夜半はそう言って義元の足下に跪き、足首に縄を括り付けた。
「なんじゃこれは?」
「命綱です。ここから飛び降りてください」
「ふざけたことぬかすなでおじゃるうううううっっ!!」
義元は激昂し夜半の胸ぐらを摑んで振り回した。
「私の言うとおりにするんでしょう? それが指南を授ける条件のひとつでしたよね?」
「それはそうじゃが……苛酷と無謀は違うでおじゃる!」
「大丈夫ですよ。これは南蛮渡来の修行法で子どもが大人になる前の儀式だとかなんとか。もし、うっかり命綱が切れても魔姫那が魔法で治してくれるじゃないですか」
「子ども向けの儀式はナイスバディの成人男性がやる想定をしておらんのでは? あと、魔法で傷が治ると言っても即死したら終わりでおじゃるよ。そもそもむっちゃ痛いし」
「その緊張感が、あなたを魔姫那の域に押し上げます。さあ、やりましょう」
「くっ……あ、足がこれ以上進まぬでおじゃる! 無理でおじゃる!」
ガクガクと足を震わせて崖際で振り返る義元。
「はぁ……わかりました。そのままにしていてください。私が三、二、一で突き落としますから覚悟を決めてください」
「わ、わ、わかったでおじゃ!」
義元は「ヒッ、ヒッ、フゥゥゥゥゥゥぅ!」と呼吸を整え始める。
「じゃあ、行きますよ。三────」
どんっ。
「は?」
覚悟が決まらぬ内に宙に放り出されて、恐怖と怒りで義元の顔が歪みに歪んだ。
「夜半きさま────ああれぇええええええええええ!!」
崖下に落下していく主君を側近の魔姫那はなす術なく見送った。
「ひぇええええっっっ! 地面近っ! 地面近っ! 地面! 死ぃぃぃぃぃぃぃぃ────」
頭から岩に叩きつけられそうになる寸前、足首につけた縄がビンっと張り詰めて義元の巨体が大きく跳ね上がり、その後、宙吊りのままブランブランと揺られた。恐怖に気を失いそうになっているところに夜半から声が投げかけられる。
「魔法使えそうでしたか────?」
「そんなこと考える余裕なかったでおじゃるううううううっ!」
一見、夜半が義元をイジメているようであるがこれは歴とした魔法指南である。
義元は自分に魔法を指南するよう夜半に命じた。当然、夜半は女しか魔姫那になれないことを説明はしたが、「ならば魔姫那でありながら魔法がほとんど使えなかった者に使わせることができた指南と同じものをするように」と命じられ不承不承ながら従った。どうせ一日と保たずに音を上げると思いきや、意外にもガッツがあり、苛烈な修行に耐え続けていた。
「義元様、お加減は?」
「治癒の魔法がなければ命がいくつあっても足りんでおじゃる!」
「身と心を死に近づけることで体の中に眠る力を呼び起こし、魔法を発現させる。荒っぽいやり方ですが魔法が上手く使えない魔姫那がこの方法で魔法が使えるようになったことも」
「何度も言われずともわかっているでおじゃる! ただの愚痴ぞ!」
「はあ……しかし、やんごとなき御身に苛酷な修行を課してまで、自ら魔法を使わなければならないものですか? あなたの側近は私の目から見ても超がつくほどの一流の魔姫那揃い。仮に魔法を使えるようになったとて、彼女たちを超えることは無理ですよ」
「で、あろうな。男が魔法を授かる奇跡が起こったとしてもせいぜい烏帽子から鳩を出したり匙を曲げる程度の手品めいたものが使えれば御の字だと思っているでおじゃる」
「そこまで割り切っているなら何故────」
「麻呂が血においても力においても武士の頂点にある者だからでおじゃる。魔姫那の台頭により武士の肩身は狭くなった。『魔姫那がいれば武士などいらぬ』などと妄言を垂れ流す者まで現れる始末。で、おじゃるが、男には女に負けたくないという意地がある。それらを切り捨てては世が回らぬ。彼奴らのためにも、麻呂は武士の可能性を示してやらねばならないのでおじゃる。其方からすれば不毛な仕事かもしれんがな、他にも可能性があるならじゃんじゃん教えてたもれ」
まっすぐ目を見て考えを伝えてくる義元の真剣さに夜半は絆された。
(バカ殿の振る舞いをしてはいるが、したたかさと実直さも兼ね備えている。血筋も踏まえると、信長様よりも天下に近い場所に立っているのかもしれんな)
早朝の鍛錬を終えて駿府の町に戻ると、まだ昼前だというのに往来には人が溢れ、一方向に向かって進んでいた。
「何事でおじゃるか? 今日は市も立っていないはずでおじゃるが……」
夜半はいつものパターンだ、と察しがついた。
「いいえ、市が立っているんですよ。舞台の上にね」
夜半の含みを持った言い方が気に障ったのか義元は荒っぽく、馬を駆けさせ人混みを割って走る。しばらくすると激しい楽器の演奏音と歓声に交じった伸びやかな歌声が聴こえ始め、進むほどにその音は大きくなっていった。
「駿府のみなさ──ん! 盛り上がっていますか!?
乱世に舞い歌う愛踊ことブリュンヒルドです!
名前だけでも覚えて帰ってください!」
「「「ブリュンヒルドさま〜〜〜〜〜〜〜!!」」」
例によって、ブリュンヒルドの雷舞が行われていた。しかも駿府城の目と鼻の先にある空き地でのことである。義元も目を見開いて驚いている。
「な、なにをやっているでおじゃるかぁ〜〜〜〜〜〜!?」
「雷舞ですよ。ブリュンヒルドはああやっていろんな場所で自作の歌や舞を披露しているのです。けたたましく騒がしいですが、受け入れてしまうとこれはこれで趣ある────」
「誰か! あやつを舞台から引き摺り下ろせ!」
義元が叫ぶと側近の薄紫色の髪をした魔姫那が人だかりを蹴散らして舞台に上がる。
「なっ! 乱入ですか!? 私と歌で対決を」
「主命である!」
魔姫那は問答無用でブリュンヒルドを担ぎ上げると舞台を横切るように走り出す。
「おい! 姫さまに何を────ゴブッ!!」
止めに入ろうとした日吉が鼻っ柱を潰すように殴られて気絶した。
「日吉っ! 放してください!」
ブリュンヒルドがジタバタともがくが大男のような体格の魔姫那はビクともせず、そのまま城の方に運ばれて行った。夜半は思わず義元を諫めにかかる。
「義元様! 乱暴が過ぎます!」
「黙るでおじゃ! こんなふざけた真似をしおって! 関わった者をみなひっ捕らえろ!」
好色なバカ殿とも誠実な為政者とも違う憤怒に満ちた義元には別の顔が現れていた。不満の声を上げていた観衆もその怒りぶりに震え上がり、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「おのれ……優しくしてやったのが仇になったでおじゃる。もうなりふり構っておられぬ。斎藤や武田に嗅ぎつけられる前にあの小娘を……」
「おい……ブリュンヒルドに何を────ぐぅッ!?」
無詠唱の雷撃魔法。義元の側近の一人が使う最速の魔法は夜半に見切る暇すら与えずに意識を刈り取った。
夜半が目を覚まして最初に見たものは大きく顔を腫らした見慣れたサル顔であった。
「おおっ! 気がついたでござるな!」
「日吉……お前がいるということは、牢の中ということか……」
自分のものとは思えないほど重く感覚のない身体をゆっくりと起こす。目の前には鉄格子があり、向かいや隣の牢屋も雷舞の観客たちで埋まっていた。
「義元の奴め。貴族かぶれの割に荒っぽいやり方を知っているじゃないか」
「感心している場合じゃないでござる! 姫さまは、姫さまは無事でござるか!?」
義元の漏らした言葉を聞けば早まったことをしかねないと思い、
「アイツは義元にとっても大事な外交の切り札なんだ。あまり無体なことはできまい」
と告げた。案の定、日吉は胸を撫で下ろしたのだが、
「目が泳いどるで。夜半くん」
と、聞き覚えのある関西弁がした方を向くと、浜松の街にいるはずの千宗易が同じ牢の隅に置物のように座っていた。
「宗易殿!? どうしてあんたがここに」
「ブリちゃんの雷舞があるって聞いたからやってきたに決まっとるやんけ。それなのにあのバカ殿がろくでなしなことしおってからに。今度茶飲む機会あったら鼻クソ入れたろ」