織田ブリュンヒルド信長は天下のナナメ上を征く

第二章『一肌脱ぐ、と女性に言われると少しドキッとしてしまう』 ⑫

「……すでにはんとき。お館さまが捕まえられていないということはやつらに魔法が通用しないということでしょう。単純な格闘になれば我々が不利です」

「ま、まだ【一寸発心センチメンタル】が破られたわけではない! なりふり構わず出る段階では」

「甘いことをおっしゃいますな! 相手は名指南役と名高いハンとその弟子! このようにろうじようしていても破られない保証はない! これは家の命運を懸けただぞ!」


 おつるの怒鳴り声に萎縮するようになおとらは肩をすくめる。


「なあ、本当にやつらがいまがわの密偵を手引きしたのか? いまがわとの連絡役は今もお前がになっているはずだが」

「心配ご無用。いまがわの抑えはボクに任せてくれ。お館さまは勝負にご専念を」

「……お前が言うのだから、そうなのだろうな」


 なおとらの足音が遠ざかっていくのを確認しておつるはため息をき、蔵に隠し持っていた煙管キセルを吸い始めた。


「……やれやれ。世話の焼ける女だ」


 意地の悪そうな笑みを浮かべながら煙管キセルを口にしてひとちる。の種目や決まりごとの設定、謀略についてもおつるが一人で考え出した。今回に限っての話ではない。今の家がっているのはおつるのおかげであるとなおとらもおつる自身も思っている。それはあまりにぜいじやくで吹けば飛ぶような統治体制である。だからこそ、魔法の力にすがるしかなかった。


いまがわの手の者を殺したのだ。猶予はもうないというのになんて開く羽目になるとはな。ブリュンヒルドめ……邪魔ばかりして、あやつはいったい何者なのだ」


 いらちながら吹かす煙にはあおるようなブリュンヒルドの表情が浮かぶようだった。

 家はのや二五〇〇〇石を所有する大名であるが、同時にいまがわ家のさんにある。かわ遠江とおとうみ駿するの三国を支配し、全国の大名家の中でも最強格にあるいまがわ家。その当主、いまがわよしもとを親衛隊のようにはべらせるだけでなく、めかけとしてもちようあいしているという。なおとらと知られれば差し出すように迫られるのは必定。おつるは内通に応じるフリをして、時間稼ぎを続けていた。


「もはやのやがどうとか言っている場合ではない。このに勝ち、一刻も早く【一寸発心センチメンタル】を完成させなければ……あれが完成さえすれば、たとえいまがわだろうと」


 ガタン! とおつるの背後で物音がした。慌てて振り向くとそこにいたのは小さく痩せたネズミだった。「ふぅ」とあんのため息を漏らす。しかし、


「『幕は降りて私は闇の中へ』────【化粧落としクレンジング】」


 ネズミは艶のある女の声でつぶやくと、体が光に包まれて大きくなり、人間の女の姿へと変化した。その光景をたりにしたおつるは思わず腰を抜かしそうになった。


「な、なんだ!? なんだ貴様は!?」

「何かって? フフ、こんなことできる者が以外のなんだっていうんだい?」


 そう言って女は肩に垂らした自分の髪を持ち上げた。ひいらぎの葉のような濃い緑の光沢を放つさいはつである。


「それにしても、こんな田舎でだなんて。もつたいいね。いまがわの大殿にお知らせすれば大層お喜びになってご覧いただけたろうに」

「まさか……貴様はさんえん駿すんの!? バカな! 伝わるのが早過ぎる!」


 おつるろうばいする。目の前の女がいまがわの手の者であり、最も恐るべき相手だと知っていた。


「そりゃあ送り込んだ手先が帰ってこないようなら様子を見に来るわよ。私の独断だけどね。もしかして、おイタしちゃったのかしら」


 おつるは青ざめた顔で口ごもる。その表情だけでは理解した。


「ウフフフフフフフ……大変なことしちゃったね。あなたほどの切れ者が、らしくないわよ。やっぱり、男は女がからむと本当にダメになる」

「ボクは……別になおとらのことなど」

「わざわざそんなわいらしい格好をしてでもそばに居たいってくらい、あのおんなぼうのことを好いているのよね……但馬たじまのかみまさつぐ殿」


 まさつぐ────それはかつて家を専横したかんしん和泉いずみのかみの嫡男の名前であり、おつるが捨てた名前であった。

 

 再びハンたちに視点を戻そう。

 家臣団に襲われていたが、女人相手に後れを取るハンではない。迫り来る女たちをちぎっては投げ、ちぎっては投げ、と動きを止められるようなことはなかった。しかし……

 

 ガシッ! サワサワサワサワ……


「トウッ!」

「キャアっ!」


 バタン!

 


「私が相手だ!」


 ガシッ! モミモミモミモミ……


「せいやっ!」

「やられたー!」


 バタン!

 


「おのれ! ハン!」


 ガシッ! ベタベタベタベタ……


「う……うおおっ!」

「あれ───!」


 バタン!

 


「ああああああ────っ!! 組みついた時にイチイチおさわりするのやめろ──っ!」


 そう。家臣団の女たちは投げ飛ばされる直前まで彼の身体からだの至る所をまさぐっていた。並の兵士よりもよっぽど戦いにくい相手にハンは疲弊していた。

 ブリュンヒルドも取っ組み合いのけんをしている。女人にしては体格も大きく、運動神経にけた彼女は互角以上に戦いを進めていたが、


「くそぅっ! 昨日は散々楽しみおって! そんなにハン殿はすごかったのか!?」

「たしかに(手が)大きくて力強いし、(ほっぺたや耳が)伸び切って元に戻らないかもと思うくらいすごかったですけど! なんだかんだで先生は優しいので……フフッ」

「キィいいいいいい! うらやましいいい!」

「うわっ! すごい力!?」


 嫉妬の力に身を委ねた相手の得体の知れない気迫に圧倒されていた。

 大混戦のなか、家臣団の背後になおとらが現れるが苦戦中のハンに気づく余裕はない。「好機だ」となおとらは魔法を発動するべく意識を集中させた────その時だった。

 


「火事じゃあ─────っ!!」


 

 よしの叫び声が響いた。なおとらを含め家の者はブリュンヒルドたちの策略かと思った。しかし、焦げ臭さと慌ただしい声にただごとではないと気づき始める。


「おい! ブリュンヒルド! 貴様の魔法か!?」

「わっ、私じゃないですよ! よし……まさか思い余って……」


 そこに転がるようにしてよしが現れると、大声で訴える。


「大変でござる! 城に火の手が上がっているでござるよ! しかも何ヶ所も!」

よし! いくら私のためだからとはいえ火付けなんて!」

「おろろ……潔白でござる! 拙者なら皆が寝静まった頃にたいまつをくくりつけた牛をけしかけ、逃げ道に毒まきびしをき、草むらにマムシを放って一人でも多く殺せるよう工夫を」

「聞いてるだけで怖いです! 絶対にやっちゃダメですからね!」

「じゃれ合っている場合か! 一時休戦だ! の最中の火事騒ぎなど偶然で片付けるには無理があるぞ!」

「おい! お前たちのせいでないというのは本当か!?」

「昨日からずっと監視されていたんだ! そんな仕掛けできるわけないだろ!」


 納得すると同時に警備の大半をハンたちに使っていたことに気づく。もし、その隙を突いたのであればこうかつで容赦が無い敵が家を狙っているということになる。


つる……つるは────」

「お館さま! ご指示を! 私たちは何をすべきですか!?」


 狼狽うろたえるなおとらに家臣たちは指示を仰ぐ。城に火を付けられたというのに、迅速な判断と対応ができる者がいない。鉄火場の経験がない女たちしかいない弱みが浮き彫りとなった。


「老人や子供の避難! 貴重品を持ち出せ! 急げっ! 休むなっ! 一秒休めば人が一人死に、一〇〇人死ねば家は終わる! 命懸けで守れ!」


 棒立ちになっているなおとらの代わりにハンが声を張り上げる。ようやく家の者たちは自分たちがすべきことを考え、おのおの走り出した。


「姫さまは早くお逃げください! 万一のことがあれば天下の損失!」

「嫌です! 私も力になりますよ! 先生! 何をすればいいですか!?」


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