城の中は逃げる場所も隠れる場所もない有様だった。
「もしかして、人増えてません? イチャイチャしていた間に事態が悪化してます?」
「間違いないな。城の外からも兵が集まってきている。イチャイチャはしていない、あやしてやっていただけだ」
「何か抜け道とか知らないんですか? バカ殿に気に入られていたんでしょう。弟子にときめいたからって恥ずかしがらなくても良いですよ」
「新参者にそんなもの教えてくれるものか。地道に行くしかないな。いきなりはよくない。ときめいたんじゃなくて驚いただけだ」
「急がば回れ……私の嫌いな言葉です。素直じゃないなあ、もう」
二つの会話を同時にこなすという器用なことをしつつ、徐々に城の出口に近づく二人。
「それはそうと……ごめんなさい。さっきの魔姫那にうっかり先生が井伊谷で魔法を使ってたことを言っちゃったんですよ」
「見られていたのか。どうしてすぐに尋ねてこなかった?」
「先生が魔法は男には使えないって言ってましたから。自分が使えるのにそれを言わないってことは隠しておきたいことなんだと思って。しつこく聞いて先生に嫌われたら嫌ですし。これでも他人との距離の取り方には自信があるので!」
「超接近戦型のくせに……だがまあ、そのとおりだよ。男であろうと魔法を使え、しかも後天的に習得できる方法があるなんて知られたら天地がひっくり返る騒ぎになる。その習得法を手に入れ独占しようとする大名どもによってどれだけの悲劇が生み出されるのやら……」
夜半の言葉にブリュンヒルドは震え上がり、自分の発言がどれだけ重大な事態を招いているのかを察した。
「ご……ごめんなさい……で、すまないことやっちゃいました?」
「大丈夫だ。もう、秘密にする必要がないからな」
「えっ? それはどういう────」
「『咎人よ、姿をさらせ、天道はお前を見ている』──【壁を照らす光円】」
ブリュンヒルドの問いを遮るように魔法の光が探査灯のように二人を照らし出した。駆けつけた兵と魔姫那にすぐさま取り囲まれ、逃げ場を失ったところに義元が自ら姿を現した。
「牢破りをした挙句、主人の妾と逢引きとは……なかなか大胆でおじゃるな」
「あなたの妾なんてゴメンです。いくら私が美しく気品があるからといって」
「だまりゃ! 麻呂の城で好き放題やってくれおってからに! 弟子が弟子なら師も師でおじゃ! よくも噓八百で麻呂を痛めつけてくれおって! 命の危機が迫るたび『これでまた一歩、魔姫那に近づいた』と想いを馳せていた麻呂の純心を返すでおじゃる!」
「チッ。うるさいな……ムシャクシャしてやった。今は反省しているっての」
「どこが反省している男の態度でおじゃる! そっちがその気ならこっちも野蛮にいくでおじゃる! 真の魔法習得法は、しっかりカラダに聞いてやるから覚悟するでおじゃる!」
下卑た笑みを浮かべ、わしゃわしゃと指を揉みしだくように動かす義元に夜半は告げる。
「ブリュンヒルドは何も知らない。もし、お前の言うように魔法を習得する方法を知っていたなら借金まみれのニセ魔姫那なんかやってるわけないだろ」
「あの、先生……事実ですけど……もう少し、その、手心いただけませんか?」
「信用できんでおじゃる! その減らず口、しっかり叩き直してやるでおじゃ!」
義元が叫ぶと兵たちは槍を、魔姫那たちは手のひらを夜半に突きつけた。絶体絶命の状況である……にもかかわらず夜半は平然とした様子で首を鳴らしていた。
「先に言っておくが、魔法は誰もが使えるものじゃない。この日の本にばら撒かれた魔法は本来、力が無くとも純粋で心優しい少女たちに授けられる奇跡の力。力を有し強欲で他人を虐げることに何の躊躇いもないお前のような男には決して与れない力だ」
「まるで見てきたような顔でほざくでおじゃるな。仮にお前が知らなくとも必ず探し当てる! 魔法の力を手にして真の天下人へと昇り詰めてやるでおじゃる!」
義元は魔法伝来以降、ずっと不条理に怒りを募らせていた。名門今川家に生まれたからといって甘やかされて育ったわけではない。少年の頃は京の寺に預けられ厳しい鍛錬の日々を過ごした。贅沢など許されない暮らしの中で煌びやかな貴族たちに妬心を抱き、その鬱屈とした想いすらも向上心へと変換した。その結果、先祖代々受け継いだ土地だけでなく自分の代で勢力を拡大し、今川家に望月がごとき隆盛をもたらすこととなった。
それでも、魔姫那の存在は彼の成功を翳らせる。いくつも領国を持ち、万の軍勢を従えようとも、一人の人間としての強さは魔姫那の前では塵に等しい。自分の持つ力を、運よく魔法を授かっただけの小娘たちが凌駕していく。そのことが腹立たしくて仕方なかった。
「お、お館様! 遅参申し訳ございません!」
緑髪の魔姫那クララがフラつきながらも駆け寄ってきた。
「クララ! ちょうどいい! お前の魔法であの男を嬲りものにしろ! 小娘が泣きながらすべてを垂れ流すくらいに惨たらしくな!」
「御意に! 『幕が上がる。幕が上がる。今宵の舞台に上がるため、私は涙を仮面でかくす』────【舞台化粧】」
クララの変身魔法は自身が触れたことのある生き物であれば何にでも変身できる上にその肉体の頑強さも模倣することができる。義元はクララを重用しており、彼女の変身の元となる強力な肉体をあらゆる手段を用いて調達した。
その生き物は明の国から運ばれてきた。海を渡ってきた当初は痩せ衰えていたが、牛や馬を食わせ、活力を取り戻させた。クララの魔法を最大限に活かすために。
「グルルルルル……」
着物は膨れ上がった巨体によってバラバラに引き裂かれた。鎧すら切り裂く爪と嚙み砕く牙を備えながらも身のこなしは猫のようにしなやか。日本列島には存在しない黄色と黒の縞模様の猛獣。それを知らないブリュンヒルドは慌てふためく。
「な、なんなんですか!? あのデカいネコは! 全然可愛くないですよ!」
「あれはな、虎って言うんだ。俺も実物は初めて見た」
「グァオオオオオオオオオオ!!」
虎と化した力を誇示するかのようにクララは大声で吠えた。その迫力に味方までもが思わず腰が引けているが、義元は勝利を確信し、ニンマリと笑っていた。
「せ……先生……流石にこれは」
「ネズミに化けられるから逆もあると踏んでいた。だが、奴の魔法は三遠駿四八姫の中でも二流止まりだ。恐れることはない」
そう言って夜半は鼻で笑った。それが挑発だとわかっていたが、散々二人にしてやられた上に虎の肉体に宿った凶暴性がクララを突き動かした。四肢をバラバラに食い千切ってやろうと牙を剝き地面を蹴った。
「男は魔法を授かれない。これは魔法伝来における摂理で動かしようがない。だが、逆に言えば魔法伝来以外の摂理によるものであれば……話は別だ」
夜半は椀を持つように掌を胸の前に持ち上げる。すると彼の掌の上に淡く光る光球が生まれた。間近で見たブリュンヒルドはそれが何か、反射的に悟った。
「魔法の……光?」
自信なさげな解答に丸をつけてやるように夜半が微笑むと光球は、一冊の本に変わった。
革で表紙が作られた古めかしく分厚い洋風の書物。それを開き、夜半は唱える。
「『原典皆記』────【舞台化粧】」
言い終えると同時にクララが肩に嚙み付いた。虎の顎の力は肉食獣の中でも極めて強く、人間ならば骨ごと嚙み砕かれる。
しかし、そうはならない。先ほどクララが使った魔法と同様に夜半の体が光に包まれるとその光は膨張し、クララはたまらず顎を離す。人間の形から解き放たれた後も質量は増大し、最終的には家のような大きさに至った。
『そっちが虎を出してくるなら、こちらも相応のもてなしが必要だな。以前、指南した魔姫那が召喚した生物だが、お気に召してくれるかな』
夜半は変身した姿でもなお、人語を使った。
巨体を支える強靱な足。鋼のような鱗。天を覆う巨大な翼。鰐のように突き出した長い顎。西洋における悪獣の象徴にして神の化身とされる最強の獣────ドラゴンが顕現した。
ドラゴンと化した夜半はクララが変身した虎に目をやる。古来より龍と虎は並び立てられるものであるが、蛇に睨まれた蛙のようにクララは動けなくなっていた。