序章 ④
びっくりしてサッと一歩
そんな彼女を宥めるように先輩が背後から軽く抱きつく。
「
「でもこの人、前の全校集会のとき
「みんなからはそう見えたかもしれないけど、本当はあれ、私のためを思って言ってくれたんだよ。わざと悪役を買って出て、私の悩みごとを密かに解決してくれたの」
「そ、そうなの? じゃああの雨の中の出来事は?」
「雨の中の出来事?」
「この人が
そういえば前にそんなこともあったか。部員たちのまえで
たしかにあの醜態は俺の素行を疑うに十分な理由になる。
先輩は「えーとあれは……」と言いよどむ。あの時にいたのは偽者のほうで、本物の先輩はその場面を知らないから当然の反応だ。迂闊に弁解して状況と違うことを話せば、無理に俺のことを庇っていると見なされかねないから。
かといって当人である俺が口を挟めば逆効果だし……。
「あれはアタシの早とちりよ」
困っていたら
「あの時はアタシも噂を信じてたからてっきり
「そ、そう! すっごく真剣な話!」
「でもかなり剣吞な雰囲気でしたよ? この人も無言で立ち去ったし」
厄介にも
「話ってのが本人たちの恋愛話だったんだって。で、下手に話して変に情報が流れるのが嫌だから黙ってたらしいわよ。
「は、はい。俺のことで巻き込みたくなかったので」
「つまりこいつは勘違いされやすいただの変人ってだけ。分かった?」
その余計な一言がなければ頼もしい人なのに……。異を唱えたいが話を蒸し返すことになるからできない。先輩もありがたいような不服なような微妙な顔だ。
すっかり騙されたらしい
「疑ってごめんねっ。改めまして、
敵意の消えた満面の笑みで、ぶんぶんと手を上下に振る。ここまで友好的な反応を示してくれたのは先輩以来だ。
「
「あとは
「私はいるぞ」
そこにはいつの間にか長身の女子生徒が佇んでいた。三年生だ。
腰まで届く絹のようにキレイな黒髪ストレートに、その下の無感情を湛えた顔は欠伸をする仕草さえもどこか儚げに見せてしまうほどの美貌だ。
「
みんなの驚きを代弁した
「最初からだ。そこの陰で仮眠をとっていた」
「えぇ、じゃあ私が
「
淡々とそう言う。なんだか摑みどころのない不思議な人だな。残念美人ってやつか。
「あの何か……?」
「
「あ、ああ、俺は
「聞いていたから知っている。それよりも君、
「え?」
自己紹介の流れと思いきや、脈絡のない質問に少し戸惑う。
「先輩の好きなところは多々ありますけど」
「具体的に」
「えーと、誰にでも分け隔てなく優しいところや、いつもホッとするような笑顔を向けてくれるところ、趣味の話をするときの無邪気なところとか、あと……」
「
「彼がどれだけ
「それを
「べつにどうもしない。ただ知りたいだけ。それで彼、
「え、そう、そうかなぁ」
照れる先輩を見て、
「まーた幸せそうに
「の、
「その割には口元がすごく緩んでるけどね。アタシの前だけじゃなくて、この大人数の中でも感情を隠しきれなくなるなんてどれだけぞっこんなのよ」
「は、初彼氏なんだからちょっとぐらい気持ちが浮ついたってしょうがないじゃん!」
「べつに責めてるわけじゃないわよ。アタシとしても
「今までそんなこと考えてたの!?」
「そりゃアタシは
「私の気持ちに同調してくれてると思ったのに! もう
「つまり
「〜〜〜〜っ」
先輩は声にならない声を上げて、
常に落ち着いた印象の先輩がここまで取り乱すとは驚きだ。よく思えば同級生たちの中にいる時を見たことがなかったから新鮮だな。
先輩の新たな一面を知れて嬉しくなりながらも、周りを見回す。
ここにいるのが現演劇部メンバー全員のようだ。かなり女子率が高い。リョウが演劇部に入ったのは誤って素の性格が出たときの言い訳にするためだと思っていたが、こういう側面もあるわけか。欲望に貪欲だな。
それから銘々会話をしていると、部活時間を十五分ほど過ぎた頃に先生がやってきた。
知っている顔だ。家庭科担当の
外見的に歳は二十代半ばぐらいだろうか。後頭部でお団子にまとめた灰色の髪に、
家庭科の授業は週一でまだ数回しか受けていないから人柄に詳しくないが、ちょっと暗めの普通の先生という印象だ。
「遅れてごめんねぇ。部活時間までには片付く予定だったんだけど」
「
「むしろ今日は早いほうだな」
三年生からツッコミが入る。教師に対してタメ口。軽んじられているのか慕われているのか、気安く渾名で呼んでいるあたり後者だと思うけど。
「今度からは早く
「それ、前にも言ってたわよ」
「そ、そうだったかしら。ごめんなさ──────ああ、
脇に挟んで持っていたファイルケースを長机に放りだし、先輩の両肩にがっしりと手を置く。



