「それはそうと、ヤトリ様。いつ頃から指揮官として実戦に行かれるんですか?」
まだ試験さえ受けていないのに、気が早いにも程がある。が、もちろん、そんな本心はおくびにも出さず、ヤトリは少女の無邪気な質問へ丁寧に答えてやった。
「まだ何とも言えないけれど、普通は四~五年くらい訓練してから少尉の階級をもらって、それから正式な士官として扱われるみたいね」
「四年……。ヤトリ様のことだからもっと早いんだろうけど、さすがに間に合わないかなぁ」
「間に合わない……? 何の話?」
ヤトリが首をかしげて訊き返すと、今度は少女の後ろの方にいた男子が答えた。
「彼女、親戚がカトヴァーナの東域に住んでいるんですよ。ほら……帝国の東域鎮台は今、キオカ共和国軍の侵攻に国境で対抗しているでしょう?」
「そうそう。ヤトリシノさんが援軍に行ってくれれば頼もしいって話をしてたところで」
さらに別の少年が補足した。ヤトリが返答に詰まったことにも気付かず、彼らは続ける。
「でも、さすがにそれまでには、共和国の奴らも侵攻を諦めてるでしょうね。何しろ東域鎮台の司令長官は、かの名将ハザーフ・リカン殿ですから。今はちょっと得体の知れない新兵科に苦しめられているようですが、じきにそれも克服してくれると……」
「早く親戚を避難させてやれ。東域とか、もう一月もしない内に、キオカ軍の手に陥ちるから」
会話の途中、イクタが淡々と言葉を挟んだ。その不吉な内容に、少女らの眉根が寄る。
「……ちょっと。どういう意味よ、それ」
「言葉通り。東域鎮台は負けて、あの一帯はキオカ共和国に接収されるんだ。リカン中将には心から同情する。やっかいな首輪さえ付いていなければ、こんな結果にはならなかったものを」
「……聞き捨てならんぞ、イクタ・ソローク。リカン中将率いる東域鎮台は、夷敵どもの侵攻を退けるために今もって全力を尽くしている。だというのに、どうして貴様の口は敗北を騙る?」
「必勝の信念こそが結果を呼び込むのだ。お前のような敗北主義者には分かるまいがな」
口々にイクタへ反発するのは、その多くが卒業後の進路として軍属を決定している生徒たちだ。彼らの根っこには自国の軍に対する盲目的なまでの信頼があり、それは「必勝の信念」という思考放棄に名を変えて、東域での戦況に対する愚かしいまでの楽観を生んでいる。
「高等士官試験を受けるって噂に聞いたけど、はっ、正気か? 受かる受からない以前に、帝国軍がお前みたいな腑抜けを欲しがるかよ。なぁ『怠けのイクタ』」
「講義も実技もサボッてばかり。その時間に何をするかといえば、昼寝と徒食と女漁りとくる。ろくでなしの見本品、ごくつぶしの免許皆伝──それがお前だろう、イクタ・ソローク」
「うみゃぁ、返す言葉もない」
イクタがとぼけた顔でうめいた。その態度が少年たちの神経をいっそう逆撫でして、さらなる非難を集めかけたが、そこですかさずヤトリが間に入って剣吞とした場をとりなす。
「まぁ皆、そうとがらずに。今日はめでたい日なんだから、喧嘩せず楽しく過ごしましょう」
場の中心にいるヤトリにそう言われては、他の面々も抑えるしかない。少し不満げな面持ちで彼らが去っていくと、残ったヤトリは溜め息をついて隣の少年に問いかけた。
「……やっぱり、陥ちるの? 東域鎮台は」
「こぶしを封じられたボクサーに勝ち目があると思う?」
イクタの喩えはシンプルで辛辣だった。コップにヤシ酒のお代わりを注ぎつつ、彼は続ける。
「冷静に考えればすぐに分かることじゃないか。だいたい、どうして前線では今でも東域鎮台が戦っているんだ? 『鎮台』っていうのは平時に常設される地方の軍事機構だよ。キオカ軍の侵攻が始まってから三ヶ月以上経つんだから、本気で戦争に勝つつもりなら、とっくに中央から兵力を送られて東域方面軍に組み替えられてなくちゃおかしい」
常設組織である鎮台は軍隊としての機動性に欠けるため、守る力があっても攻める力がない。『こぶしを封じられたボクサー』とイクタが喩えたのはそういうことだ。積極的な攻め手を持たない東域の兵たちは、そのために先の見えない防衛戦を強いられている。
「専守防衛に勝ち目がないのは軍事学における初歩の初歩だ。ガードの上からタコ殴りにされるだけだからね。今の東域鎮台はまさにそれ……いや、もっと悪いか。今回の戦争からキオカ軍が投入してきた新兵科は、こちらのガードをすり抜けて打撃を与えてくるんだから」
「……天空兵部隊のことね。確かに、あれは帝国が想像もしなかった脅威だわ」
ヤトリが苦々しげにうなずいた。──天空兵部隊。それは気球に乗った多数の兵士によって編成されるキオカ軍の新兵科のこと。彼らは上空から国境を越えて帝国領土に侵入し、補給の中継点となる軍施設や集落に、火を点けた油を大量に落として回る。
飛行空域が高すぎるため、今のところ帝国側には天空兵に対する直接的な迎撃手段がない。弓矢も銃弾も届かない遥かな高みから、彼らは一方的な被害を帝国に与え続けることができるのだ。このダメージの蓄積が、時間をかけて東域鎮台の兵たちを苦しませる。
「天空兵による『空爆』の開始から今に至るまで、すでにどれだけの集落が焼かれたことか……。いや、家が焼かれるだけならまだいい。畑の作物を焼かれ、穀倉を焼かれては、食いぶちを養っていけない。鎮台の兵たちも同じことさ。彼らはもう、今日食うものにも困ってる有様のはずだ」
「でも、中央から補給の物資は届いているはずよ」
「空襲で焼け出された人々の全員に行き渡るほどの量を? まさか、そんな余裕は中央にだってないさ。仮に送っているとしても、それをこれから延々と続けるのか? 肝心の戦争に勝つ見込みもないのに?」
言って、イクタはベンチにごろりと寝転がった。何もかも馬鹿馬鹿しいとでも言いたげだ。
「何より哀れなのは、鎮台司令長官のハザーフ・リカンその人だ。約束された負け戦の指揮はさぞかし辛いだろうね。それもこれも全ては、本気で戦争をするつもりのない皇帝と内閣の怠慢──」
「その辺にしておきなさい、イクタ。さすがに場所が悪いわ」
周囲の聞き耳をはばかって、ヤトリが彼の発言を諫めた。カトヴァーナ帝室は神聖にして不可侵。まして戦時の今、その批判を安易に口にすることは許されない。特に旧軍閥の名家出身であるヤトリの発言には否応なく責任が伴う。不用意なお喋りはできないのだ。
「だいいち、関わることも出来ない戦争について話すよりも、今の私たちにはもっと建設的な話題があるでしょう?」
「ん……? ああ、今夜の卒業祝いか。夜通しパーッとやりたいね。どこ飲みにいく?」
「たった今たらふく飲んだばかりじゃない! 私が言いたいのは高等士官試験のことよ!」
仰向けにクスを抱き上げた姿勢で、イクタは苦虫を嚙み潰したような顔になった。