夜半は理解させられる。自分こそがブリュンヒルドへの蛮行を止める抑止力。ここで逃げ出せばいよいよ義元はなりふり構わなくなる。ブリュンヒルドは知る由もない財宝の在処を吐くことを求められ、筆舌に尽くしがたい目に遭い、他の織田家の兄弟姉妹と同じ末路を辿る。それから救う手段はただひとつしかなかった。
「お、お、おのれええええええええっ!! 今川義元何するものぞっ!! もし、姫様にかすり傷の一つでも負わせようものなら臓物引き摺り出して食らわせてやるでござるっ!!」
日吉は怒りのあまり拳を地面に叩きつけようとした。しかし、夜半がその拳を止めた。
「……やめておけ」
「止めるなでござる! こうなったら爪が剝がれようと壁を削って外に」
「忠臣ならば自分の怒りに一滴の血も流すなということだ。すべて、主君に捧げろ」
日吉の拳を握った手を離すと、茶碗に手を伸ばし、一気に飲み干した。
「苦い……だが、良い気つけだ」
夜半の切れ長の瞳にギラリと決意の光が灯った。
「ほほう。スッキリした顔になったなあ。まるで一発ヌイた後みたいやんけ」
「人が覚悟を決めた瞬間を秒で台無しにしてくれるな」
「おちょくってるわけやないよ。女に会う前は一発ヌくのは大事なことや」
熱くなった頭が冷えてきた日吉はおそるおそる夜半に尋ねる。
「夜半殿……姫様を救ってくれるのか?」
「できるかはわからん。だが、アイツを救うためならば、俺の命を懸ける甲斐がある」
「────っ……ぉぉぉ……」
夜半の覚悟に日吉の心は打ち震え、声無く泣いた。
非力で武芸の素養もない自分では暴力の溢れる乱世においてブリュンヒルドを守り抜くことはできないと自覚していた。しかし、今ここに彼女のために命を懸けても良いと言ってくれる強者が現れた。その有り難みは掌を合わせ崇めても足りないほどだった。
「よしっ! ならば拙者も地獄の底までお供いたす! 宗易殿! 茶をくれ!」
「えぇ……お猿に茶碗使ってほしないんやけど……しゃあなしやで」
宗易に茶を注がれると茶を点てる間もなく飲み干した。
「ぷはぁ! 結構なお点前!」
「やかましいわ。オキニの茶碗にお前の唾液が付いたかと思うと……」
「拙者だって貴様の禿げ頭に乗っていた茶碗など口付けたくないが腹ごしらえに──ん?」
手に持った茶碗をまじまじと見つめたかと思うと全身を震わせ始めた。
「そ、そ、宗易……さま? こ、この茶碗はもしかして南宋の……」
「なんや、目利きできるんかい。どうせ銭儲けのために覚えたんやろけど、先に作法を」
「天下に名高い曜変天目でござるかぁ────っ!! 噓であろう!? これ一つで城が買えると言われる大名物が、ど、どうしてこんなところに!?」
「うっさいなあ。偉い人と茶飲む時にはハッタリ利いた茶器があると話が弾むんや」
「ハッタリ利かせる程度の理由で買える品でないでござるよっ!! おお、瑠璃色に光り、斑紋が星のようにちりばめられて……まるで宇宙でござる」
(また、謎の経歴と技能を披露してきやがって)
騒ぐ声を聞きつけて牢屋番の魔姫那が飛んできた。
「どこ? どこ? どこ? お城が買えるっていう高いお茶碗は!?」
慌てて日吉は衣の胸元に茶碗を入れて、抱き抱えるようにして隠した。
「うわ……もう、そんな茶碗使えへんやん……お猿の餌入れにでも使いや」
「く、くれるのでござるか!? あ、ありがとうでござるっ!」
「話進めてんじゃないわよ! 罪人の分際でお宝なんて贅沢ね! 私によこしなさいな!」
「嫌でござるよ! 悔しかったら力ずくで取ってみろでござる!」
魔姫那を挑発しながら日吉は夜半に目配せする。扉が開くか、魔法でぶち破ってきたら逃げ出せという合図である。わざわざ大声を上げたのも日吉流の謀略であった。しかし、
「野蛮ねえ。私は力ずくなんてことしないわよ。もっと華麗にキメてみせるわ」
魔姫那は不敵な笑みと共に詠唱を始めた。
「『この手に獲れないものはなし』────【強盗の手法】!」
魔法が発動すると、魔姫那の手の先から黒い稲光のような腕が伸びた。その腕は牢屋の格子をすり抜けると日吉の胸倉に摑み掛かり、茶碗を奪って主人の元に戻った。
「おろろ!? 拙者の曜変天目が!」
「あははは! 残念だったね! さーて、どうやってお金に換えようかしら!」
牢屋の格子には傷ひとつない。策が破られた日吉は悔しそうに奥歯を嚙んだ。しかし、
「よくやった日吉。おあつらえ向きの魔法を見ることができた」
夜半は浮かれている魔姫那の腰に提げられた鍵束を注視し、手を差し伸ばす。
「あれ? これが欲しくて手を伸ばしてるの? ムダムダ。鎖で繫いでるんだから」
彼女の言う通り、仮に手が届いたとしても引きちぎることはできず、鍵を奪うことはできない。だが、夜半は自信たっぷりに言い放つ。
「後先考える必要がなくなったからな。ここからは、ド派手にやらせてもらう」
その頃、ブリュンヒルドは駿府城内の御殿の一室に監禁されていた。座り込んだ彼女の周りには拷問役を務める家来が囲むように立ち並び、執拗な尋問を行っていた。
「しらばっくれるな! お前が信長のお気に入りだったと聞いている! 死に際にも一緒にいたのだろう! 何を言い残された!?」
「何を、って……あ、もしかして、あのことですか?」
何かを思い出したようなブリュンヒルドの反応に拷問官たちは身を乗り出した。
「お兄さまが言っていました。オレが死んだら清洲城に隠しているあるモノを燃やせ、と」
「清洲城!? それでは既に斎藤に……くそっ! そのあるものとは何だ!?」
ブリュンヒルドは躊躇いながら、そっと口を開く。
「それは……お兄さまが密かに練習していた春画です。特に帰蝶さまをモデルに描かれたものだけは絶対にこの世に残すな……と」
「きさま! やっぱりおちょくってるな!」
「だって本当に知らないんですよ! お兄さまが財宝を隠していたなんて! もし、お兄さまがそんなものを持っていたなら誰より先に最愛の妹である私にくれるに決まっているじゃないですか! てか、くださいよ! 財宝! 雷舞が中止になって大赤字なんですから!」
ブリュンヒルドは聞かれていないことまで正直に話しているのだが、家来たちは聞く耳を持たず、ボロン……と黒光りする二〇センチほどの得物を突きつけた。
「ひっ……な、なんてモノを見せるんですか! それで私に何をするつもりですか!?」
黒いモノから目を背けるブリュンヒルドだが家来たちは頭を摑んで押さえつけた。
「フフフフ……お前がどういうことをされるのが一番嫌がるのか、サラからしっかり聞き出している……オラァ! 口を開けろ!」
「やっ、やめ──んぐっ!?」
強引にブリュンヒルドの口に黒いモノが突っ込まれた。
「〜〜〜〜っ♡ いやぁ……もぐもぐ……あんっ、んんっ♡」
「おいおい。織田の姫君とあろう者がはしたないな。こんな大口を開けて!」
「んん〜〜〜〜〜〜っ♡」
黒いモノはブリュンヒルドの口の中で小さくなり、中に詰まっていた黄ばんだ白いクリームを解き放った。小さな口から溢れたそれは彼女の唇を白く汚した。
「ううっ……おいひぃ♡ ペロペロ♡」
「……なあ、サラ。本当にこの姫様ってコレが怖くて仕方ないんだよな?」
拷問役の中にかつて織田家に仕えていたサラが交ざっている。彼女は堂々と、
「はい! お市様は甘いものが大の苦手で無理やり食べさせられた日には苦痛のあまりすべてを白状すると思われます!」
と言い放つ。ブリュンヒルドも乗っかるように、
「ひいいい。もう、これ以上甘いモノを持ってこないでください。特に南蛮渡来のクリームや旬の果物が入っていると耐えられません。あ、口の中がパサパサしているので、砂糖たっぷりの紅茶なんかが来るとさらにヤバいです」
と、黒く光るエクレアに入っていた白いカスタードクリームを舐め切って注文をつけた。
「変わり者と聞いていたがここまでとは……紅茶を用意しろ!」
「いやあああああ。ティーポットにたっぷり入ってたらおかしくなっちゃいます〜〜」