織田ブリュンヒルド信長は天下のナナメ上を征く

第二章『一肌脱ぐ、と女性に言われると少しドキッとしてしまう』 ⑬

「よし! お前は城から出て民に城から火が出たことを知らせるんだ!」

「おまかせください!」


 ブリュンヒルドは元気よく駆け出して行った。後ろ姿を見つめよしはニンマリと笑う。


流石さすがハン殿。真っ先に姫様を安全なところに逃がすとは」

「アイツがいると余計に事態が悪化するからな。遠ざけるに限る」

「おろろ、ツンデレでござるなあ」


 ハンとしては偽らざる本音のつもりだったのだが、よしには伝わらないが諦めて、二手に分かれて駆け出した。取り残されたなおとらは足が震えていた。


「我の失策だ……こんなこと……父上に合わせる顔が……」


 のやじようの奪還以降、なおとらの神経はずっと張り詰めていた。当主になるための教育を受けたわけでもなく、寺で俗世に交じわらず修行していた娘に大名の座は針のむしろのようなもの。それでもなんとか耐えてこられたのは、比較的のやが平穏であったことと、全幅の信頼を置くつるそばにいてくれたからだ。


「……つる……つるよ!」


 助けを求めるようにつるのいる隠し蔵へと駆け出した。


 家はのやの嫌われ者だった。

 ボクの父、和泉いずみのかみは野心家で、ちゆうで謀略と専横の限りを尽くしていた。おかげで物心ついた頃には周囲の人間が家を嫌っていることに気づいていた。それで構わなかった。愚鈍な田舎侍たちを束ねるのも不穏分子を粛清するのも優秀な人間のやるべきことであると思っていたから。もし、父の謀略がすべてまかとおっていたのなら、ボクは家を手に入れ、男のままでいられただろう。

 ボクの人生が変わったのはそうの娘『とら』との縁談の話が舞い込んできた時だ。顔合わせの場で恨めしく父をにらみつける彼女に不愉快な気分にさせられたが、後から聞けば、婚約者の父親がほんさわぎを起こして殺され、婚約者自身も失踪したばかりだったとのこと。しかもその陰に我が父の暗躍があったというからボクも頭を抱えた。うらこつずいの相手を義父に持ちたい娘などいるはずもない。容赦も分別もない父のやり口に初めて疑問を覚えた。

 結局、先代の意向でとらは寺に入れられ、姫ではなくぼうとして育てられることとなり父の思惑は水の泡と消えた。ただ、父も先代も予想していなかっただろう。ボクが人の目を盗んで彼女の元に通うようになっていたとは。

 


「……ざまあないな、但馬たじまのかみ。散々策を弄しておきながら女ひとりモノにできぬとは」


 自虐めいた独り言を漏らしながらおつるは意識を取り戻した。蔵は既に火の手に囲まれており、中にも迫る勢いである。もう助からないことを悟り、落胆した。

 非常事態である。さんえん駿すん四八姫に名を連ねた者を殺害したことに対する報復か、なおとらであることを知って献上を求めているのか、のやの統治がまずいことに対する処罰か。だが、理由など今はどうでもいいことだった。


「誰か! 開けてくれ! 頼む! お館さまに! とらに伝えねばならんのだ!!」


 何度も何度も声を上げる。だが、火が回り切った蔵には誰も近づかず、蔵の分厚い壁は女のように細いおつるの声をろくに通しはしなかった。

 

 のやじようの城門近くで緑髪のはネズミの姿から人の姿に戻った。

 彼女のはクララ。いまがわ家に所属するひめしようである。

 の身の振り方として最も成功者とされるのが大名家に武将として仕えることである。けんらんごうな衣をまとい、城を我が物顔で歩く彼女たちはまるで姫のようで、からかい半分、畏れ半分で『ひめしよう』と呼ばれるようになっていた。

 クララは気位が高く、でもない普通の女たちをあなどっている。ネズミの姿に化けている間は着物を身に着けられず、人間の姿に戻った時にはあられもない姿をさらすことになるが、「虫に裸を見られて恥ずかしがる者はいない」と気にも留めなかった。


「フフフ。切れ者のまさつぐさえいなくなれば家など恐るるに足りないねえ。がどれほどのものかは知らないけど、邪魔者はキチンと間引いて……うっ!?」

「あっ……」


 誰もいないところで魔法を解除したつもりだったが、偶然にもブリュンヒルドにかち合った。彼女の見事なまでに美しい金髪を見てクララは最大限に警戒した。


!? ならばあれがなおとら……いや、田舎領主にしては華がありすぎるわねえ。の対戦相手かしら?)


 ブリュンヒルドも突然現れた全裸の女に戸惑ったようだったが、察したようにフッ、とほほんだ。その笑みが余計にクララの警戒心をてた。


(初対面の相手に余裕ぶった表情……腕に自信あり? マズいわねえ。再び魔法を使えるようになるのに、あと一分はかかる。その前に攻められたら……)

「焼け出されちゃったんですね! かわいそうに! もう大丈夫ですよ。避難しましょう。とりあえず私の上着を着てください」

(……なんだ。世間知らずのお人よしね。警戒して損したわ。隙を見て殺すか)


 見掛け倒しの取るに足らない獲物だと見下されていることも知らず、ブリュンヒルドは上衣を脱ぎ、包み込むような笑みでクララに近づく。


「さあ、どうぞ」

「ええ。ありがと……え────────グエッ!!」


 ブリュンヒルドがクララの首に上衣を回しかけた次の瞬間、一本背負いの要領で締め上げた!


さいはつこうがんの裸の女が危険だってことは学習済みなんですよ!」


 ブリュンヒルドは命令のナナメ上をく。

 伝令をほっぽり出して不審人物に奇襲をかけるなど言語道断なのだが、大事なところで正解を引き当てるのが彼女の恐ろしさである。

 喉を絞め上げられ魔法の詠唱はできず、窒息寸前になりながらクララはみした。


「ガ……ヒッ!(とんでもない女! 私が完全に手玉に取られてるじゃない!)」

「誰か! 見るからに怪しいがいます! くせものです! 引っ捕まえてくださ〜い!」

「お……ま……めるなああっ!」


 クララはブリュンヒルドの背中を蹴って宙返りし、拘束から逃れた。


「ゲホッ! ゲホ! よくも……やってくれたわねえ!」

「く、来るんですか! だったら私の必殺魔法をお見舞いしますよ!」

「おうさ! 同士、魔法による真剣勝負としやもうじゃない!」

「えっ……いや、ちょっと落ち着いてください。順序踏みましょう、順序」


 必殺魔法どころかスプーン曲げすらできないブリュンヒルドは真顔で拒否するが、先ほど痛い目に遭ったクララは相手のペースに巻き込まれることを恐れ、聞く耳を捨てた。


「『幕が上がる。幕が上がる。よいの舞台に上がるため』」


 朗々と歌うように詠唱文を読み上げられ、ブリュンヒルドは「あわわ、あわわ……」と狼狽うろたえることしかできなかったのだが、


「誰かある! 誰かある!」


 のやじようの外から城門に向かって一頭の馬が駆けてきた。馬に乗っているよろいしやたいしているブリュンヒルドとクララを見下ろしてにらみつける。


「これはどういうことか!?」

「そこの全裸女が城に火をつけました」

「だっ……誰が全裸女だ!?」


 間髪をれずにブリュンヒルドが告げ口するとよろいしやは見る見るうちに顔を怒りに染めた。


ていめぇっ! またしてものやの地を踏み荒らしおって! 許すまじ!」

「ぐっ……運のいいやつだねえ!」


 よろいしやの後ろからも馬のひづめが地面をたたく音が聞こえている。自身の魔法の威力を熟知しているクララは躊躇ためらわず撤退した。


「追え! 今度こそのやは我々の手で守るんだ!」


 家来の足軽たちが逃げたクララを追いかけていった。よろいしやは馬を降り、ブリュンヒルドと向き合う。


「あ、あの私は家の敵では」

「存じ上げております」


 と言って、かぶとを外すとれいげられたぼうあたまが現れた。


「天下に名高い魔法指南役のハン殿のまなブリュンヒルド殿。この度の仲裁感謝いたします。拙者、なおもりなおとらの父にございます」


 いんぎんな態度で名乗られて、ブリュンヒルドは目をパチクリとさせた。

 


刊行シリーズ

織田ブリュンヒルド信長は天下のナナメ上を征くの書影