「……イクタ」
「やぁ、ヤトリ。卒業おめでとう。主席とはさすがだ。同期として鼻が高い」
空々しい賛辞を述べながら、黒髪の少年は握り締めたスプーンにより強く力を込める。そこはヤトリも同じだった。左右から一本のスプーンをつかみ合って、二人は皿の前で対峙する。
「……あんた、卒業式に出てなかったでしょう」
「失礼な。心はいつだって皆と共にあった」
「あんた特有の、都合よくセパレート可能な心には興味がないわ。で、肝心の身体はどこに?」
「校舎裏の林でぐっすり寝ていたよ。今年は何人倒れたものかと心配でならなかった」
「聞いて驚きの八人よ。……で、何で卒業式をサボったあんたが、のうのうと会食にだけは出て来てるわけ?」
「これがあるから、今日は寮の方で昼食が出ないんだ。卒業式は寝飛ばせても食事は無理だし」
「あんたの都合なんて汲み取ってやる気はないわ。とにかくその手をどけなさい」
どすの利いた声で命じるヤトリに、イクタは肩をすくめて小悪党の笑みを浮かべた。
「天下の首席卒業生が、氷菓一つを他人に譲ることも出来ないなんて……」
「う」
「僕はがっかりだ。先生たちだって呆れるだろうな。イグセム家の長女がなんて浅ましい……」
家の名誉を引き合いに出されて、ヤトリの手から徐々に力が抜ける。まんまと盛り付け用のスプーンを奪い取ったイクタは、嬉々として小皿に残りの氷菓を盛り付けていった。
「さすがはヤトリシノ・イグセム。その誇りは山よりも高く、その心は海よりも広い。僕は本当にいい友人を持ったようだ──あ痛ッ!?」
盛り付けが終わった小皿を胸元に持っていった瞬間、イクタの左腕にびりびりと痺れが走った。目にも止まらぬ速度で繰り出されたヤトリシノのこぶしが、彼の肘の神経を打ったのだ。
イクタの手から滑り落ちた小皿を、その落下の途中でしっかりとキャッチして自分のものにし、ヤトリは勝ち誇った微笑みを浮かべた。
「わざわざ盛り付けてくれてありがとうイクタくん。レディー・ファーストとは紳士なのね」
「……お褒めに与かり光栄の至りだ」
涙目になって肘をさすりながら、それでもイクタはそんな減らず口を叩いた。
「…………ん~~~~~~~~っ」
口の中に広がる冷たさと甘さ、鼻から抜けるシナモンの香り、体温で溶けた氷が喉へと滑り落ちていく感触。それらの官能に、ヤトリは思わずスプーンをくわえたまま身震いしてした。
「生き返るわ。もう最っっ高ね、氷菓は」
「そりゃよござんすね。その代わりに僕は暑くて死にそうだ。いやとっくに死んでいる」
飲み物の入った陶器のコップを片手に、イクタはパーティー会場の隅っこに用意されたベンチへだらしなく腰掛けていた。幸せそうなヤトリの表情を横目で恨みがましくにらんでいる。
「大袈裟ね。ヤシ酒だってそれなりに冷えているんでしょう?」
「酒精が薄いし熟成が足りない。したがって僕はこんなものを酒とは認めない」
とか言いつつ、イクタが掛けているベンチにはヤシ酒の大甕が置いてあって、コップの中身を飲み干しては、そこから何度もお代わりしている。やがて喉の渇きが癒えると、今度はテーブルの方から両手に一杯の料理を抱えてきて、ひっきりなしに食べ始めた。
「んぐ……むぐ……。……年々味が落ちてる……あぐ……、品数も減ったし……」
「図々しいわね。がつがつ食べながら不満ばっかり言わないでよ」
「……んむ……。これが帝立高等学校のパーティーだってことを思えば、供される料理の質は帝国の威信そのもの。それが目減りしている事実は由々しきことなのだよ、ヤトリくん」
「黙っておきなさい。毎年紛れ込んでいたあんたと違ってね、普通の生徒は一度しか出ないから、料理の質なんて気付かないものよ」
言いながら、ヤトリは名残惜しげに氷菓の最後のひとさじを口に運んだ。思わずテーブルに視線をやる彼女だが、今のところ追加が来る気配はない。イクタの話が嫌でも思い出される。
「くそぅ、今年は氷菓もこれでおしまいかな。厨房で直接生産する氷はともかく、上にかけるミルクと蜂蜜の値段が、今年に入ってからずいぶん高騰したようだから」
そうぼやいて、イクタはやけになったようにヤシ酒をがぶ飲みする。腰のポーチに収まったパートナーの光精霊・クスが、その様子を心配そうに見上げた。
「イクタ、お酒はほどほどに。身体に障ります」
「そう言うな、クス。身体に障るほど飲める機会が少ないんだよ」
いつも通りのやり取りをする二人を眺めながら、ヤトリは何気なく自分の右腰に手をやって、そこに収まっているパートナーの頭を撫でる。両手に『火孔』を持つ真っ赤な火精霊シアだ。
「相変わらず苦労してそうね、クス。シアも心配してるわよ」
「ありがとうございます、ヤトリ。シアは手のかからない主に恵まれましたね」
「賛同」
ぽつりとそれだけ口にすると、シアは再び沈黙した。そっけないようだが、どちらかと言えばこれが精霊のスタンダードに近い。精霊の性格は主の影響を受けて形成されるが、クスほど高いコミュニケーション能力を持つものは稀で、とりわけ軍人付きの精霊は寡黙になりがちだ。
「あっ、ヤトリ様! 主席卒業おめでとうございますっ!」
ヤトリの姿を見つけて、群集の中から六人ほどの生徒たちが激励にやって来た。まさか冷たくあしらうわけにもいかず、教師の相手をした時と同じように、彼女も笑顔で受け答えする。
「ありがとう。それに、皆こそ卒業おめでとう」
ヤトリに声を返されると、話しかけてきた生徒たちは男女問わずに色めき立った。──内巻きと外巻きの毛先が混在する肩下までの赤髪、利発さと誠実さを象徴するような大きめの瞳、猛暑の中でも乱れなく着こなした制服。凜々しさを絵に描いたような佇まいがそこにある。
文武両道を行く優秀さに、旧軍閥の名家イグセムの出身という経歴も合わさって、ヤトリシノ・イグセムが同期の生徒たちから受ける尊敬と期待は他の誰よりも大きい。……が、それだけに、一緒にいる相手が似つかわしくない場合、そっちの方が非常に悪目立ちする。
「……あの。ひょっとして、イクタ・ソロークに絡まれていたんですか?」
案の定、隣のベンチで吞んだくれている「似つかわしくない誰かさん」の存在に気付いた女子のひとりが、声をひそめてヤトリに囁きかけた。
「え? いえ、ちょっと話していただけよ」
「こんなロクデナシ、相手にしない方がいいですよ。バカが伝染りますから」
辛辣な評価に、ヤトリは曖昧な微笑みで応えるしかない。少女はさらに耳元で続けた。
「……それに何を勘違いしたのか、あいつも高等士官試験を受けるって噂です。どうせすぐに落ちると思いますけど、足を引っ張られないように注意してください」
その言い様にはさすがのヤトリも失笑をこらえかねたが、それより先に少女が話題を変えた。