耳をつんざくような野蛮な音に思わず耳を塞いでしまう夜半。だがその両手はブリュンヒルドが前に出てきて貫くようなシャウトを上げた瞬間に耳から離れた。
ブリュンヒルドの形の良い唇から紡がれるのは、叙情的な愛の歌。『あなた』に向かって捧げる剝き出しの恋慕。日常に転がる何気ない気づき。歌えることの喜び。この世に蔓延る理不尽への反抗。か弱き人間の気高さ。そして、今を生きる人へのエール。
今までになかった視点で紡がれる独創的な歌詞を流麗で耳心地のいいメロディに載せて歌い上げる。観衆は聴き惚れるだけでは飽き足らず、共に歌い、体を揺らし、涙や笑顔で自らの感情を表現して応える。ブリュンヒルドは魔法を使っているわけではない。だが、この場に集まった何百人もの観衆は彼女に心を奪われている。もしも彼女の歌を止めようとするならば、それが万の大軍を率いた武将であってもここにいる観衆は敢然と立ち向かう。そう思わせるほどに凄まじい熱がこの場にはあった。
「あらためてこんにちは! ブリュンヒルドです! 名前だけでも覚えて帰ってください!!」
「「「「ブリュンヒルドさまぁあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」」」」
「良き御返事!! 祝着至極です!!」
周囲が合戦の鬨さながらに大声を上げているのを夜半は冷ややかな目で見ていた。
「ブリュンヒルド……大層派手な魔名だな」
魔名とは魔姫那が主人から授かる名前であり、大名の麾下に加わる魔姫那が現れたあたりから流行り始めた風習である。ちょうど魔法伝来と同時期に南蛮から様々な書物が渡来するようになり、その中に描かれていた女性名をあてることが多い。なお、響きの良さとカタカナで書かれる名前のハイカラさに惹かれて主人を持たない野良魔姫那が自称することもよくある。
大名家に仕える魔姫那がこんな催しに堂々と出るわけもないのでおそらく後者であろう、と夜半はごっこ遊びをする子どもを見守るような気分だった。しかし、
「よ───っし! じゃあ、みんなに魔法をかけちゃうぞ!」
「「「「かけてぇぇぇぇえええええええ!!」」」」
「なっ!? 待て────」
虚を衝かれた夜半は狼狽した。周りの群衆は完全にブリュンヒルドの虜になっており、来る魔法の衝撃に何の身構えもしていない。
(このままでは数百の死傷者が出る!)
夜半は反射的に刀の柄に手を掛けようとするが、
「待たれよ! 旦那の思っているようなものではないでござるよ!」
先ほどの猿に似た男が夜半の服の袖をぎゅっと摑んだ。その気になれば簡単に振り払えたが、その言葉は真摯なものであったので刀を抜き損ねた。
次の瞬間、舞台上のブリュンヒルドがひと際大きな声で叫んだ。
「はあああああっ! 『お財布の紐よ緩くなれ』!」
夜半はズッコケそうになった。
「『お財布の紐よ緩くなれ』は精神に干渉する魔法! かかった人は散財したくなります!」
まんまじゃないか、と呆れる夜半。詠唱も魔法名の発声もデタラメそのものである。本当に魔姫那なのかと疑いたくなるいい加減さだ。しかし、
「な、なんて恐ろしい魔法だ……あの茶器買っちゃおうかな……」
「あああ〜なりませぬ! これは殿よりお預かりした大事なお金!」
「か、体が課金を求めているっ!? 魔法だから仕方ないよね」
観衆は熱に浮かされているかのように物欲に流されていく。
「なっ。旦那の思っていたような危険なものではなかったでござろう」
「思っていたよりずっと危険なものだったんだが。どうするんだよ、これ!」
「当然、ここからは『投げ銭』の時間でござる!」
ブリュンヒルドは観衆に向かって呼びかける。
「今日はどうもありがとうございました! こんな大勢の前で雷舞ができて私もすごく楽しかったです! また次の機会があったら、来てくれますか!?」
彼女の呼びかけに応えるように大歓声が巻き起こる。
「嬉しいですね! できる限り、早く次の雷舞がやれるよう頑張りますね! しばらくはお金を貯める日々が続きますが……」
と気恥ずかしそうにブリュンヒルドが漏らすと、
「そんなの俺たちが用立てるよ!」
「えっ? 課金すると雷舞してくれる? 要するに無料で雷舞が観られる……ってコト?」
「振込先を教えてくだされ! お頼み申す!」
と餌を撒かれた池の鯉のように口々に金を払わせてほしいという声が上がった。
「ええ〜〜、そんなにですか〜。じゃあ、投げ銭で少しだけ援助してもらっていいですか! でも、過度な援助はいりませんからね。一人、最高三〇〇文まででお願いします!」
ちゃっかりとブリュンヒルドは投げ銭を要求した。すると、その場にいた観客のほとんどが銭を舞台に投げ込んだ。魔法の効果は抜群である。その中に銭を手紙で包んで投げつける者がいた。ブリュンヒルドはそれを手に取って中身を見る。
「え〜と、なんて書いてあるんでしょうかね、と。『ブリュンヒルド様。今日の雷舞も最高でした! いずれは岡崎でも雷舞をしてください! 竹千代より』。竹千代さんありがとうございます! 岡崎は三河ですね。隣の国だし近々お邪魔しまーす。他には〜」
高額の銭を投げ込めば、手紙を読んでもらえる。そのことを知った観衆は慌てて手紙を用意しようとしたが、手頃な紙も文字を書く筆も墨もない。
しかし、一人の青年が指の皮を嚙みちぎり、脱いだ服に血染めの文字を書いて上限いっぱいの三〇〇文を包んで舞台に投げ込んだ。
「あら、こちらは目立つように朱書きにされているんですね。どれどれ……『妻とは別れます! どうか結婚してください! 猿夜叉より』。わー、まさかの求婚ですか」
読み上げた途端、観衆たちからブーイングが巻き起こり、一部では、
「あの着物投げた奴を殺せ!」
と下手人探しが始まる。しかし、すでに多くの者が着物を脱いで血書きを始めたので特定は困難になっていた。
「お気持ちはありがたくいただきますが、でも私はみんなの愛踊ですので! 誰かのモノにはなれないんです! ごめんなさい!」
ブリュンヒルドの返答に観衆は喝采の声を上げた。フラれたはずの猿夜叉も清々しい顔で、
「誰のものにもならない……だから其方は美しい」
と満たされた表情を浮かべ、血が止まるまで指をしゃぶり続けた。
「たくさんのお気持ちありがとうございます! お礼に一曲歌っちゃいます!」
ブリュンヒルドの呼びかけに観衆が歓声で応える。それを合図に楽器隊が演奏を再開した。
余談ではあるが、この時、投げ込まれた血書きの着物は全部で一〇〇着以上に上り、ブリュンヒルドの懐だけでなく、服や反物を売る店も大いに潤った。しかし、
「盛り上がるのは結構なんですけど、みんなが裸になるのはちょっと……私は気にしませんけどね。女性ファンを遠ざけたくないんですよ」
「然り! 姫さまの雷舞は天下万民が拝むべき! 次回からは紙と筆を物販いたします!」
というやりとりがブリュンヒルドと日吉の間で交わされたので、以降行われなくなった。
なお、素っ裸の男たちが血書きの着物を投げ込む光景は「推しに構ってほしくてお金を投げ込む行為」の起源であり、『スパチャ(素っ裸血)』という名前で現代に残っている。
嵐の後のようだった。着物を投げ込んだ裸の男たちが血を流しながら広場から離れて行き、組まれていた舞台は撤去された。夜半は呆然とした様子でその場に立ち尽くしている。
「身包み剝がして指を詰めさせているのはお前もだろうが……いったいなんなんだ、あの魔姫那は。やることなすことナナメ上過ぎて、俺の理解が追いつかん……」
職業柄、数多くの魔姫那を知る夜半であったがブリュンヒルドのような魔姫那とは初めて出会った。美しく、自由で、捉えどころがない。その破茶滅茶さに思わず笑みが溢れた。
「……清洲には面白き者が生まれる風土があるのかもな。変わらないように見えて、新しい時代の芽は育っている……立ち寄った甲斐があったというものだ」
信長のいない清洲に虚しさを覚えていた夜半にとって、ブリュンヒルドの雷舞は気を紛らわせる以上の効果があった。満たされた気持ちを胸にその場を離れるが、ちょうど彼の横をすれ違ったガラの悪そうな男たちの会話が耳に入った。
「ずいぶんな盛況ぶりだったなあ。これはたんまり銭を貯め込んでいそうだ」
「追われている身でこんな派手な真似をしやがって。バカな女だ」
「キッチリむしりとってやりなさい。世間知らずのお姫様に世間の怖さを教えてやるのだわ」