「なんて美しい魔姫那だろう……」
遠江国(現在の静岡県西部)にある浜松の商家で丁稚奉公している少年は往来を歩く美少女に目を奪われた。黄金の彩髪をたなびかせ、スラリと伸びた手足で堂々と道を行く。
彼女を挟むように歩くのはサルさながらの醜く小さな下男と長身の優男。一〇〇騎の馬廻りを連れててもおかしくない美姫にしては控えめなお供だと思ったその時、彼女と目が合った。それだけではなくつかつかと歩み寄ってくるではないか。
「旦那さんはいらっしゃいますか?」
と尋ねた。舞い上がった少年がしどろもどろしている内に、奥から体格が良く髪を剃り上げた男が現れた。上背は夜半よりも高くいかめしい姿をしているのに、その所作は厳かで美しく、滑るようにしてブリュンヒルドのすぐそばにやってきた。
「なんやなんや! ブリちゃんやんか。元気にしとったか?」
「もちろんですよ、そうちゃん! キッチンカーでの旅は快適でした!」
「そらええこっちゃ。じゃあ、旅の無事を祝って繰り出そうか。父活や父活。おっちゃん金なら腐るほどあるさかいな。往来ごと買い上げたるわ」
「生憎ですけど、父活は日吉と先生に禁止されましたので」
そう言われて男はブリュンヒルドの背後にいる日吉を睨みつけ、腰を曲げて語りかける。
「ウキキキ、ウッキー、ウホッホッ、キィ──」
「日本語で構わんでござる!」
「おお、人の言葉がうまくなったやないか。やけど語尾に正体が現れとるで」
「やかましい! 姫さまから離れよ! 貴公の下品さが感染っては大変でござる!」
「ほっほっほ、そら感染るようなことの一つでもしたいもんやな。借金の利子代わりにちょこっとサービスしてくれへん?」
「くたばれ! このスケベ坊主!」
悪態を吐き合う二人を夜半はコホン、と咳払いをして引き離す。
「あなたがブリュンヒルドに金を貸しているお方か」
「せやけど、なんや。君は?」
「同じくコイツに金を貸している者だが、俺への返済は後回しでいい。金を受け取ってくれ」
「ほへ? ブリちゃんが、お金を、返す? 君はお猿よりも日本語下手なんか? ブリちゃんはお金借りることあっても返すことなんてあらへんやろぉぉぉ。逆ぅぅぅ〜」
夜半がうざったそうに顔を引き攣らせた。一方ブリュンヒルドは意気揚々と重そうな麻袋を台の上に置く。袋の中には銭束がぎっしりと詰まっていた。
「えへへへ……どうですか!? 私が本気出せばこんなもんですよ!」
男は目をパチクリしたあと、不意に目頭を押さえて嘆く。
「おいおい……いくら借金まみれやからって強盗ばたらきなんて別嬪さんのやることちゃうで! そんなんするんやったらおっちゃんと父活しようや! 父活!」
「悪いことなんてしてませんよ! ちゃんと汗水垂らして稼いだお金です! ねっ、先生!」
夜半は面倒そうに頭を搔きながらことの経緯を説明するため座敷に上がった。
「なるほど……その丹羽殿の村で売りもんは売り尽くし、加えて米の売却を仲介してあの金を得たということかいな。前者はともかく、後者は君の取り分ちゃう?」
「依頼人のお使いを引き受けたなんて知れ渡ると面倒だからな。アイツに押し付けたんだよ」
「そんなこと言うてはるけど、ホンマのところはブリちゃんを一刻も早う身綺麗にしてやりたかったからやろ? イケメンのくせに甲斐甲斐しいこって」
ニチャア……と汚い笑みを浮かべる男の名は千宗易。堺(現在の大阪府堺市)を拠点としている商人だが手広く商売を行っており、浜松の街にも店を構えている。ブリュンヒルドとは「そうちゃん」「ブリちゃん」と呼び合う間柄だ。夜半は威嚇するように手元に置かれたお茶を乱暴に啜った。
「ご機嫌斜めやん。もしかして手前とブリちゃんの関係気になんのか? あんな親子ほども年齢の違う娘と手前が? わっはっはっはっ! そんなん…………めっちゃエッチやなあ」
「あはれという言葉にそんな下品な意味はない……たぶん」
「冗談や。手前は彼女のファンの一人に過ぎひん。むしろ、キミみたいにちゃんとした男がお守りしてくれるんやったら一安心やわ。日吉は知恵者やけどサル過ぎるしな。ブリちゃんも若い乙女やしイケメンが身を張って護ってくれる方が嬉しいやろ」
「善意で借金を立て替えたのに、お守り役だけでなく護衛役まで押し付けられるなんて……」
「そんなこと言うとるけど、役得やろ。あんな美少女と一緒に旅できるやなんて。夜寝てる時にこっそりあはれなことしてやろうとか思わんの?」
「頭のおかしい発想と奇矯な行動ばかりして迷惑をかけるガキにそんなこと思うか」
「自由奔放で手のかかるところも含めて可愛らしい娘やん」
「……見てくれがいいことは認める。ハッ、中身を知っていれば近寄りはしなかったがな」
自嘲気味に笑う夜半。思い返すのはひと月前の記憶。清洲の街でブリュンヒルドと出会った時のことだ。