第一章 たそがれの帝国にて ①

 カトヴァーナていこくりようには、基本的にというものがそんざいしない。熱帯なのだ。

 春も、秋も、もちろん冬もない。なつしようぐんが本気でめ込んでくる時期と、ちょっと手をゆるめる時期があるだけだ。帝国の歴史の半分は、このもうしよとのたたかいの歴史と言って差し支えない。

 なので、すらりとの高いフタバガキの木の間──り下がったハンモックに身体からだを預けて、ぐぅぐぅじゆくすいしているだれかの姿は、夏将軍に対する人類の勝利の形と言えなくもなかった。


「イクタ。起きてください、イクタ」


 いきに合わせて上下する誰かのむねに、小さくあいらしいひとがたをした「何か」が乗っかって、けんめいに身体をさぶっている。大きな頭と短い手足、丸っこいフォルム、どうたいに備わった『こうどう』。その姿は人類のきパートナーたる四大せいれいいつちゆうひかり精霊のものにちがいない。


「……んうぅ……なにさ、クス……。卒業式は寝飛ばすって言ったじゃないか……」


 日よけに顔をおおっていたぼうを取りはらい、誰かはクスと呼んだ光精霊を両手に抱き上げる。眠たげな目をしたくろかみの少年だ。身にまとったシャツとこんいろのズボンは、見る影もなくくずれてはいるが、帽子と合わせて何らかの制服のように思われる。


「ですから、終わりました」

「……ん?」


 抱き上げた精霊と上下で見つめ合いながら、寝ぼけまなこの少年──イクタは首をかしげる。


「進行が予定通りなら、つい先ほどていりつシガル高等学校の第131期卒業式はしゆうりようし、今は卒業生と保護者をまじえた会食に移っているはずです。ここで食事をっておかないとまずいのでは?」


 言われたイクタがなになくせんを上空に向けると、なるほど寝る前に見た時とくらべて、日はずいぶん高々とのぼっていた。このようだと、ちょうどしようぎた辺りだろうか。


「確かに、こりゃ大変だ。せっかくのごそうを食べのがしてしまう」


 ハンモックからのそのそと体を下ろし、地上に立ったイクタは大きく伸びをした。ぼきぼきとぼねが鳴り、眠っていた意識が目覚めたたんくうふくのどかわきがいっぺんにおそってくる。


「うっ、つうがする……。軽いだつすいしようじようかな」

「この暑さの中で、長い時間寝ているからです。まずはに寄って水をきゆうしましょう」


 そうちゆうこくしたクスの身体を、イクタは自分のこしそなえ付けられた専用のポーチへ両手で持っていき、そこにすっぽり収めてやった。足がおそい精霊にとって、それが移動時の定位置なのだ。


「いや、少しだけまんしようか。今日ばかりは、ぬるい水で喉をうるおすのはもったいないからね」


 手早く木のみきからハンモックを回収すると、つうに顔をしかめながらも、イクタはようようと林の中を走り出した。



「体育きようのヤーグだ、卒業おめでとうミス・イグセム。こうとうかん試験も目の前に近付いて来たな。君ならば合格ちがいないとは思うが、ゆめゆめ油断はしてくれるなよ?」

「ごちゆうこくありがたくうけたまわります、ヤーグ教諭。ここで学んだことを本番にかそうと思います」


 卒業式のしゆうりようもうしよとがっちり手を組んだ学校長のながこうじようが、実に八人もの生徒を医務室に送り出していた。ようやくスケジュールはだいてんまくの下での会食に移ったものの、いまだに彼女──ヤトリシノ・イグセムはろくに食事も取れず、ゆうとうせいならではのわずらわしさを味わっている。


「おお、ヤトリシノくん、卒業おめでとう。生活どうのコバックだ。しゆせきとはさすがだな。高等士官試験でも同じ結果を期待しても?」

「ありがとうございます、コバック教諭。期待に沿えるよう全力をくしたいと思います」


 ──あんたらに言われなくても主席はるっていうの。だからもう私を解放しなさい!

 スキのないおうたいを続けながら、実のところ、彼女は心の中でそればかりり返していた。

 卒業をいわいに来るだけならまだいい。教師たちが祝いのことの後、いちいち自分の名前を付け加えるのが、彼女にはかいかたがない。しかもその手のやからは大抵、今までの学校生活でヤトリとの関わりが薄かった連中なのだ。

 忘れられるのが怖いから、最後に少しでもいんしように残ろうとする。鹿馬鹿しいことだ。それでもゆうひんせいね備えた主席卒業生として、彼女は礼をくした態度を取らねばならない。


「おっ、よっしゃあ! ひようのお代わりが来たぞ!」


 すぐ近くで他の生徒がさけんだ内容に、ヤトリの耳がピクリと動いた。……氷菓!

 ていりつ高等学校の卒業祝いだけあって、会場のテーブルにはそれなりにえのする料理が並んでいる。たっぷりこうしんりようをまぶした魚のまるげ、山ほどの香辛料でんだ肉のスープ、死ぬほどの香辛料といつしよき上げた混ぜご飯。しようどく、味付け、たいしやそくしんを目的とした香辛料での味付けはカトヴァーナのおくにがらだ。それ自体はヤトリもれているし、構わない。

 しかし、今は校長の長口上を乗りえたばかりだ。汗なんてとっくにくして、くちびるはカラッカラのカサッカサ、体温だって平熱を軽く二度は越えている。こんな時までスパイスたっぷりの料理を食べて代謝をそくしん<外字>あせをかいてりようを得る、なんてまだるっこしいこうていんでいられない。もっとダイレクトな「冷たさ」を、ヤトリの身体からだほつしているのだ。

 どうにかキリのいいところで教師たちとの会話を打ち切ると、彼女はさっきの声の方向に向かってはやあしに歩き出した。氷菓──それはこの国のだれにとっても最高にりよく的なひびきにちがいない。雪どころかしもさえ降りることのないカトヴァーナにあって、こおりという名のほうせきを作り出すことがるのはみずせいれいたちだけ。それも一度にたくさんは作れず、たいはんれいきやくざいに回されてしまう。「こおりを食べる」ぜいたくは、特別めでたいことがあった日だけのお楽しみなのだ。

 あんじようおおざらに山ほど盛り付けられていたのだろうひようは、ものすごいスピードで人々の手に行き渡って、もはや残る分量はふうぜんともしのようだった。走り出したいしようどうかろうじてこらえながら、自分の分が残っていることだけをいのりつつ、ヤトリは皿の前に辿たどり着く。

 彼女は思わずあんいきをついてしまった。大皿の上に残っていた氷菓は本当にわずかで、かき集めて小皿に盛り付けてようやく一人分といったところだ。かんいつぱつで間に合った……のどすべり落ちる氷の冷たさを想像しつつ、彼女は盛り付け用の大スプーンに手をかけて、


「「あ」」


 スプーンのにかかった指が、同じタイミングでそれを取ろうとした少年の指と重なった。

刊行シリーズ

ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミンXIVの書影
ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミンXIIIの書影
ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミンXIIの書影
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ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミンIIの書影
ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミンの書影