──がしゃん!
何かが落ちたような音で、時雨は寝室で目を覚ました。
「……う、ん……?」
ゆっくりと身体を起こすが、上手く頭が回らない。
あの後どうしたっけ。アヴァロンカップ三連覇を成し遂げた後、俺は──……?
眼鏡を取ろうとベッドサイドのテーブルに手を伸ばすと、かぁん、と何かが指に当たった。
吞み散らかした酒缶。
その瞬間、ずきん──と頭に鈍痛が走り、
「……ああ。そうだったな…………」
時雨は、夢から覚めてしまった。
充電クレイドルから拡張眼鏡を取ってかける。右弦を二本指で押さえると、連携先のスマホからホーム画面が空間にAR展開された。
〈2065/07/30(Fri) 17:00:56〉
「……あの時からもう、十年経つのか」
片手で頭を抱えながら、落下音がしたリビングに戻る。すると、
「……あ……」
窓を開けっぱなしにしていたせいだろう。棚に飾っていた写真立てが床に落ちていた。
拾ってみると、ヒビ割れたそれはまさに十年前、彼と撮った写真で。
「……………………」
直視に堪えず、写真を伏せて棚に戻した。
テーブルの煙草とライターを取り、ベランダへ。
沈んでいく夕陽を眺めながら、煙草に火を点けた。
紫煙を燻らせながら、時雨は再びARウインドウを空間展開する。
煙草を持ってない方の手で脚をタップしたりスクロールしたりしながら、馴染みの業界情報サイト『格ゲーチェッカー』にアクセスした。
【ZIPANGチャンピオンシップAリーグ、決着! Xenon、圧巻の全勝で決勝リーグへ】
ヘッドニュースに、昨日参加した大会の結果が出ている。
『ZIPANGチャンピオンシップ』は国内屈指の注目度を誇る由緒正しき大会だ。賞金が高い訳ではないが、ここで勝てるかどうかはプロとしての格に大いに影響する。
ニュース詳細に入り、リザルト一覧をチェックする。
一番上の行──太字のリーグ優勝者の欄に、時雨の名はない。
一番下の行──細字の十把一絡げの中に、その名は埋もれていた。
【時雨:0勝 12敗/予選落ち】
「……堕ちたもんだ。俺も」
乾いた笑いがつい漏れる。もう、泣いたり怒ったりすることもできない。
悪習慣に抗う力もなく、そのまま惰性でエゴサーチした。
──今期のジパチャン、時雨マジでボロボロだったな。
──俺、あんなグレ様見たくなかったよ。。。
──もはや完全に『過去の人』だな。
──いつまでしがみついてんの?
──マジで見下げ果てたわ。早く引退しろ。
読むに堪えない罵詈雑言・誹謗中傷が、滝のように視界を流れていく。
その中に、一際目を引く投稿があった。アカウント名に覚えがある。長年応援してくれていて、ファンミーティングにも顔を出してくれていた人だった。
──かつての『神童』も、今やただの人かあ。寂しいけど、仕方ないことだよな……。
不意に視界が滲んで、眼鏡を外す。
洗面所に駆け込み、冷水で勢いよく顔を洗った。
なんてザマだと自嘲して、鏡に手を突く。確かにこの面構えじゃ、間違っても『童』だなんて呼べないだろう。無邪気で光に満ちていた頃の雰囲気はどこへやら。今じゃ何人殺してきたか分からないような、殺し屋みたいな顔つきになった。
(……生き方は顔に出る、なんてよく言うが)
自分がこんな風に成り果てるだなんて、あの頃は思いもしなかった。
もう一度だけ大きなため息をついて、時雨はリビングに戻る。
溜めていた連絡をチェックすると、気になるメッセージが届いていた。
[葉山 陽介]:よう、久しぶり。昨日は試合お疲れさん
[葉山 陽介]:ちょっと大事な話があんだけど、明日空いてるときに通話くれね?
[葉山 陽介]:有休なんでいつでもいい。待ってるぜ〜
葉山は高校の同級生だ。時雨の数少ない友人であり、格ゲーをやらない貴重なカタギの繫がりでもある。
「……何だ? 珍しいな」
拡張眼鏡のスピーカーマイクをオンにして、とりあえず掛けてみることにした。
「──おう氷川。おれさあ、結婚することにしたわ」
「えぇえええ────っ!?」
通話を繫ぐなりソファでひっくり返った。
大学のサークルの後輩と付き合っているという話自体は前に聞いていたから、自然な流れではあるのかもしれないが……。
「いや早くないか!? 『まだ』27だろ!?」
「いやいや、『もう』27だろ? おれからすれば遅いぐらいだ」
「で、でも……最近は晩婚化がすごいって」
「最近じゃなくて昔からな。まあでもそれって、全体平均の話であって局所的には違うじゃん。おれんとこって大企業だけあって支援とかちゃんとしてるから、みんなばんばん20代で結婚して子供産むんだよ。同期にゃ二人目生まれたヤツもいる」
「コ、コドモ……フタリメ……?」
「おれも絶対ほしいと思ってるし、最近は将来を考えて家建てるローンとか──」
「待て待て待て待て……! 分かった! もう十分だ!」
『現実』の洪水に耐えられず、時雨は耳を塞ぐ。
自分が学生の頃と変わらず格ゲーばかりしている間に、友人は抜かりなく『人生』という覇権ゲームのマスを進めている。昔はそんなこと全く気にしなかったのに、今はその事実が心に重い。
「式はいつやるんだ?」
「まだ固まった訳じゃないけど、冬頃って感じだな。……来てくれるか?」
「勿論。行かせてもらうよ」
「おおっ、ありがとう!」
葉山の声音が跳ねる。が、すぐに下がる。
「でもお前、試合とか大丈夫なのか? 冬ってリーグとか超忙しいだろ?」
「……いや──」
『──時雨くん。……私も気は長くない。約束通り、待ってやるのはこの夏が最後だ』
『──もしも期待に応えられぬようならば。……そのときは、分かっているね?』
「……大丈夫だ。おそらくな」
めでたい話に水を差したくない。努めて笑顔で明るく話す。
そのまま流れで昔話に花を咲かせていると、話は時雨の方にも転がってきた。
「氷川は最近どうなんだよ。彼女とかいねえの?」
「いるわけないだろ。特にここ数年は余裕がない」
「んだよ、もったいねえ。やっぱ女より格ゲー、これさえあれば何もいらねえって感じ?」
「……いや。それはもう、昔の話だな」
時雨が苦笑し、俯く。
こればかりはもう繕えない。
「今となっては、好きかどうかも分からなくなっちまった。……苦しいよ。ひたすらに」
「……なるほど。いいんじゃねえの?」
「何がいいんだよ」
むっとして言い返すと、葉山は爽やかに笑った。
「そんだけ向き合ってるってことじゃん。正直おれは、好きなもんずーっと無邪気に好きだって奴のが浅えと思うけどな」
「……それは……」
「昔っから小難しく考え過ぎだと思うけどな。もうちょい肩の力抜けば?」
全てを見透かしたように、過去からずっと寄り添ってくれた親友は言った。
「──一回原点に戻って、気楽に遊んでみるってのもいいんじゃねーの?」
特に、深く考えて言ったことではないのだと思う。しかし通話を終えてからも、最後の言葉が時雨の頭に残り続けていた。
自分がVRFを──格闘ゲームを好きになった原点。それは何だっただろう?
(……ゲーセンだな。間違いなく)
時雨の両親は離婚していて、父親の帰りは仕事でいつも遅かった。だからその間、近所のゲームセンターで色んな人たちに遊んでもらっていたのが始まりだ。
当時はVRFというものの黎明期で、遊べる筐体は限られたゲーセンにしか置いてなかった。だから近場だけでなく、遠くから色んな立場や年齢の人が集まってきていて、ちょっとした村のお祭りがずーっと開かれているような感じだった。
そこでVRFというものに出会って。
大人も子どももなく、煽り合いながら本気で対戦して。
あそこで一番になるために、寝食を忘れて熱中したことを今でも覚えている。
(楽しかったなあ。あれは……)
夢中で遊んでいるうちに、気付けばプロになっていた。
誇張なくそんな感覚でいるから、時雨にとっての原点はやはりゲーセンということになる。
なのに気付けば、もう長いこと行けてない。
(よし。……どうせ何も手ぇ付かないし、今から行ってみるか)