織田ブリュンヒルド信長は天下のナナメ上を征く

第二章『一肌脱ぐ、と女性に言われると少しドキッとしてしまう』 ⑭

 のやじようにやってきたなおもり配下二〇〇名は直ちに火消しと避難誘導に取り掛かった。

 火災の拡大を止めるために火に近い建物を壊し、中から財に当たるものを取り出して逃がす。彼らの指示を受けて女家臣団も統制の取れた動きを見せ始めた。

 なおもりのやじように駆けつけたかというと、昨晩、よしなおもりの元を訪れ、


のやが開かれる。相手は高名な魔法指南役と天下一ののやの支配権を賭けて争っているが、ハンは権力や地位に固執しない。これを機に家の在り方をただすのであれば喜んでそれを譲り渡す」


 と告げ、のやへの帰還を要求したからである。

 


「勝てばよし、負けた場合は事をにするために呼んだ援軍であったが、もくのナナメ上に刺さったでござるな」


 火消しに協力しながらよしはポツリとつぶやいた。

 のやじようで起こった火災は少しずつ縮小していった。しかし、火元であるおつるが閉じ込められた蔵の周りは近づけないほどの火が立っている。ポンプも消火剤も発明されていない時代、水を操るもいない状況では燃え尽きるのを待つしかない。

 


「ろくでもない……死に方だな」


 既に火は蔵の中に入り込み、黒煙に包まれていた。

 少し前までは煙管キセルを吸って気を紛らわせていたが、もはや煙が吸い放題の状況に嫌気がさし煙管キセルを火の中に投げ入れた。意識を失うまで数分もないことを悟ると、目を閉じ、死を受け入れることに思考は移っていた。


「こうなってみれば、家ものやも、どうでもよいことだ……乱世であることにかこつけておのが欲のために他者を踏みつけ、自分より強いものに踏みつけられ……どうせ人などいつか死ぬ。それが早いか遅いか、死に顔が笑っているか、悔しがっているかだけの違いよ」


 冷笑的に自分の人生の総括を行うおつるだったが、その両手はけいけんに合わせられていた。


「だとしてもだ……とら。どうか、生き延びておくれ。お前ならばどこにだって逃げられる。家なんて、背負わなくていい。自由に生きられるのなら……ボクは……」

「今度は自由という衣を着せるのか? 我は着せ替え人形ではないぞ」

「!? な……」


 まぶたを上げると、目の前にはなおとらが立っていた。当然のように全裸である。


「ど、どうやってここに!?」

「お前がここにいると思うと、炎が遮ろうが分厚い壁があろうが、行けると思ったのだ」


 ぜんとしていたおつるだったが、なおとらたらさがおかしくて笑いが込み上げてきた。


「あっはっはっは! ここに来て段違いの力を手に入れるとは! さすがはお館さまだ!」

「お館さまだなんて呼ばないでくれ。さっきみたいに、とらと呼んでおくれ」


 目に涙を浮かべるなおとら。「さいまで、手のかかるお方だ」とおつるうそぶく。


「とら。よくやったな。その魔法があれば怖いものなどない。最強のの誕生だ。もとのすべての武将がお前を恐れる。いまがわも必要ない。好きに生きられるんだ」


 なおとらの側近おつるではなく、家の不和の種であった和泉いずみのかみの息子でもなく、びん家の娘とらという少女が信頼を置いたつるというおさなじみの声で語り聞かせた。


「さあ。出ていけ。外から入れたなら内から出ることもできるだろう」

「魔力を使い果たしてしもうたわ。残念だったな」


 勝ち誇った顔のなおとらを見て、つるはそれがウソだと悟った。


「わざわざ魔法を使ってまで……心中など、愚行の極みだ」

「愚かかもな。だが、お前の望みどおり、我は好きなように生きる。だからここに来た。行きたい場所など、お前の隣以外にない」


 なおとらはおつるの隣に膝を抱えて座り、肩にもたれた。


「……お前は本当に男を見る目がない。家も終わりだ」

「見る目がないのはお互い様だ。こんな女をかつげるなどな」

家を乗っ取るためだ。無理そうならいまがわに高値で売りつけてやろうと思っていた」

「わざわざ女の格好をして、の名を隠してまで尽くしてくれたな」

「お前に言えないような悪どいこともたくさんしている」

「我に代わって手を汚してくれたのだろう」

「……幼き頃、寺に通ったのだって、負け犬の小娘のみじめな顔を楽しむためだった」

「知ってた。でも、良き話し相手、心の支えになってくれた。どれだけ運命に翻弄されようといつだって我のそばにつるはいてくれた……だから、」


 なおとらは腕を広げ、おつるを抱きしめて、


「置いていくなんてひどいことしないでくれ。地獄だろうとついて行かせておくれ。我は……お前なしには生きていけないのだ」


 なおとらに抱かれながら、おつるは後悔した。自分に依存させすぎたことを。なぜ、今更そんな言葉を聞かせるのだ、と怒鳴りつけたくもなった。だが、なおとらの体の柔らかさと温度が心のとげをすっと抜き去って安らぎを与える。すると頑固な涙腺が緩み、頰がれた。


「ボクにはもったいない言葉だ……こんなに報われていいわけがない」

「ハハッ、我のような出来損ないに好かれることがそんなに大層なことか?」

「大層なことに決まっているだろう。ずっと、ずっと焦がれていたんだ。とらさえいれば、何もいらない……!」


 おつるなおとらの頰を両手で優しく持ち上げて口付けを交わした。炎に囲まれて迫るいまきわに一秒を惜しむかのような長い口付けを────

 


「本当にどっちもイケるんだな。お熱いことだ」


 

 掛けられた声に驚いて二人そろって振り返ると、そこにはハンが立っていた。なお、着衣。


ハンっ────! どうやってここに入った!? 抜け穴でもあったのか!?」

「貴殿らが知らんのなら俺が知るよしもないでしょう。それはさておき、なおとら殿。あなたは弟子失格だ。貴重な魔法を自害のために使おうだなんて」

「お前が教えたのだろう! 燃える蔵の前で立ち尽くしていた我に、壁を越えるコツを」

「教えましたとも。あなたならもっとくやれたのに、雰囲気に流されてイチャついて……宝の持ち腐れとはこのことだ。おしもない」


 と、言ってハンはおつるの襟首をつかむ。


「本来、魔法はか弱くも心優しい少女たちが理不尽な運命にあらがうため授けられた力。ならば、この状況で使わずとしてどうする?」

「我一人しか救えない魔法に何の意味がある! つるを置いてなど行かんぞ!」


 なおとらはさらに力を込めておつるを抱きしめた。加減なしの力に小柄なおつるは圧殺されそうになっているが、ハンは「ちょうどいい」とうそぶいた。


「最後の指南だ。二人とも目を閉じろ」


 意図がわからず、二人は戸惑ったが、言われるがまま目を閉じた。


「では、行くぞ────────。────────」


 火のぜる音に消え入りそうなくらい小さな声でハンつぶやいた。

 

 バタバタバタッ! と騒がしく音を立てて、おつるなおとらは地面に転がった。

 それまで肌を焼き尽くすように猛威を振るっていた熱が消え、涼しい風がでるようにそよいだ。不思議に思いながら二人が目を開けると、頭上に青い空が広がっている。稽古に使われていたのやじようの庭に移動していたのだ。


「い……いったい貴様何をした!?」

「私の胸ぐらをつかむより、御自身の胸を隠す方に腕は使うべきです」


 ハンなおとらの裸体から目を背けている。鉄火場を抜け出して頭が冷えたなおとらは猛烈に恥ずかしくなりうずくまって体を隠した。


「くっ……これだから男というものは! いやらしい!」

「禁欲させられると女もそうなる、ってこの地で思い知らされましたけどね」


 皮肉めいた口調でそうつぶやハンを尻目におつるは自分の着物をなおとらに羽織らせた。


「【一寸発心センチメンタル】の正しい使い方とはやいばもつて敵を暗殺するだなんてセコイ魔法じゃありません。あなたの魔法はどんな窮地からでも大切な人を抱えて逃げることができる、必殺ならぬ必救の魔法たり得るんです」

「人を……救う魔法……」

「立派な魔法です。それを授かったあなたは特別恵まれたです。失敗や不幸を嘆く暇があったら精進なさってください」



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