夜半の魔法指南は魔法をうまく使えるようにするだけのものではない。魔法の正しい使い方、さらに言えば魔法を誰かのために使う心構えを説くものであると直虎は理解した。
お鶴もその場に平伏し、夜半に頭を下げた。
「……数々のご無礼、お許しください。ボクの傲慢さが主人とその魔法を暗殺のための凶器に貶めるところでございました」
「お鶴……それを言うなら我だって……井伊谷を守るどころかこれまで尽くしてくれた家臣たちを遠ざけ、このような騒ぎまで……当主失格だ」
「まあ、気に病むことはないですよ。大名なんて大抵は我儘で嫉妬深くてこだわりとクセが強い厄介者と相場が決まっておりますので。それに、井伊家の問題は解決しそうですし」
「それはどういう────」
お鶴が尋ねようとした、その瞬間、
「つっかまえましたああああああ!」
ブリュンヒルドが背後からガバっと抱きついた。
「はい! 捕まえましたよ! 魔擬合は私の勝ちです!」
「はぁっ!? ブリュンヒルド!? 貴様どこから湧いて出た!」
「失礼ですね! 火事の中、謎の魔姫那と大立ち回りを演じ、撃退した私に対して!」
お前はいったい何をしていたんだ!? と夜半が突っ込む前に直虎が声を上げた。
「火事……そうだ! 急ぎ戻って消火の指示をせねば!」
「ああ、大丈夫ですよ。井伊直盛さまと名乗る方が家来を引き連れて助けに来てくれましたから。もう鎮火に向かってます」
「「なんだとっ!?」」
直盛の帰還に直虎とお鶴は慄いた。混乱に乗じて井伊谷を奪還しに来たと思ったからだ。
「これも貴殿の策か!? 夜半殿!」
「え……知らない。なに、それ怖い」
夜半は日吉に命令するどころか、相談一つ受けていない。全貌を知るのは井伊谷を出た後のことである。
「結局、元サヤということか。仕方あるまい。ボクが腹を切って騒動の始末をつけよう。奸臣と愚民に担ぎ上げられたのであれば、とらの処遇はいくらかマシなものになるだろう」
「ダメだ! そんなの! 鶴が死ぬなら我も後を追うぞ! 供養などせぬからな!」
再び死ぬ死ぬ言い出した二人に夜半は呆れ返ったが、ブリュンヒルドは違った。状況を一切把握してはいないが、困っている人を見ると反射的に手を差し伸べたくなる性分なのだ。
「ああ、じゃあ二人とも死んじゃったことにして井伊谷から出てはどうです?」
その提案に全員が驚愕した。
「二人が助かった、って知っているの私と先生だけですし、多分いけますって」
夜半は唸りながら考えたが、これ以上の策はないと結論づけた。
「たしかに、死んだことにすればさまざまな遺恨は有耶無耶になり、今川に睨まれることなく、井伊谷も元通りになるかもしれん……ブリュンヒルド、花丸だ」
「フフン。まあ、家来を守ってあげるのも主人の務めですので!」
ドン、と胸を張るブリュンヒルド。彼女の中では自分が魔擬合の勝者になっている。お鶴は言いたいことが山ほどありそうな不満顔だったが、直虎はスッキリした面持ちで笑った。
「鶴! もうよい! ともに逃げよう! お前と一緒なら、我はどこまでだって跳べる!」
そう言って直虎はお鶴の手を握り、魔法を唱える。
「【一寸発心】!」
すると、直虎とお鶴は揃って二〇メートルほど離れた場所に瞬間移動した。髪の毛一本運ぶことのできなかった魔法が一人の人間を運べるまでに成長していた。
「勘所を摑んだか。やはり、破格の魔姫那だな」
「カッコつけてるところ失礼しますが……アレは健全な男女のあり方でしょうか」
ブリュンヒルドの足元には二人が着ていた衣が落ちている。
「わ───っ!? わ────っ!? とら!! ボクを運べているのは凄いが裸────!」
「あれっ! できると思ったんだがなあ……まあ、いいか」
「よくないっ! ボクが着せた衣も無駄になったじゃないか!」
「誰かに見られる前に行けば問題ない! 【一寸発心】!」
ブリュンヒルドと夜半は消えていく全裸の二人を複雑な気持ちで見送った。
井伊谷城の火災は翌朝には完全に鎮火した。
しかし、火元である蔵にいたお鶴は焼け死に、追うようにして直虎も火に飛び込んだ。筆頭家老であるお鶴の正体は井伊家に因縁のある小野家の嫡男。色仕掛けで直虎に近づいて井伊谷を分断し、小野家の悲願である井伊家乗っ取りを企てていた。
ところが、お鶴は直虎を本当に愛してしまった。直虎もまたお鶴を真剣に慕っていた。主君と奸臣が結ばれるようなことになってしまえば、井伊家の家名は地に堕ち、崩壊するだろうとお鶴は思って自害し、直虎もお鶴を追って心中した────
と、いう悲恋話が井伊谷に広まった。身勝手だ、となじる者もいたが、民の多くは同情的で二人の純愛に涙を流した。
直虎の父である直盛は再び井伊家の当主に返り咲き、最初に行ったことは直虎とお鶴を丁重に弔うことだった。それにより、直虎に取り立てられていた女たちは溜飲を下げ、井伊谷は一つにまとまっていく。そして────
「本日の雷舞とこの曲を直虎さまとお鶴さまに捧げます。どうか、聴いてください────『何度生まれ変わっても』」
優しくどこかノスタルジックなバラードソング。それをしっとりと歌い上げるブリュンヒルドとメロウなギターを奏でる日吉。大勢の観客は静まり返り彼女の歌に聴き入る。中には感極まって泣き出す者もいた。
急遽開かれた追悼雷舞は遺された者たちに対する慰撫となり、二人への鎮魂歌となった。
「筋書きどおりに事が進んだな」
キッチンカーに乗って夜半はこっそりと井伊家の領地を出た。ブリュンヒルドの雷舞に民は引きつけられており、彼らを気に留める者はいなかった。
井伊谷から離れたところで夜半がキッチンカーの扉を開けると、中から旅装束に身を包んだ直虎とお鶴が出てきた。
「何もかもかたじけない」
「気にしないでください。好きでやっていることなので。ブリュンヒルドは特に」
夜半がそう言うとお鶴は引き攣った笑いを返す。
「悲恋話をでっち上げた挙句、それにまつわる曲を歌って人心を操るなど発想がナナメ上すぎる。あの女、バカなのか傑物なのかよくわからん」
「後者だろう。なんと言ったって我らの主君だからな」
女装をやめたお鶴と男装をやめた直虎は並んで井伊谷の方角を見つめ、想いを馳せた。
「夜半殿、貴殿のご指南がなければ、過ぎた魔法の力によって修羅に堕ち、悲惨な運命に吞み込まれていただろう。鍛えていただいた魔法は貴殿に恥じぬような使い方をしていく」
凶器として使われかねない魔法が人を救う魔法として使われるようになる。夜半が魔法指南において最もやりがいを感じる瞬間であった。
「雷舞は大成功! 急遽作ったグッズも完売! 直盛さまからは褒美までいただいちゃいました! 騒動もありましたけど終わってみれば良いこと尽くめでしたね!」
「日吉も俺も危うく犯されそうになるし、命運を懸けた魔擬合をやらされるし、お前が魔姫那を騙る不届き者だとバレたことも踏まえて、同じセリフが言えるか?」
「やだなあ、騙った覚えは一度もないですよ。訂正しなかっただけです」
ペロリと舌を出して悪びれる様子もないブリュンヒルドに夜半はため息をつく。しばしの沈黙の後、ブリュンヒルドは恐る恐る夜半に尋ねる。
「あの……やっぱり、魔姫那じゃないとダメですよね。先生の助手は?」
無言の夜半。しゅん、とした表情でブリュンヒルドは呟く。