褒められて機嫌が良くなる夜半。だが、ブリュンヒルドは別の疑問が生まれた。
「あのー……何が起こったかはわかりましたけど『Lカップバスト』に喩えられるくらい凄い魔法ですか? 強力な魔法ってもっとドカーン! とかズドーン! とか派手なイメージがあるというか」
「いい疑問だ。たしかに直虎殿の魔法では一人で一〇〇〇の兵を倒すことはできないだろう。だが人間の力でできることを代行するなんてのは魔法としては凡庸なのさ。たとえば、森を焼き尽くす業火を放つことができる魔姫那は強くて派手だが、火計を代行しているに過ぎない。稀少性と有効性を勘案すると、せいぜい『Dカップ』といったところだ。それに対して瞬間移動は理屈としてありえないからな。ありえないことを起こすということはこの世界の理から外れるということだ。たとえばもし、この国の東の端と西の端に離れている人間同士が言葉を交わし合う方法が生まれたとしたら書簡なんてものはその価値を失くす。そして、思いもよらぬ商売や事件が起こるだろう。魔姫那の力は本人だけのものだが、だからこそ、直虎殿だけが世界の理から外れ、奇跡を起こす存在となる」
ふむふむ、と頷いていたブリュンヒルドだったが、突然閃いたように膝を打った。
「わかりましたよ! 直虎さまはその魔法を使って魔姫那に近づき、グサっ! とやっちゃったってことですね!」
「いきなり懐に飛び込まれては反撃の隙もない。騙し討ちにはうってつけの必殺魔法だ」
いつしか夜半の声音が暗く重いものに変わっていて、ブリュンヒルドも目を顰めた。
「なんだか……似合わないですね。あんなに豪快な方が騙し討ちみたいなことするなんて」
「見た目や言動だけで人間は測れないということさ。小さな領地だが井伊谷は争いが絶えなくてな。少し前まで小野和泉守とかいう家老が井伊家を乗っ取ろうと謀略の限りを尽くし、直虎殿も運命を翻弄され続けてきた。魔姫那を討ち取っただけでなく領主の地位を我が物にし、邪魔な家臣団を城の外に追いやったのも思うところがあったんだろうな……どうにせよ、細かいことを探る必要があるな」
「わかりました! では、日吉にお願いしに行きがてら、夕食までお散歩しましょうかね」
「気ままだな……お前も俺の助手って意味では日吉と同じ立場なんだが……」
「残念。今は私が夜半先生ですので。弟子のまひるちゃん、ついてきてください。私をひとりで出歩かせるのは不安でしょう」
「不安だな。お前が何かやらかすんじゃないかと」
「そこは素直に身の安全を不安がってくださいよ、もう」
ブリュンヒルドはそう言って団扇を夜半に渡し、お出かけの準備を始めた。
「吞気なものだ……この指南、笑い話で終われそうにないというのに」
魔姫那の暗殺。強引な代替わり。排斥された家臣団。女だけで守る城。そして、必殺の魔法を操る姫大名。
ひとつひとつの出来事が不自然で謎めいていることに夜半は悪い予感がしていた。
「……だからこそ、指南のし甲斐があるというものか」
ぬるくなった桃を齧り、滴る甘い蜜を舌先で楽しんだ。
翌日、井伊谷城の裏庭にブリュンヒルドは呼び出され、夜半は彼女に連れ添った。ブリュンヒルドは直虎に魔法の見立てを問われ、夜半から聞かされたとおりに答えた。すると、直虎はパッと顔を明るくして喜んだ。
「たった一度見せただけで見事に言い当ておった! お鶴! 疑っていたようだがこの方は本物だぞ!」
(まあ、私は偽者なんですけどね)
とブリュンヒルドは内心嘯いた。家中でも直虎の魔法については秘中の秘であり、お鶴が人払いを徹底させていた。
「あのー……直虎さま。先せ────私に魔法の指南を頼んだのは何故ですか? すでに凄い魔法だと思うのですが」
「フッ……まあ、あの場では布一枚だったからわかりにくかったろうが、今一度、我が魔法をご覧いただこう」
直虎がそう言うとお鶴が辺りを見渡し、人の目がないことを確認した。
「ではいくぞ。【一寸発心】」
直虎の魔法が発動する。再び夜半の眼前に直虎が現れる。今回は前もって予想していたので夜半は驚かない。じっくりと直虎の全身を視界に入れ────
「ぶっっふぉおおおおぉぉぉぉ────────っっっ!!」
夜半は鼻血を撒き散らし尻餅を突いた。それは直虎がまたもや一糸纏わぬ美麗な裸体を晒していたからだ。
「助手殿、具合が悪いのか? あと、野太い男のような声が出ていたような」
「し、しつれい……声の調子がおかしくて……コホッ、コホッ」
お鶴の気づきを誤魔化す夜半。直虎はブリュンヒルドに向かって恥ずかしげに言う。
「見ての通り、我の魔法は欠陥品でな。半径三〇メートル以内の視認できる場所であれば瞬時に移動できるが脇差一つ持ち歩くことができぬ。やれやれ」
「その前に服ぅ────っ! いい歳した女性なんですから素っ裸を恥じてくださいよ!」
「ふふ、この場には女しかいないぞ。何を恥ずかしがっておる」
「それは、そうですけど……こっちが困るんですよ!」
ブリュンヒルドはササッと機敏な動作で夜半の視界から直虎を隠すように位置取った。
「こればかりはボクも指南役殿に同意ですよ」
お鶴が布を持ってきて直虎の身体を隠した。
「えー……要するに直虎さまの瞬間移動は身ひとつしか運ぶことができない。武器どころか着物一枚運ぶことができない」
「そうです! こんな魔法使えたものではない! だから魔法指南役として高名な貴殿をお呼びしたのです! どうかお館さまが裸にならず魔法を使えるようご指南ください!」
お鶴はブリュンヒルドに懇願した。しかし、直虎は気楽そうに笑う。
「別に着物なんて飾り」
「「あなたは黙っててください!」」
お鶴とブリュンヒルドの声が一つになった。一方、鼻血を垂らしている夜半は前屈みになって背を向けたままだった。
「(先生、大丈夫ですか?)」
「(恐ろしい魔法だ……いきなり懐に入り込まれるだけでも逃げようがないのにあんな姿を見せられては失血死してしまう)」
「(そんな殺され方をするのは先生みたいな純情な人だけです……どうするんですか?)」
「(まあ、任せろ。お前は次から言うことをそのまま伝えろ)」
夜半はそう前置きをしてささやき、ブリュンヒルドは大きな声で復唱する。
「……直虎殿! その魔法は、続けて使うことはできますか?」
「ん。連続しては無理だが五秒も空けば」
「でしたらひとつ試してみましょう。髪の毛を一本抜いて手に握ってください」
直虎はブリュンヒルドに言われるがまま毛を抜いて握り込んだ。
「その状態で髪を運ぶように意識して魔法を使ってください」
「わかった…………【一寸発心】!」
直虎の身体が消えると同時に一〇メートルほど先の場所に現れた。おそるおそる手を開くと髪の毛は無くなっていた。
「情けないな。髪の毛一本すら運べないなんて」
「ちゃんと運んでるじゃないですか。何万本も」
そう言ってブリュンヒルドは頭を指した。
「いやこれは自分から生えている髪の毛だから」
「そう。頭の髪の毛が運べるのに手のひらの髪の毛が運べないのは、あなたの魔法があくまで自分自身だけを運ぶ魔法だからです。なので、まず思い込みを消してください」
「思い込みを消す?」
直虎が首を傾げているところにブリュンヒルドは近づき、無遠慮に髪の毛を引っこ抜く。
「いたっ! なにを」
「痛かったですよね。あなたの髪の毛ですが、あなた自身、あなたの体なんですから。髪の毛はあなたの魔法で運ぶべき対象です」
そう言って直虎の手に髪の毛を握り込ませる。
「あなたの髪の毛が手のひらから生えていると頭に思い浮かべて魔法を使ってください」
直虎は腑に落ちないながらも言われたとおり目を瞑って握った拳の中の髪の毛の触感を確かめる。十分に精神集中を行って、魔法を発動する。
「【一寸────発心】!」
直虎は再び瞬間移動を行った。移動した場所で握り込んだ拳をじっと見つめて、開く。
「…………やった」
手のひらの上にはたしかに紺青の髪の毛が握り込まれていた。
「やった! やったぞ! たかが髪の毛だが大きな第一歩だ!」