信勝は信長がその魔姫那を多く有していることを知っており、『魔姫那を試合に出さない』という条件を信長が吞んだ時点で安心しきっていた。その時点で勝負はついていたのだ。
「人死にを避け、力を見せつけ、戦わずして相手を従える。オレは宣言通りにやったハズだぜ。にもかかわらず指南役を降りたいとはどういう了見だ? 先生よぉ」
清洲城の一室にて、信長が目の前の青年に問う。青年は落ち着き払っていた。信長よりも年下で女と見紛う端整な容姿をしているが、胆力は確かなもので臆することなく言葉を返す。
「尾張守護の斯波家は没落。競争相手の織田伊勢守家、大和守家も屠り、弟君である信勝殿改め判子頭殿は飼い殺しにして支配体制は盤石。私の出る幕はもう無いでしょう」
「それを決めるのはテメエじゃねえ!」
周囲の側近の緊張は戦場もかくや、という有り様であった。信長は苛烈であり、兄弟ならまだしも自分に歯向かう臣下には容赦がなく、加えて短気である。顔は真っ赤でこめかみに青筋が立っており、爆発寸前といった様相だった。
「……全員下がれ。二人きりにせよ」
静かに、だが殺気混じりに下された命令に常に傍らにいるはずの小姓すらも従った。
二人きりになった後、信長は腰を浮かすと、青年の太ももに飛び込んで駄々をこね始めた。
「ヤダヤダ〜〜〜! 先生が辞めるなんてヤダ〜〜〜〜!!」
鬼神が如く苛烈な織田信長の面影は微塵もなく、まるで恋人から切り出された別れ話を拒絶する少女のようだった。年下の男に縋り付く成人男性の姿はみっともないことこの上なし。されど、信長にこういう面があることを青年は熟知している。五年も仕えてきたのだから。
「もう決めたことです。お許しくだされ」
「無理! もうお前が妻子と暮らすための屋敷も建て始めてるんだし!」
「権力と財力使って無茶苦茶しないでください……あと、俺、独身ですよ」
「嫁の候補は既に用意してるし。オレの姉妹か従姉妹か叔母あたりを」
「しかも親戚筋に取り込む算段だったとは」
「先生は苗字名乗りたがらないからオレの苗字をあげようと思って」
「やることなすこと重いんですよ……」
余談ではあるが、信長は男もイケる口である。故に見目麗しい青年を先生と慕い、指南を仰いでいることに周囲から色ボケと少なからず邪推されていた。
「いいじゃん。織田家になっちゃえよ。思ったよりあっさり尾張が手に入ったから嫁がせようと思ってた女たちが余ってるんだ。遠慮はいらねえ。おすすめは犬山に嫁がせようとしていたオレの姉貴だな。これまた身内贔屓ではなく絶世の美女と噂されていて」
「や……年上の女性は苦手でして……」
「あー、そっちの方の趣味か……まあ、珍しくもない話だ。うん。美貌と愛嬌でいえば市がダントツ……だがなあ、義兄としては、子作りもできない歳の妹を性の対象にされるのは」
「義弟じゃない。ロリコンじゃない。あなたの思考には極端と極端しかないんですか!?」
「間を取る、というならば……やはりオレが満足させるしかないな。袴を脱いで」
「脱がないでください! 乗り気なのが怖いんですよ!」
青年は信長をひっぺがし立ち上がる。拒絶された信長は不満げに立て膝をついてボヤく。
「オレは先生に感謝しているし、ずっと支えてほしいと思ってるんだぜ。先生のおかげでうちの魔姫那部隊は盤石。今川や武田にも引けを取らねえようになったんだ」
信長が言ったとおり、青年は魔法指南役という立場で織田家に仕えている。その名のとおり、魔法に関する指南を行うのが仕事であり、魔姫那への魔法の指導の他、大名に魔法の運用方針に関する献策なども行う。現代で言うところのコンサルタント的な仕事である。
「先生には散々語ったよな。オレの夢を」
「……『天下布武』。足利幕府の統治能力が失われた今、誰かが代わって天下を治める天下人にならなくてはこの乱世は終わらない。武力を以て天下を覆う布を敷く────その役を担おうとする信長様の御意志は素晴らしいものだと思います」
「素晴らしいと思うなら手伝えよ。斎藤はともかく、東の今川なんかはいずれ雌雄を決さねえといけねえ。その時には先生の力が必要なんだよ。頼む」
信長はそう言って頭を下げた。青年は困ったように形のいい眉を歪めたが、しっかりと拒否の意思を貫いた。
「尾張一国を統一するための戦であれば、力を誇示するだけで事足りました。しかし、他国に攻め入り、領土を広げる戦はこれまでのように行きません。大名たちは自身の権益や矜持を護るためであれば、死力を尽くして抵抗することでしょう。そんな時、魔法の力は人間の手に余る。魔姫那の軍団が本気で攻め入ればどんな名城も一日と保たないし、一〇万の大軍も骸と変わる。戦う者同士の戦いだけならまだ良い。田畑を荒れ地に戻し、街を焼き尽くすことだって魔法であれば容易い。そんな力で大名同士が相争えば間違いなく日の本は滅びます」
「そこまで見通せる奴らばかりであればここまで乱世は拗れてなかろうよ。今は気づいたものだけが魔姫那を囲い込み、力を蓄えているが、いずれ水を堰き止めていた堤が決壊するように、すべての勢力が魔姫那を主力とした戦略を取るようになり、魔法は戦の道具となる」
「それはあってはならないことです! 本来、魔法はか弱くも心優しい少女たちが理不尽な悲劇から身を守るため授けられた力! 悲劇を生む側になってはならないのです! だから俺は、魔法の正しき使い方を世に広め、魔姫那たちを救いたい……」
信長は「で、あるか」と呟くと、呆れたようにため息を吐いた。
「だから織田家を離れるか。そりゃ短慮ってもんさ。魔法の力は強大だ。いかに人道を説いて育てようとその力に目が眩み、殺戮の限りを尽くす魔姫那はいる。お前を脅迫し、自分の手兵を育てようとする大名なんかも。かえって悲劇を巻き起こすだけかもしれねえぞ」
「それでも、です。罪を背負ってでも男には為さねばならないことがあると、あなたを見て学びました。俺にとっては、正しい魔法の使い方を世に広めることが、それなんです」
信長は合理的である。青年の言葉には熱がこもっていた。しかし見通しが甘く、理想の先で冷酷な現実を目の当たりにすることは必定。ゲンコツを食らわせてでも止めた方が彼のためになる。そうわかっていたが、青年の頭を乱暴に撫でた。弟を慈しむような親愛の情がそこにはあった。
「もっと平和で吞気な時代であれば、お前の理想は力を持て余すものにとっての道標となれたろう。だが、今は乱世だ。正しさで人は動かん。逆に力で他人を動かして自分の正しさを押し付け合う時代だ」
「心得ています。だからこそ、やり甲斐がある」
二人はニヤリと笑い合った。青年の頭から手を離し、信長は向き直って座る。
「もう、お前を先生とは言わねえからな、夜半よ。お前を織田家魔法指南役の任から解く。その足で乱世を歩き、その目で天下を見極めてきやがれ」
久方ぶりに『夜半』と名を呼ばれた青年は拳を床について深々と頭を下げた。
袂を分かつと言っても仲違いをしたわけではない。互いに理想を追い求めて、まっすぐ生きていけば何年後か、何十年後か、必ず友好的なかたちで再会できるだろう。
遠い未来に願いを込めて夜半は頭を下げ続けた。
この後、夜半は各地を渡り歩き、魔法の指南を行う一方で、魔姫那の起こした騒動を片付けたり、困窮した村や民を救ったりと幅広く活躍し、その名声を高めていった。
一方、信長は尾張を完全に平定し、さらなる飛躍を目指して国力の増強に取り組んだ。尾張一国といえど東海道の出入り口と熱田港を擁するこの国の潜在能力は高く、潤沢な経済力と拡張された魔姫那軍団によって彼の描く天下布武構想が現実味を帯びてきた────その矢先のことである。
織田信長が暗殺されてしまったのは。