久方ぶりに戻った浜松の街の往来は男女がほぼ五分五分の比率で歩いていた。そんなありふれた光景が夜半の目には沁みた。
「つくづく井伊谷の仕事はきつかったなあ。前の米五郎左もなかなかだったけど……やはり、お前を連れ歩くようになってからではないだろうか」
「それは、私と出会ったことで世界が色づいたということですか?」
「厄介事を引き連れてくる疫病神じゃないかって疑ってるんだよ。次は無難な仕事がいい」
「じゃあ、私はどんなつまらない仕事でも先生が楽しめるように努力します」
「犯行声明か? 俺は屈さないぞ」
軽口を飛ばし合っていると千宗易の店にたどり着くのはあっという間だった。
奥の座敷に通された夜半は宗易にでっち上げた直虎とお鶴の悲恋話を語った。噂話が広まれば二人が行方をくらましやすくなる、と目論んだ夜半なりのアフターサービスである。
「なるほどなるほど……やっぱ男の娘は女装しているより、少年っぽい格好で無防備に腋とか太ももとか露出してる方があはれやなあ」
「見てきたかのように言うな。そこまで事細かに説明してないだろ」
ニタニタと笑いを浮かべる宗易に呆れ、夜半は大きなため息を吐いた。
「しかし、今回もブリュンヒルドに振り回された。話せない苦労話が山ほどある」
「お大名相手にやられている商いなんて、知りすぎると碌なことにならへんからな。聞かせてもらわんでも結構。それにしても毎度のことながらブリちゃんは飽きさせてくれへんなあ」
「まったくだ。次はどんなことをやらかすのか……考えるだけで頭が痛い」
皮肉っぽい言い回しをしながらも、ブリュンヒルドを邪険にしているわけではない。
魔法を指南することはできるが、ブリュンヒルドのように大勢の民を沸かし楽しませることなど夜半にはできない。乱世に振り回される人々にとって彼女の雷舞は慰撫になる。平和で人心穏やかなれば魔姫那は自身の力に溺れたり悪用したりすることなく共存できるようになるだろうから、それだけでもブリュンヒルドを連れ回す甲斐がある……というのは自分自身にも向けた建前で、実のところは単純に彼女との道中が楽しかったのだ。
「てっきりブリちゃんに寄生されているだけかと思いきや、満更でもなさそうやんけ」
「寄生されているのは事実だろ。ああ、アイツがいないと心穏やか哉」
ブリュンヒルドはチョコバナナの収益を宗易に渡すと早々に街に繰り出した。そのおかげで夜半はゆっくりと宗易の点てた茶の味を堪能できていた。
「そういや夜半くん。今川の殿さんのことは知っとるか?」
井伊谷の騒動に一枚嚙んでいることは口にしていないのに、今川の話題が出てきたことに夜半は警戒した。
「一応、茶飲み友達でもあるんやけど、捉えどころのないお方や。高貴にして野蛮。臆病にして豪胆。破廉恥にして純朴。商人風情じゃ推し量ることすら叶わん。ただ、言えとるのは天下に最も近い大名であり、魔姫那集めにご執心や。君さえ良ければ仕官の口利いたろか」
「えらく唐突だな。茶飲みついでに頼まれたか?」
「勿論、夜半くんのことは話しとらんよ。やけど人の噂が回るのは早いもんや。織田の名将丹羽長秀と今川の縁を繫ぎ、井伊家相手に魔擬合を申し込んで、御家騒動まで鎮めたイケメン魔法指南役なんてあはれすぎるやろ」
表向きの話とはいえ井伊家の顚末が既に伝わっていることに夜半の背中が冷たくなった。その反応の一つ一つをつまみ食いするかのように宗易はつぶさに観察して、鼻を鳴らした。
「やけどまあ、今川の殿さんにそこまで義理立てすることないからな。忘れてええで」
「察しが良くて助かる。野心でギラギラした大名は好かないんだ」
「みたいやな。ええと思うで。手前もやけど身軽な方が人生は楽しいもんな」
立派に繁盛している店を切り盛りする立場で身軽とはこれ如何に、と思いながら夜半が再び茶碗に手を伸ばすと、番頭が部屋に入ってきた。
「失礼します、旦那様」
「失礼するなら帰りなはれ。まったく客人と語ろうとる時に無粋なやっちゃの」
「も……申し訳ありません。ですが、お耳に入れたいことが」
「なんや。お前の粗末なものは耳にでも入るんか? フハハハハ! さっさと済ませ!」
流れるようなパワハラとセクハラ。宗易の下で働く者は大変だ……と、夜半は茶を啜る。
「今川家主催のミスコンに金髪青眼の魔姫那が飛び入りして大騒ぎになっています!」
ブッハアアアアアアアアアアアッ! と夜半は茶を噴き出した。
「第一回! 浜松ミスコンテストの優勝者は〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜飛び入り参加をしてくれた『ブリュンヒルド』ちゃんに決定しました! おめでとうございます!」
舞台の上で司会者が高らかに声を上げる。ブリュンヒルドは笑顔を振り撒いて、観衆を沸かせていた。
「わ〜〜〜〜っ! ありがとうございます! で、賞品は?」
「あら、現金な娘! だがそこも良い! とりあえず今のお気持ちは!?」
「どんな相手の挑戦も受けます! 私の首を搔き切ってみなさい!」
「ん〜〜〜っ! 勝ったのはミスコンだよ。格闘大会じゃないよ。では賞品の発表です。今回のミスコンで優勝したブリュンヒルドちゃんには……」
舞台の上に吊るされた大きなくす玉がパカっと開く。
『海道一の弓取り! 今川義元の側室になる権利!』と書かれた紙が出て────
「権利を放棄します」
「地の文に対して食い気味でのリアクション! 素晴らしい反応速度だが、ちょっと黙れ」
「嫌ですよ! 賞品をくださいって言ったのにどうして私が賞品になっているんですか!?」
ごねるブリュンヒルド。取り押さえようとする司会者。彼らに襲いかかる日吉。
その光景を見て、夜半はまたしても大騒動に巻き込まれることを予感した。
今川家は足利将軍家において御一家とされる吉良氏の庶流であり、『足利の血が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ』という言葉が囁かれるほどの名家である。さらに北条、武田といった日の本屈指の名将と誼を結んでおり、かつての主君、織田信長から「天下取りの最大の障害」だと夜半は聞かされていた────
「聞かされていたんだが……」
駿府城内の御殿にやってきた夜半は寝所と言うには広すぎる百畳敷の大広間に通された。そこには布団が敷き詰められていて、何十人もの魔姫那と義元が遊戯に耽っていた。
「鬼さんこちら! 手の鳴る方へでおじゃる〜〜〜!」
「えいっ……あらやだっ、お館様ったらもうお脱ぎになられて」
「鬼といえば裸と相場が決まっているでおじゃる。見てくれ、このそそり立つ我が金棒を」
「すごく……大きいです……」
「そうであろう、そうであろう! よーし! 次も麻呂が鬼じゃ! この金棒をぶちかますでおじゃる〜〜」
寝巻き姿の魔姫那たちを褌一丁で追いかけ回す巨漢の中年男。顔は真っ白に塗られ、ぷっくりとした唇に毒々しい紫色の口紅を施した不気味な容貌である。
「どう見てもバカ殿じゃないか」
「バカ殿なんて言っちゃダメですよ。商標に触れるかもしれません」
「バカ殿であることは否定しないんだな……というかお前、本当にアレの嫁になるの?」
「なるわけないじゃないですか。逃げてもよかったんですけど、そうしたら取り逃がした人たちが罰されるかもしれないので情けをかけてあげたんですよ。『今川義元はバカのくせに執念深い』と父と兄から聞かされていましたので」
「お前の父と兄があのバカ殿が嫌いなことはわかった。しかし、他人のこと気遣えるんだな。俺のことは無茶苦茶振り回すのに」
「イヤですねえ。先生は他人じゃないじゃないですか。もはや私の一部です! 運命も借金も一蓮托生ですよ。だから付いてきてくださったんでしょう」