半笑いで夜半は首を傾げた。ちなみに、夜半は『まひる』モードである。素性を隠し、ブリュンヒルドの側にいるには、女装するのが手っ取り早いと考えてのこと。趣味ではない、はずである。
「クンカクンカ……むむっ! こちらに嗅いだことのない匂いがするでおじゃる!」
義元は目隠しをしたまま鼻の穴を膨らまし、ブリュンヒルドに近づいてきた。
「ふむ……若い女子の匂い。歳は一五そこそこでおじゃるが、大人の香りが朝露のように浮かび上がってきてなんとも────」
「とりゃああああああっ!」
胸元に迫ってきた義元の鼻にブリュンヒルドの正拳突きが叩き込まれた。
「ぐばっはあああ─────っ!」
義元が鼻血を噴き出し大の字に倒れたのを見て勝ち誇るブリュンヒルド。
「ブリュンヒルドぉぉおおおっっっ!? 何をしでかしけつかるでございますかああっ!!」
「だ、だってキモかったんです!」
「キモくてバカ殿みたいな格好してても偉い人なんだよっ! 殴るやつがあるか!」
真っ青な顔でブリュンヒルドを叱りながら夜半は義元に目を向ける。
「あいた〜〜〜〜! 鼻血が止まらないでおじゃる〜〜〜〜! 死ムゥうう!!」
「おいたわしや! 『癒しの水、荒野の渇きを潤したまえ』───【女神の絶対領域】」
深紅の髪の魔姫那が義元の顔を撫でるようにして魔法をかけると五秒とかからず傷が癒え、何事もなかったかのように義元が立ち上がった。それを見て夜半は唇を嚙む。
(傷の修復、血の補給、痛みの除去のすべての効果を持つ治癒魔法……完成度が高すぎて育て甲斐がないレベルだ……)
「痛たたた……くはもうないけど、いきなりなにしてくれるでおじゃる?」
義元に詰め寄られたが、ブリュンヒルドは気圧されることなく反論する。
「なにしてくれる? こっちのセリフですよ! ミスコンで優勝して気分が良かったのに、脅されてここに連れてこられたんですよ! 今すぐ帰らせてください! お土産付きで!」
「ミスコン……じゃあ、お前が浜松で有名な美少女魔姫那ということでおじゃるか?」
「ふぅん、私ってそんなふうに言われているんですかぁ……さすがに面と向かって美少女って言われると照れくさいものですね。ねっ?」
と自慢たらしい視線をチラチラと送られて夜半はうんざりした。
「民草の間では『借金だらけのうつけ姫』『歌って踊れる火薬庫』『見た目は最強、行動は最恐』と派手な異名がつけられておったな」
「別の人じゃないですか? あんまり噂に踊らされちゃいけませんよ」
「人の鼻を折った現行犯がよくも抜け抜けと言えたものでおじゃる……」
義元の言葉に夜半も同意するように首を何度も縦に振った。
「で、そちの名は?」
義元に目をつけられた夜半は全力で美女を演じる。
「わたしはブリュンヒルド様の侍女のまひる────」
「そういうのいいから。ずいぶん自分の美貌に自信があるようでおじゃるが、匂いでお前が女を抱いたことのない男であることくらいわかるでおじゃ」
「ぶち殺すぞっ!? 取り消せっ! 貴族かぶれのバカ殿野郎がっ!」
夜半が鬼の形相で義元の首を絞め始めた。
「先生! 落ち着いて! どっちが地雷ですか!? ナルシストの方ですか!? それとも童」
「ヒロインがそんな言葉使うなっ! そもそもお前が────────ッ!?」
夜半が反射的に義元から手を離し、身を反らした。次の瞬間、シュパァン! と音が鳴り、鮮血が舞った。
「先生っ!」
「かすり傷だ。だが、動くな」
ブリュンヒルドを庇うように前に立った夜半は腕に斬り傷が刻まれている。そして、部屋中の女の掌が銃口のように突きつけられている。この部屋にいる女は皆、魔姫那である。
義元は魔姫那を愛でている。今川家を護り、他家と戦う強力な兵器である彼女たちの女の部分を我が物とすることで支配欲を満たす。倒錯しているようで道理の通った性癖である。
「さっきからなんでおじゃる! 初対面の麻呂を殴ったり首絞めたり野蛮すぎでおじゃ!」
「一理あるが、アンタも大概だろう。ミスコンで女を集め、誘拐まがいのやり方で愛人を増やそうだなんて。この部屋の面々だけで質も量も十分だろうが」
彩髪虹眼に目が行きがちだが、不思議と魔姫那は顔立ちの良い者が多い。種々の宝石をかき集めたような絢爛豪華なハーレムは義元の権勢の一端を示していた。
「別に美しい女を愛でたいからミスコンを開いたわけではないでおじゃる。サラ!」
義元に呼び立てられて、紺色の髪をした魔姫那が前に出てきた。まだ、歳若く一四、五という風貌に加えて他の魔姫那にヘコヘコと頭を下げている様子から比較的低い立場にいる者と夜半は推測する。一方、ブリュンヒルドはスッ、と顔を横に背けた。
「姫様! お懐かしゅうございます! かつてお仕えしておりましたサラでございます!」
「あ……あっはっはっは! 『姫様、お懐かしゅうございます』ですって! 漫画でしか見たことないセリフですよ! 知らない人です、全然」
わざとらしいほどの大声で笑うブリュンヒルドだが明らかに顔が引きつっている。
「そんなぁ! あなたの思いつきや突飛な行動に付き合わされていたせいで、地元で再就職できず駿河まで流れてきた私をお忘れになるなんて!?」
「あっはっはっは、よくできたストーリーですね。姫武将より漫画家になるべきですよ! それはさておき、清洲に面白い漫画を描く人がいましてね」
「漫画みたいな雑な話の逸らしかたやめてくださいよ! 相変わらずですね!」
「俺は立て札漫画くらいしか読まないが……後ろめたいことがあるキャラの仕草だ」
「先生までやめてくださいよ〜。私がお姫様だなんて漫画じゃあるまいし────」
「漫画、漫画としつこいでおじゃる! しかし……語るに落ちたでおじゃるな。麻呂は最初からお前だけを探していたのでおじゃるよ、ブリュンヒルド…………いや──」
義元は満足そうに目を細め、告げる。
「織田信長の妹、市姫よ」
夜半は呆気に取られた後、恐る恐るブリュンヒルドの顔を見た。いつも自信と太々しさに溢れているその表情が、悪さを咎められた子供のように力なく怯えたものになっていた。
「信長の父である信秀は女好きで子沢山でおじゃったの。それも信長暗殺の嫌疑をかけられほとんどが粛清されて残っておらぬが、まさか南蛮の血を引く娘が野に放たれているとは」
「ひ、人違いですよ! 私が、織田家の……姫だなんて」
「心配せんでも斎藤に売り渡すような真似はしないでおじゃるよ。信秀も信長も、戦場で相まみえた時は憎たらしかったが、いざ亡くなられてしまうともの寂しいものでおじゃる。どちらも得難い強敵でおじゃった。そのよしみでそなたのことは悪いようにはせんでおじゃるよ…………そっちの女装男は別でおじゃるが」
「エェッ!? なんでですか!? 先生も悪いようにしないであげてくださいよ」
「女装して屋敷に忍び込み麻呂の首を絞めてきた何処の馬の骨ともわからん男に優しくする義理も得もないでおじゃるよ!」
「…………正論だな」
狙い損ねることがないようにじり寄る魔姫那たち。義元の号令ひとつで魔法が一斉に放たれる。そんな状況でブリュンヒルドは夜半を庇うように立ちはだかった。
「市姫!? どくでおじゃる!」
「どきませんっ! 先生を殺そうとするなら先に私を殺しなさい!」
「わかったでおじゃる! 皆の衆! 市姫もろとも」
「ちょ───っと待ってください! 悪いようにはしないんじゃなかったんですか!? 私、織田の忘れ形見ですよ!」
「麻呂はその時の気分を大事にするでおじゃる! 今の気分は『邪魔ならば 殺してしまえ ホトトギス』でおじゃる!」
「くっ……その時の気分で動く人はタチが悪いです!」
ブリュンヒルドはすごすごと夜半の後ろに隠れた。
「お前は何をやりたかったんだ……」
「先生を守ろうとしたに決まってるじゃないですか。言わせないでください、恥ずかしい」
「おちょくるために前に出たかと思っていたよ」
「結果として私もピンチです……どうしましょう」
両手を上げて降伏の意思を示すブリュンヒルド。夜半はため息をつきながらも打開策の端っこが摑めたような気がした。