織田ブリュンヒルド信長は天下のナナメ上を征く

プロローグ『絶対に負けられない戦いがしょっちゅうあるのが乱世』 ②

 信(のぶ)勝(かつ)は信(のぶ)長(なが)がその魔(マ)姫(キ)那(ナ)を多く有していることを知っており、『魔(マ)姫(キ)那(ナ)を試合に出さない』という条件を信(のぶ)長(なが)が吞(の)んだ時点で安心しきっていた。その時点で勝負はついていたのだ。


「人死にを避け、力を見せつけ、戦わずして相手を従える。オレは宣言通りにやったハズだぜ。にもかかわらず指南役を降りたいとはどういう了見だ? 先生よぉ」


 清(きよ)洲(す)城(じよう)の一室にて、信(のぶ)長(なが)が目の前の青年に問う。青年は落ち着き払っていた。信(のぶ)長(なが)よりも年下で女と見(み)紛(まが)う端整な容姿をしているが、胆力は確かなもので臆することなく言葉を返す。


「尾(お)張(わり)守(しゆ)護(ご)の斯(し)波(ば)家は没落。競争相手の織(お)田(だ)伊勢(いせの)守(かみ)家、大(やま)和(との)守(かみ)家も屠(ほふ)り、弟君である信(のぶ)勝(かつ)殿改め判(はん)子(こ)頭(のかみ)殿は飼い殺しにして支配体制は盤石。私の出る幕はもう無いでしょう」

「それを決めるのはテメエじゃねえ!」


 周囲の側近の緊張は戦場もかくや、という有り様であった。信(のぶ)長(なが)は苛烈であり、兄弟ならまだしも自分に歯向かう臣下には容赦がなく、加えて短気である。顔は真っ赤でこめかみに青筋が立っており、爆発寸前といった様相だった。


「……全員下がれ。二人きりにせよ」


 静かに、だが殺気混じりに下された命令に常に傍(かたわ)らにいるはずの小(こ)姓(しよう)すらも従った。

 

 二人きりになった後、信(のぶ)長(なが)は腰を浮かすと、青年の太ももに飛び込んで駄々をこね始めた。


「ヤダヤダ〜〜〜! 先生が辞めるなんてヤダ〜〜〜〜!!」


 鬼神が如(ごと)く苛烈な織(お)田(だ)信(のぶ)長(なが)の面影は微(み)塵(じん)もなく、まるで恋人から切り出された別れ話を拒絶する少女のようだった。年下の男に縋(すが)り付(つ)く成人男性の姿はみっともないことこの上なし。されど、信(のぶ)長(なが)にこういう面があることを青年は熟知している。五年も仕えてきたのだから。


「もう決めたことです。お許しくだされ」

「無理! もうお前が妻子と暮らすための屋(や)敷(しき)も建て始めてるんだし!」

「権力と財力使って無茶苦茶しないでください……あと、俺、独身ですよ」

「嫁の候補は既に用意してるし。オレの姉妹か従(い)姉(と)妹(こ)か叔母あたりを」

「しかも親(しん)戚(せき)筋(すじ)に取り込む算段だったとは」

「先生は苗(みよう)字(じ)名乗りたがらないからオレの苗(みよう)字(じ)をあげようと思って」

「やることなすこと重いんですよ……」


 余談ではあるが、信(のぶ)長(なが)は男もイケる口である。故に見(み)目(め)麗(うるわ)しい青年を先生と慕い、指南を仰いでいることに周囲から色ボケと少なからず邪推されていた。


「いいじゃん。織(お)田(だ)家になっちゃえよ。思ったよりあっさり尾(お)張(わり)が手に入ったから嫁がせようと思ってた女たちが余ってるんだ。遠慮はいらねえ。おすすめは犬(いぬ)山(やま)に嫁がせようとしていたオレの姉貴だな。これまた身(み)内(うち)贔(びい)屓(き)ではなく絶世の美女と噂(うわさ)されていて」

「や……年上の女性は苦手でして……」

「あー、そっちの方の趣味か……まあ、珍しくもない話だ。うん。美貌と愛(あい)嬌(きよう)でいえば市(いち)がダントツ……だがなあ、義(あ)兄(に)としては、子作りもできない歳(とし)の妹を性の対象にされるのは」

「義(おと)弟(うと)じゃない。ロリコンじゃない。あなたの思考には極端と極端しかないんですか!?」

「間を取る、というならば……やはりオレが満足させるしかないな。袴(はかま)を脱いで」

「脱がないでください! 乗り気なのが怖いんですよ!」


 青年は信(のぶ)長(なが)をひっぺがし立ち上がる。拒絶された信(のぶ)長(なが)は不満げに立て膝をついてボヤく。


「オレは先生に感謝しているし、ずっと支えてほしいと思ってるんだぜ。先生のおかげでうちの魔(マ)姫(キ)那(ナ)部隊は盤石。今(いま)川(がわ)や武(たけ)田(だ)にも引けを取らねえようになったんだ」


 信(のぶ)長(なが)が言ったとおり、青年は魔法指南役という立場で織(お)田(だ)家に仕えている。その名のとおり、魔法に関する指南を行うのが仕事であり、魔(マ)姫(キ)那(ナ)への魔法の指導の他、大名に魔法の運用方針に関する献策なども行う。現代で言うところのコンサルタント的な仕事である。


「先生には散々語ったよな。オレの夢を」

「……『天(てん)下(か)布(ふ)武(ぶ)』。足(あし)利(かが)幕(ばく)府(ふ)の統治能力が失われた今、誰かが代わって天下を治める天下人にならなくてはこの乱世は終わらない。武力を以(もつ)て天下を覆う布を敷く────その役を担(にな)おうとする信(のぶ)長(なが)様の御意志は素晴らしいものだと思います」

「素晴らしいと思うなら手伝えよ。斎(さい)藤(とう)はともかく、東の今(いま)川(がわ)なんかはいずれ雌雄を決さねえといけねえ。その時には先生の力が必要なんだよ。頼む」


 信(のぶ)長(なが)はそう言って頭を下げた。青年は困ったように形のいい眉を歪(ゆが)めたが、しっかりと拒否の意思を貫いた。


「尾(お)張(わり)一国を統一するための戦であれば、力を誇示するだけで事足りました。しかし、他国に攻め入り、領土を広げる戦はこれまでのように行きません。大名たちは自身の権益や矜(きよう)持(じ)を護(まも)るためであれば、死力を尽くして抵抗することでしょう。そんな時、魔法の力は人間の手に余る。魔(マ)姫(キ)那(ナ)の軍団が本気で攻め入ればどんな名城も一日と保(も)たないし、一〇万の大軍も骸(むくろ)と変わる。戦う者同士の戦いだけならまだ良(い)い。田畑を荒れ地に戻し、街を焼き尽くすことだって魔法であれば容(た)易(やす)い。そんな力で大名同士が相争えば間違いなく日(ひ)の本(もと)は滅びます」

「そこまで見通せる奴(やつ)らばかりであればここまで乱世は拗(こじ)れてなかろうよ。今は気づいたものだけが魔(マ)姫(キ)那(ナ)を囲い込み、力を蓄えているが、いずれ水を堰(せ)き止(と)めていた堤が決壊するように、すべての勢力が魔(マ)姫(キ)那(ナ)を主力とした戦略を取るようになり、魔法は戦の道具となる」

「それはあってはならないことです! 本来、魔法はか弱くも心優しい少女たちが理不尽な悲劇から身を守るため授けられた力! 悲劇を生む側になってはならないのです! だから俺は、魔法の正しき使い方を世に広め、魔(マ)姫(キ)那(ナ)たちを救いたい……」


 信(のぶ)長(なが)は「で、あるか」と呟(つぶや)くと、呆(あき)れたようにため息を吐(つ)いた。


「だから織(お)田(だ)家を離れるか。そりゃ短慮ってもんさ。魔法の力は強大だ。いかに人道を説いて育てようとその力に目が眩(くら)み、殺(さつ)戮(りく)の限りを尽くす魔(マ)姫(キ)那(ナ)はいる。お前を脅迫し、自分の手兵を育てようとする大名なんかも。かえって悲劇を巻き起こすだけかもしれねえぞ」

「それでも、です。罪を背負ってでも男には為(な)さねばならないことがあると、あなたを見て学びました。俺にとっては、正しい魔法の使い方を世に広めることが、それなんです」


 信(のぶ)長(なが)は合理的である。青年の言葉には熱がこもっていた。しかし見通しが甘く、理想の先で冷酷な現実を目(ま)の当(あ)たりにすることは必定。ゲンコツを食らわせてでも止めた方が彼のためになる。そうわかっていたが、青年の頭を乱暴に撫(な)でた。弟を慈(いつく)しむような親愛の情がそこにはあった。


「もっと平和で吞(のん)気(き)な時代であれば、お前の理想は力を持て余すものにとっての道(みち)標(しるべ)となれたろう。だが、今は乱世だ。正しさで人は動かん。逆に力で他人を動かして自分の正しさを押し付け合う時代だ」

「心得ています。だからこそ、やり甲(が)斐(い)がある」


 二人はニヤリと笑い合った。青年の頭から手を離し、信(のぶ)長(なが)は向き直って座る。


「もう、お前を先生とは言わねえからな、夜半よ。お前を織(お)田(だ)家魔法指南役の任から解く。その足で乱世を歩き、その目で天下を見極めてきやがれ」


 久方ぶりに『夜(ヨ)半(ハン)』と名を呼ばれた青年は拳を床について深々と頭を下げた。

 袂(たもと)を分かつと言っても仲(なか)違(たが)いをしたわけではない。互いに理想を追い求めて、まっすぐ生きていけば何年後か、何十年後か、必ず友好的なかたちで再会できるだろう。

 遠い未来に願いを込めて夜(ヨ)半(ハン)は頭を下げ続けた。

 

 この後、夜(ヨ)半(ハン)は各地を渡り歩き、魔法の指南を行う一方で、魔(マ)姫(キ)那(ナ)の起こした騒動を片付けたり、困窮した村や民を救ったりと幅広く活躍し、その名声を高めていった。

 一方、信(のぶ)長(なが)は尾(お)張(わり)を完全に平定し、さらなる飛躍を目指して国力の増強に取り組んだ。尾(お)張(わり)一国といえど東海道の出入り口と熱(あつ)田(た)港(のみなと)を擁するこの国の潜在能力は高く、潤沢な経済力と拡張された魔(マ)姫(キ)那(ナ)軍団によって彼の描く天(てん)下(か)布(ふ)武(ぶ)構想が現実味を帯びてきた────その矢先のことである。

 

 織(お)田(だ)信(のぶ)長(なが)が暗殺されてしまったのは。



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