浜松や清洲とは違い、まばらにしか人が住んでいない、そんな山間にある集落『井伊谷』。夜半の次の指南先であるが、夜半は具合が悪くキッチンカーに籠もっていた。
「先生、大丈夫ですか?」
「大丈夫、気持ち悪いだけだ……うぷっ……」
「大丈夫じゃないじゃないですか。お水飲んだ方がいいですよ。ガブ飲みせずゆっくりと」
ブリュンヒルドは水を汲み渡し、背中をさすった。普段は横柄で面倒臭がりであるが、ふとしたところで甲斐甲斐しさを見せる娘だな、と夜半は内心思った。
「あ〜〜……助かる〜〜」
「わざわざ傷んでるバナナばかり食べるからですよ」
「だってあのスケベ坊主がオマケで大量に寄越してくるし勿体無いだろうが」
「人が食べられないものなら『シグルド』の餌にすればいいんですよ」
ブリュンヒルドはキッチンカーを牽く馬に『シグルド』という名前をつけていた。南蛮に伝わる伝説の英雄が由来で、巷で流行っている読み物でも多く流用されている名前だ。
「そう言えば、シグルドもキッチンカーと一緒に売ってもらったのか?」
「いいえ。キッチンカーを受け取りに行く道の途中、迷子になっていたのを拾いました。馬代が浮いて助かりましたよ」
「ヒヒヒヒ───ン……あぱぁ〜」
しょっちゅう目を剝いて虚空を眺めながら舌をダラリと出しているブサイクな馬である。「よく拾ったなあ……」と夜半はブリュンヒルドの大らかさに感心していたが、
「夜半殿……夜半殿……」
ひとりキッチンカーの外にいる日吉が窓ごしに声をかけてきたので夜半は耳を傾ける。
「どうした?」
「マズイでござる。何者かが遠巻きにこのキッチンカーを囲もうとしているでござる」
「なんだと? 数は」
「一〇はいると思うでござる。どういたす?」
「どうもこうもあるか。こっちは領主に呼ばれてやってきているんだ。襲ってきたら遠慮なく名前を出させてもらうさ」
と、言いながらもそんな道理が通じる相手とは限らない。緊張を気付け薬に夜半は背筋を伸ばし臨戦態勢に入る。するとその袖をブリュンヒルドは縋るように摑み、
「先生……」
と不安そうな瞳でじっと見つめてきた。
(野盗に怯えるなんて、案外可愛いところもあるじゃないか……心配しなくともお前には指一本触れさせはしないさ)
と、夜半は心の中で嘯いたが、
「シャルロットだったら私は南蛮に出稼ぎに行ったと伝えてくださいね」
「前言撤回。あいつだったらソッコーで突き出してやる」
ブリュンヒルドの首根っこを摑み、外の様子を窺った。すると、振り向いた日吉と目が合う。決意の光が宿っていた。
「夜半殿、もし諍いになった場合は拙者が囮になるでござる。姫さまを連れて城に駆け込んでくだされ。後のことはお任せいたす」
「やめろ。縁起でもない。俺はお前のようにブリュンヒルドの下僕になる気はないぞ」
「誰が下僕ですか! 日吉は歴とした私の従者です。炊事、洗濯、料理、楽器の演奏、キッチンカーの手入れ、調理、接客、チラシ配り、確定申告……となんでもできるんですよ!」
「ちょっとは自活しろ。お前の生活、日吉頼りじゃないか……とはいえ、便利だな」
軽口を叩いているうちに夜半ならば気配で察知できるような距離に不審者たちが近づいてきた。警笛を鳴らすように日吉が吠える。
「貴様ら! この車は井伊谷の領主様の大事な客人を乗せておる! 乱暴狼藉を働こうものならば一族郎党皆殺しと思え!」
強い言葉を使って威嚇する日吉、だが構わず不審者たちの気配が距離を詰めてくる。「これはマズイ」と夜半がキッチンカーの外に飛び出そうとした。しかし、
「へっ?」
夜半は動きを止めた。キッチンカーを取り囲んでいたのは武器を持った野武士でも盗賊でもないただの農民。しかも、女だけだった。危険な相手ではないと判断した日吉は安堵の息を漏らして女たちに呼びかける。
「ああ、これはこれは早とちりであった! 脅すような言葉を使ってすまなかったな! それにしても井伊谷が誇る美女たちを差し向けての歓待とは! それとも拙者の野性味溢れる美貌に引き寄せられて集まってこられたのかな?」
冗談交じりの日吉の文句に思わず夜半は吹き出す。
「よく口が回るヤツだ。サルに似ていることを野性味と言うか」
「お猿さんなんかと一緒にしないでください。日吉はもっとカワイイものに喩えられるべきです。私が散らかしたものもいつの間にか片付けてくれるし、シグルドを怒らせちゃった時も宥めてくれるし、まるで妖精みたいですよね」
(こいつは小鬼みたいだな。すぐ散らかすし、人に迷惑かけるの得意だし……ん?)
農民の女たちはにじり寄るように日吉に近づいていた。
「フフフ……男だ……男だぞ……」
「ククク……醜男だが……まあ良い……」
「キキキ……元気があって楽しめそうな男だ……!」
ざわ……ざわ……と擬音が文字で見えるくらいに、女たちの呟きがざわめきとなって日吉を覆う。「まさか!?」と嫌な想像が夜半の脳裏を掠めた瞬間だった。
「………………剝け!!」
「エッ!? ちょっ……待つでござ…………アッ────!!」
女たちが日吉に襲いかかった! 性的な意味で。
「イヤアアアアアッ! 日吉ぃっ!!」
「待っ……やめ────アアアアアアアッ!」
日吉の服は破かれ胸があらわになり、懐に入れて温めていたブリュンヒルドの草履が転がり落ちる。女たちは草履を踏み躙り、日吉を地面に押さえつけてむしゃぶりつかんと迫る。日吉は必死で手足を振り回し抵抗するが、女たちの数の前には無力であり、伸び切った脚が震え、がくりと力が抜けた。
「日吉っ…………女性キャラがやられていたら秒でセンシティブ扱いされる展開を肩代わりするかのように受けてくれるなんてどこまでも便利な奴!」
「言ってる場合ですか! 早く助けてください!」
「えっ……いや、俺は腹の具合が……」
夜半は基本的に女人嫌いである。特に恥じらいや躊躇いもなく性欲を剝き出しにしている女などは嫌悪と恐怖で戦意など持てなくなってしまう。夜半の目には日吉がゴキブリに集られているように見えていた。
「もう! でも先生を差し出したら、それこそ大変なことになっちゃいそうですね! 私に任せてください! これでも喧嘩は強いんですよ!」
「は? バカか! お前が行っても何の役にも────」
夜半の制止など聞かず、ブリュンヒルドはキッチンカーの扉から外に転がり出た。
「あなたたち! 私の家来にひどいコトしないでください!」
凜とした表情で命令するブリュンヒルド。すると女たちは、
「…………なんだ……女か……」
「女だな……つまらん……」
「くくく……女など余っている……需要なし……! ぜろっ……!」
「おちんちん生やしてから出直してこいっ……! まぬけっ……!」
ぺっ、と地面に唾を吐き捨てて日吉を責め立てる行為に戻った。
「もうちょっと興味持ってくださいよっ! ヒロインの登場ですよ!」
ブリュンヒルドは無視され、日吉はもっと酷い目に遭わされていく。
「あぁ────っ! 姫さまあっ! 見ないでぇっ! 見ちゃダメでござる───っ!」
「いや───っ! 日吉ぃ────!」
キッチンカーの外は阿鼻叫喚の様相である。性別が逆ならば一大事なので我が身を顧みず助けに入るのだが、醜男が女たちに集団でナニされようとイマイチ危機感が湧いてこない。とはいえ、旅の連れの尊厳が傷つけられるのは気持ち良いものではないし、性格はどうあれ、まだ少女のブリュンヒルドに汚いものを見せたくない気持ちが夜半を動かす。
扉を開けようと手をかけた────その時だった。
「鎮まれええええええいっ! 貴様ら何をしておる!」
咎める女の声が雷鳴のように強く響く。
すると、女たちは蜘蛛の子を散らすように日吉の体から離れ、その場にひれ伏した。ブリュンヒルドが声の方を向くと馬に乗った頭巾姿の侍がこちらに駆けてくるところであった。
服を破られ、泣き腫らした顔で局所を隠す日吉を見て、侍は顔を顰めながら告げる。
「……状況は察した。野盗まがいのことをしてまで情欲を紛らわそうとは、嘆かわしい」
「おっ、お許しください! お館様! 私たちはこの者に誘惑されたのです!」
「私たちのことをいやらしい目で見てくるので……ついその気に」