「おい! スケベ坊主! 姫さまがどうしているのか知ってるでござるか?」
つかみかかるようにして日吉は問い詰めるが宗易は鼻で笑いながら答える。
「そんなもん……可愛い女の子にお仕置きする方法なんて、あはれなことしかないやん」
「びゃああ──────っ!! 姫さまああああ!! すぐ助けに行くでござるぅううっ!!」
壁を素手で殴ろうとする日吉を羽交い締めして止める夜半。こうなるから黙っていたのに、と宗易を恨めしげに睨みつけた。
「怖い目やな。やけど、そうやって感情をズルムケにしているうちはバカ殿……もとい義元はんには勝てんよ。あの御仁は心も下の方も分厚い皮被りやからな」
「見たことあるのかよ……だが、その通りだな。俺にはアイツがよくわからん。阿呆にも悪辣にもひょうきんにも誠実にも見える。どれが本性なのか……」
「全部やな。一人の人間の中に何人もの人間がおって、時と場合に応じて使い分ける。それができるから……あの御仁は強い」
宗易の言葉がストンと腹に落ちた。信長もまた複数の人格を有している人間だった。
「測り損ねたか。俺としたことが……こんなことならさっさと逃げておけば良かった」
「ややっ! やはり夜半殿! 今川家に臣従したわけではござらんかったか!」
「あの時は従わざるを得なかったんだよ。何十人もの魔姫那に囲まれていたし。それに……ブリュンヒルドが嫁ぐのであれば家の内情を知っておきたかったからな」
「ん? どういうことでござるか? 夜半殿と姫さまが一緒に逃げるんだからそんなこと」
「一人で逃げるつもりだったんだよ。アイツが織田家の姫ならば俺では守りきれない」
「はああああああっっ!? 姫さまが織田のっ────」
日吉は慌てて口を押さえた。夜半としては予想外の反応だった。
「てっきり、お前は知っているものかと思っていた。姫さま、姫さまと呼んでいるし」
「い、いや……拙者はてっきり天から穢れた大地に降り立った神の子だと」
「お前の世界のリアリティラインどこに引かれているんだよ……まあ、そういうわけだから、義元も人目につかないようにしたがっているのさ。もっとも、他の大名が知るのも時間の問題だ。そうなった時に俺ではアイツの身を守れない」
大名家に命を狙われる。それは生き地獄に等しい人生の始まりである。暗殺に怯えなくてはならないだけでなく、褒賞目当ての輩にも気をつけなくてはならない。領国は勿論、敵領であっても外交材料になるから、と追われ続ける。安住の地は無く、人との繫がりを断ち、生きた証を作らず、ひっそりと息を潜め続けなくてはならない。
そんな状況から逃れる手段は一つ。強い後ろ盾を得ることだ。
「た、たしかにそうかもしれんが……とはいえ、今川に嫁ぐことが姫さまの幸せとは到底思えんでござるよ! あの者は姫さまの雷舞を踏み躙ったでござる! きっとこれからも、姫さまは自由など与えてもらえんでござるよ!」
日吉の悲痛な叫びが夜半の耳には痛かった。奥歯を嚙み締めて力不足を悔いる中、
「茶ァでもシバかへん?」
宗易の吞気な関西弁が差し込まれた。
「……こんな牢屋に釜も火もないだろ」
「わかっとらんなあ、夜半くん。茶の湯なんてのは極端な話、砂の器一つあればやれるもんや。もっとも、手前も見栄っ張りやから器くらいはええもん使うけど」
と言っていつも被っている帽子を外し、その中から黒い茶碗を取り出した。さらに、懐から竹筒を取り出し、星がまばらに浮かぶ漆黒の空を思わせる茶碗の底面に濃緑の茶を注いだ。その所作は厳かで美しく、取り乱していた日吉の平静をも取り戻した。
「ところでや、ブリちゃんが義元はんに見初められたほんまの理由ってなんやと思う?」
「それはもちろん姫さまが天下の万物より美しく、見る者すべてを虜にする愛嬌を兼ね」
「お猿に聞いとらへん。夜半くん?」
「……尾張侵攻の大義名分。謀略にて尾張を乗っ取った斎藤から織田家に尾張を返還させることを名目に国取り魔擬合を起こしたい。そんなところだろ」
「うんうん。さすが大名相手に仕事しとるだけあって政の常識を心得とる」
と、宗易は含みのある言い方で夜半を褒め、茶筅を持たぬ指で茶を点てるフリをする。
「やけどな、あの御仁が『天下を治める』と一言述べれば京に上って足利に代わり将軍となるっていう大義名分ができるねん。わざわざブリちゃんを神輿にせんでもな」
「じゃあ、だったらどうしてブリュンヒルドを?」
「……清洲の変が起こって間もない頃にな、ある噂が立ったんや。暗殺された織田信長はとある財宝を隠し持っとった。なんでも斎藤家が織田家の人間皆殺しにしたのはその在処を聞き出そうとしたことと他の人間に渡したくなかったから、っちゅう噂や」
「財宝って……大大名の今川義元が遺産漁りのような下品な真似をするなんて、いったいどんなものがあったらそんなことに」
与太話の類かと夜半は侮った。しかし、
「魔法の指南書。それを読めば誰でも、男であろうと魔法が使えるようになるという」
夜半の顔色が変わるのを見た宗易は意味ありげにゆっくりと頷いた。
「義元はんはその指南書が実在しとると思ってはる。いや、しててほしいんやろうな。長年の夢が叶うかもしれんねんから。で、織田信長と繫がりのある人間を探しとったところにブリちゃんの噂が流れてきたんや。目立つ美少女やったのが裏目に出てもうたな」
突拍子もない話である。しかし、夜半は義元の魔法への執着を目の当たりにしている。ブリュンヒルドの雷舞をやめさせたのも、織田家の姫の存在を知られたくなかったからだ。
「隠し財宝とやらに繫がる唯一の道筋がブリュンヒルドだということか。しかし、それにしては扱いが丁重じゃないか? もっと手っ取り早くやる方法がある」
「たしかに、もし見つかったのがブリちゃんだけやったら拷問しまくりやったやろな。全年齢向けのもR指定なのも。やけど義元はんも予想外やったんや……夜半くん。キミも一緒に手に入れてしまうなんてな」
夜半は言われてハッとした。信長の妹と元織田家の魔法指南役が一緒にいる。偶然にしては出来過ぎていて、いよいよ信長の遺した指南書の存在が真実味を帯びてきた、と義元は興奮したことだろう。
「俺とアイツが出会った理由って強引な客引きに捕まったせいなんだが……」
「ほう。かっこええやん。夜半くんが颯爽と助けに入って」
「いや……俺がコンカフェ嬢に絡まれて困ってたところをアイツに助けてもらって」
「めっちゃダサいやん、夜半くん。何やっとるん?」
「ま、まあそれはさておいて……俺たちが一緒にいるのは偶然の成り行きで」
「それを知らん人間からすれば、兄信長の遺言かなんかを頼りにブリちゃんが夜半くんを見つけたってストーリーを想像するやろな。人間ってのは物語のような実話を好むもんや。せやからこそ、成功を目の前にした時にこそ慎重になるもんや。下手に敵対すれば財宝の在処を教えてもらえへん。かといって下手に出ても舐められる。丁重に扱い、信頼を得ながらもキチンと上下関係を叩き込む。義元はんの手練手管を味わったやろ」
夜半はぐうの音も出なかった。為政者として相応しい人物と思い、ブリュンヒルドを預けることすら前向きに考えていたのだから。
「やけど、いつまでもお客様扱いしてくれるわけでもない。義元はんもブリちゃんをネタに夜半くんに脅しかけるのが最適解と気づいてもええ頃やろ」