そして、次の瞬間、夜半は大木のような長く太い尾をしならせて、横に薙ぎ払った。尾は屋敷に直撃し、壁や屋根瓦の破片が雨のように降り注いで義元の配下は阿鼻叫喚の混乱に陥った。そのついでのようにしてクララは振り戻した尾に巻き込まれ吹き飛ばされた。またしても変身が解かれたクララは全裸で地面に転がった。
『乗れ! ブリュンヒルド!』
「私の考えていること伝わっちゃいました!? いいんですか!? 本当にいいんですか!? うわあ、めちゃくちゃワクワクしますね! 子供の頃に乗ったお兄さまの馬よりずっと大きいです! こんな大きな生き物に乗れるなんて感慨深いですよ!」
『耽るな! 早くしろ!』
急かしながらブリュンヒルドが背中に乗ってしがみつくのを待って夜半は駆け出した。巨体を揺らしながら城壁に近づき、その手前で翼を羽ばたかせて浮かび上がる。
「わぁ…………空飛んじゃいましたよ!」
月の浮かぶ夜空に少女を乗せたドラゴンが舞う。このまま彼女はドラゴンの背に乗り自由に────とはいかなかった。
空を舞っていた夜半は徐々に高度を落としていき、地面に着く寸前に変身は解け、地面に叩きつけられそうになるブリュンヒルドを夜半は抱き止めた。
「えっ? もう終わりですか? 一文課金しますからあと三分くらい」
「遊び用の乗り物じゃない! 本家のドラゴンならともかく俺の変身では対空攻撃が得意な魔姫那に的にされるだけだからな。足で逃げるぞ」
「チェッ。でも、また今度やってくださいね。やっぱり、ブリュンヒルドと名乗っているからには竜とは積極的に絡んでいきたいじゃないですか」
「やめておけ。何故かはわからないが怒られそうな気がする……」
城の外に出ることには成功し、今いるのは城下町。しかし、天下一を自負する三遠駿四八姫を擁する今川の追撃が終わるはずがなかった。まず、走力を強化できる魔法を使う魔姫那たちが追いつき、戦闘となった。次に城下町に住む魔姫那たちが集結し、夜半たちの足を止めた。彼女らを打ち倒しても次から次へと魔姫那が押し寄せてくる。
そして、ついに城にいた魔姫那たちが追いつき始めた。サラは馬を駆る侍にしがみついたまま、魔法を唱える。
「『内なる想いを、あなたに託す』────【届けこの想いよ】!」
『逃げた賊二人を発見! 場所は横田町の手前!』
と侍の声が夜半とブリュンヒルドの脳と耳にステレオで響いた。
「サラ! またしてもですか!」
「『念話』の魔法だな。離れた相手にも声を届けられるんだろうが雑な魔法操作だ。対象を選べないから効果範囲にいる人間全部に声を伝えてしまっている。騒ぎになるぞ」
夜半の予想通り、眠っていた城下の民が脳内に響く声に起こされ、家の先に出てきた。
「指南役殿! お覚悟を! 『炎の腕、すべてを薙ぎ払え』───【獄炎乱れ打ち】」
魔姫那の手から炎がショットガンのようにして撒き散らされる。
「バカがっ! 人家が建ち並ぶ場所でなんて真似を!」
夜半は再び魔導書を召喚する。
「『原典皆記』────【獄炎乱れ打ち】!」
夜半の手からも炎が撒き散らされる。放たれた炎は自在に宙を泳ぎ、相手の炎を相殺し、他の塊は誘導弾のようにして追っ手に襲いかかり、掠めるようにして衣を焼いた。
「アチチチチチチ! もうヤダァ!」
馬から振り落とされたサラはその場に突っ伏した。
「サラ! 大丈夫ですか!?」
「やめろっ! 近づくな!」
夜半の制止を聞かず、ブリュンヒルドはサラに駆け寄ろうとした。しかし、そこに自ら馬を駆って義元が現れ、すかさずブリュンヒルドの喉元に刀を突きつけた。身動きが取れなくなった二人に向かって義元は叫ぶ。
「何故でおじゃるか!? 夜半! お前はどうして魔法を使えるのでおじゃる!?」
義元の問いに逡巡する夜半。それに答えることは夜半にとって禁忌であった。魔法の伝来、魔姫那の台頭、魔擬合による合戦における魔法使用の制限。それらによって生まれかけている新しい秩序を壊してしまいかねないことだからである。
「先生……」
怯えた瞳で夜半を見つめるブリュンヒルド。義元は気分一つで彼女をどうにでもできる。美しい顔を傷つけることも、喉を傷つけ歌えなくすることも。
だから、夜半は最後の切り札を切ることにした。
「……義元。お前にしてやる最後の魔法指南だ。魔法伝来によってこの国の少女たちには魔法の力が授けられた。男はその力に与れない。だが、一つだけ例外がある。この『魔導書』を手にした者は誰でも魔法を使えるようになる! 指南書なんてチャチなものじゃない。これこそ信長様が遺した財宝! 生前の約定に従い、俺が預かってきた!」
夜半の言葉に義元は驚愕し全身を震わせ、よだれを垂れ流した。
「欲しい……欲しいでおじゃる! 夜半! それを寄越せ! さすればこの件は不問……いや、望む物ならなんでもくれてやる! 金か? 城か? それとも領地か!? 何なら斎藤から尾張や美濃を奪い、それをくれてやっても良いでおじゃるよ!」
豪気な交渉である。が、それほどまでに義元は魔法に執着し、手に入れたいと願っている。しかも魔法を操る夜半は一騎当千の三遠駿四八姫を何人も撃退している。覇者に相応しい、焦がれるほどに欲しがった夢の力だ。
夜半は義元の狙いがブリュンヒルドではなく魔法であると知って、魔導書が交渉材料になると確信した。義元は魔法の正しい使い方など気にも留めない。欲望の赴くまま他者を蹂躙するためにその力を行使する。そういう人間だとわかりきっている。
それでも、主義を曲げ、すべてを捨てることになったとしても、やらなくてはならないことがあると夜半は決心していた。
「城も国もいるものか。どうせお前はこれを手にした途端、約束を反故にするだろうしな」
「しないでおじゃるよ! なんならお前を養子に迎えて今川家を継がしてやってもよい! 麻呂に魔法を授けてくれるならば我が子よりも愛しい存在でおじゃるからな!」
義元のなりふり構わなさに臣下の者たちも流石にたじろいだ。方便であろうと自身が誇りとしている血統すら放り出すなど思いもよらないことだったからだ。
「わかった。だが、俺の望むものはもっと安いものでいい。お前にとっては取るに足らないつまらないものだ」
「おお! 言ってみよ! なんでも叶えてやるでおじゃる!」
夜半はブリュンヒルドに目を向けた。
清洲の街で彼女に出逢わなければ、このような事態に巻き込まれることはなかっただろう。戦や謀略をのらりくらりと避けながら、足が動かなくなるまで魔法指南の旅を続け、世を憂いながら何人かの魔姫那を救い、それを生き甲斐と称して人生を終えたことだろう。
そんな、程良く立ち回る人生と引き換えにしても取り戻したいものができたのだ。
「俺の望みは一つ。ブリュンヒルドに自由を与えてやってくれ」
その答えに一番驚いたのはブリュンヒルド自身だった。何かを叫ぼうとしたが夜半はそれを目で制して言葉を続ける。
「『織田信長が遺した財宝は今川家に渡り、今川義元は魔法を手に入れた』。そのように喧伝するんだ。そうすれば、魔導書を譲り、今度こそお前に魔法の使い方を指南してやる」
信長の財宝など夜半は知らない。生前の約定など噓ハッタリである。しかし、そのあるかどうかわからない物の争奪戦にブリュンヒルドは巻き込まれ、命を脅かされている。彼女を救うためにはその争奪戦に終止符を打たなければならない。だから、自身の持つ魔導書が信長の財宝、ということにした。一世一代の賭けにして、唯一の勝ち筋だった。
義元はニンマリと微笑み、刀を鞘に戻した。
「良いでおじゃるよ!! 小娘、貴様はお役御免でおじゃる! とっとと去ね! 二度と麻呂にその顔を見せるでないぞ!」