れることなく自分の席で考えごとをしていた。
雪城姫乃に攻略されたあとの記憶があった。あの喜びようを見るに俺と同じくプレイしたというわけではなく現実として経験したのだろう。
姫乃は俺のことが好きだと思うけど、俺は別にそうじゃないんだよなぁ。
いくら画面の外でブヒブヒ言ってようが、現実と同じだけの恋愛感情を抱けるかというと否だ。
俺は単にゲームで疑似恋愛しただけ。俺にとって疑似恋愛と現実の恋愛は全くの別物。実際に恋愛したわけでもないのに、実際に恋愛した姫乃と同じだけの気持ちを持てようはずがない。
だから想いには応えかねる。
それに姫乃の気持ちに応えれば姫乃ルートが進行してしまう。
姫乃ルートでは様々な困難が待ち受けるが、中でも雪城家の跡目争いによって命が狙われるという展開がある。そこで俺は暗殺者から姫乃を庇って銃弾を受けることになるのだ。
知識があるためその展開は避けることは出来るかもしれないが、むしろ避けたら別の方法で狙われてお陀仏という可能性も考えられる。
そういうわけで命の危険がある姫乃ルートにどうして入らなければならないのかという話。平穏な学園生活を送るためには姫乃とは関わりたくないという話だ。
ただヒロインたちを攻略しておいて何て無責任な話でもあるけれど……あれ? ヒロインたち?
他のヒロインの記憶はどうなっているのだろう、と俺は隣の席を見た。
まだ空席。ここには別のヒロインが座る予定。海外出身の銀髪碧眼ギャルとかいった欲張り属性の娘が座る予定。
最初の出会いイベントはたしか……。
『隣になったんだ、よろしくな』
『は? 話しかけないで、キモ』
『随分と冷たいな』
『そりゃそうでしょ。ここにいるのは皆、執事、メイドの座を争う敵。気安くなんてなれるわけない』
『よく喋るじゃないか』
『────ッ!? うっさい! 馬鹿!』
だった気がする。
そう思ってまもなく隣の席の椅子が引かれ、女の子が席についた。
輝く銀髪に透き通るマリンブルーの瞳、色素が薄く透明な肌。森の氷張る湖にいる妖精のような恵まれた顔にはギャルっぽいメイクが施されている。誰でも可愛くなれるギャルメイクという謳い文句に、じゃあ美少女がしたらどうなるのか、と疑問を抱いたことがあるが、その答えが彼女。鬼に金棒を体現している。
スタイルもモデル体形で抜群。読モのカリスマ感まで溢れているのだから魅力は暴力的ですらある。
そんな彼女の名前は吉良結衣。姫乃と同じくゲームのヒロインだ。
この子も記憶があるのだろうか、と内心ひやひやしながら様子を窺う。
おや?
しばらくの間目を向けていたけれど、特に不自然な様子はない。
もしかして、もしかして……記憶が、ない!!
小躍りしたくなった瞬間、結衣の頰が染まった。
「うぅ、そんなに見ないで。デレデレになっちゃうぅ……」
「えぇ……」
「そんなに見られたらもう尽くしたくなる。せ、せっかく、入学式の朝に戻ったんだから関係リセットして理玖を甘やかす立場をやめようと思ってたのに」
吉良結衣。ルートに入って結ばれると、彼女はツンケンギャルから尽くしてくれる恋人に変わる。
ということは、結衣にも記憶があるってことか……い、いや、万が一があるかもしれない。
俺は僅かな可能性に懸けて結衣に尋ねる。
「もしかして、記憶がある?」
「うん! 理玖にも記憶があるってことだよね!」
「まあ……」
「嬉しい。今度は最初から恋人として理玖に尽くせるんだね」
「さっき甘やかす立場をやめようとか言ってなかった?」
「そ、そうだから! 私、理玖を甘やかすのはやめるから! 私も甘やかされたい! あ、ところで理玖、お昼持ってきた?」
「いやないけど」
「理玖のために、お弁当作ってきたんだ。一緒に食べよう?」
ぐいぐいくる結衣を見て、どうやったら関わらなくて済むかはわからなくなった。ただ、結衣が甘やかす立場から抜けられないであろうことはわかった。
教壇に立ったスーツ姿の教師が厳格な雰囲気で口を開いた。
「諸君、入学おめでとう」
にぎにぎ。
「早速、浮かれているところに水を差すようなことを言うが、この学園に入学したからには気を引き締めてもらいたい」
にぎにぎ。
「この学園は普通とは違う。君たち使用人クラスの生徒は、貴族クラスの方々の手となり足となる従者だ。君たちの恥は主人たる貴族クラスの方々の恥になるため、浮かれず品格を持って行動するように」
にぎにぎ。
……ずっと俺の左手を摑まえた結衣が、肉球を楽しむように両指でにぎにぎしてくるんだけど。
困って顔を見ると、結衣はへへっと頰を染めて笑った。
へへっ、じゃないんだよな。恋人なら『こいつぅ〜』となるだろうけど今は他人。可愛らしさなんてなく、見知らぬ人に手をにぎにぎされる恐怖しかない。
どうしていいかわからないから放置しているが、一向に離される気配がない。
どうしよう本当に。
「えー、で、あるからして……」
あ、先生がこっち見た。
「……気を引き締めて、学園生活を送るように」
おい、先生目ぇそらしたぞ。
いやまあそりゃそう。こんな真面目な話の最中にずっと手をにぎにぎしてるヤバい奴がいれば、見なかったことにしたくなる。
「ではこれから入学式場の体育館に向かう。全員、ついてくるように」
先生に従ってクラスメイトがぞろぞろと動き出すと、結衣も立ち上がった。
「私たちも行こ?」
小首を傾げる結衣の見た目はとても可愛い。銀髪がさらりと揺れるたびに輝き、青色の瞳の深さには吞まれそうになる。
惚れてもおかしくないが急に恋人つなぎで手を繫がれた恐怖が勝り、そうはならなかった。