カナエの星

1 点火済みの爆弾 ①

 (ええい、ままよ!)


 多柏たかえがくいんちゆうとう二年二組、りようまいのなおらいカナエは、踏み出す一歩に重ねて、ねんじる。

 それは、じようしきだのくつだのさんだので足踏みしそうになるこうを、吹っ飛ばして後回しにするためのじゆもんだった。今も呪文は効果をはつして、ほそがらな少年に躊躇ためらいのゆうを与えず、眼前の行動へとしんけいを集中させる。

 いつしよに信号待ちをしていた人のポケットからこぼれ落ち、車道に転がり出た物を拾うため、

 自動車行き交う寮正面の大通りに、全速力で飛び出す、

 という鹿げた行動へと。


「カナちゃん!!」


 背後で、いちじようか細い悲鳴を上げていたが、カナエ自身にはぼう真似まねをしているつもりはない(馬鹿げた行動という自覚はあって、あるからこその呪文だったが)。

 彼には、自動車の間をくぐり抜け、転がる落とし物を拾い上げ、反対側の歩道に抜ける『すんでの道』が見えていた。実際に視覚としてとらえているわけではなかったが、教わったときにがった例えの中ではそれが一番近いと思えるほど、明確に感じ取ることができた。

 だから、見えた通りに、

 驚きハンドルを乱す自動車の間をくぐり抜け、

 そくに転がる落とし物をひといきで拾い上げ、

 転がり込むように反対側の歩道へと抜ける、

 かつ、と言うには危険過ぎるみちすじとうしていた。

 その終点で、糸が切れたあやつり人形のようにへたりこむ。


(ふう……


 拾った物を手に、息を整える、そののうてんへと、


「なにやってるんだ、このバカ!」


 せいとともに、ゴンといちげきこぶしが降ってきた。


「痛っ!?」

「痛っ、じゃない!」


 カナエの見上げた先、朝の光を背に、後ろでかみひとふさ結んだたんせいな顔立ちとばつぐんのスタイルを誇る長身の少女がふうどうどうおうちしていた。

 こうとう二年一組のせんぱいにして、この春から女子りようりようちようも務めているやまのべ手梓たずさである。さいしよくけんながら、ゆうとうせいという線の細さを感じさせない振る舞い、加えていくつかのゆうでんから、男子より女子生徒の人気を集める、がくいんくつの有名人だった。

 彼女は他でもない、たった今、カナエが車道で拾い上げた落とし物の持ち主なのだが、その顔には感謝や喜びの色は欠片かけらも見えない。どころか逆に、ふんぎようそうである。ついでに言えば、信号が変わったおうだん歩道をダッシュしてきたせいで、肩が荒い呼吸に揺れていた。


(ありゃ、まずかったのかな)


 とおそきな考えを巡らせる脳天に、今度は怒声だけが降ってくる。


なおらい、おまえがここで飛び出すのは一体何度目だ!? 寮の真ん前に、おまえ専用の歩道きようでも作らなきゃ治らないのか!」


 直会カナエは多柏たかえ学院とその周辺において、山辺手梓以上に名を知られていた。

 ただし、そのベクトルは、彼女と真反対……つまりは危険人物として、である。

 じんぼうりよくを振るうでもない。

 人格的な難があるわけでもない。

 ただ、次のしゆんかん、なにをしでかすか分からなかった。

 な飛び出しはにちじようはん、教室しんにゆうを図ったG的な虫を女子のふでばこはじき返したり、しゆが落とした卵入りの買い物ぶくろをスライディングですくい上げたりのしようから、飛び降り自殺がんしやとつしんして服のすそおくじようさくくくり付けたり、ぼうそうダンプカーの運転席にゴミ箱を投げ入れておうてんさせたりのだいまで、つねごろから歯止めなく動いては何事かをやらかしている。

 大人おとなしく座っていれば、おさなさすら残す良い少年なのだが、とにかくができない。多柏たかえがくいんに来て数年、今や周りからは『てんみのばくだん』呼ばわりだった。

 しかも、と言うべきか、彼のやることはたいていぼくな善行で、ほぼ全てに成功もしていることから、扱いがみように難しかった。なんでそんなちやをするんだ、以上にしかりようがないのである。まさしく、今のように。

 やらかした彼と接する全員が抱く『どう言えば効果的なのか、かいもく見当が付かない』不毛さにくじけつつあった手梓たずさを、どこまでも吞気のんきな当人の声が追い打ちする。


どうきようを作ったら、おうだん歩道のない場所に飛び出すことになってしまいますよ」

「それもそうか──じゃない!」


 まんざいのツッコミのように、再びこぶしが振るわれた。


「痛っ!」


 そんな二人のようを、横断歩道をノンビリ渡ってきた他のりようせいらが、


「朝っぱらから飛ばし過ぎだっつの」

りようちようも、毎度お疲れ様ー」

「なに言ってもッスよ。分かってんでしょ?」


 等々、実感をめたしようを投げつつ通り過ぎてゆく。共に過ごす時間の多い分、彼らにとっても、この手のこうけいは慣れっこになっているのだった。

 そんな人の流れのさいこう、取り残されたように立ち尽くしている少女へと、手梓はできるだけなんきつに聞こえないよう気をつかって、声をかける。


いちじよう、おまえからコイツに言い聞かせられないのか。いいげん、苦情がしで入るぞ」

「……」


 言われて、しかし甲斐かいなく小さな身をすくませるのは、しよとう五年生の一条

 肩までで切りそろえられたくろかみの、手弱女たおやめ然とした少女である。カナエのおさなみで、いつもいつしよにいる。彼が飛び出す際に放り出した肩掛けかばんを前に抱え、その陰にかくれようとする姿すがたは、声をかけた手梓に無意味なざいあくかんを覚えさせるほど、か細かった。

 そんなふんかんを図ってか図らずか──後者の可能性が極めて大きい──せつきようたいしようたるカナエが、他方に顔を振り向けて、吞気な声を、また放る。


「いやぁ、その辺りはちゃんとげんしてますよ」

「加減……?」


 手梓が相手の視線を追った先、飛び出しがあったはずの車道は、事故が起きるでも運転手がり込んでくるでもなく、常の様子に戻っている。今までが全て、そうだったように。


「ええ。つまり、危ない事故にならない程度に飛び出してる、といいますか」

「いいますか~、で済むか。それ以前に、まず『信・号・を・守・れ』! 初等部どころかようねんで習うことだろうが!」


 この、全く以てじようしき的な主張に返されるのは、


「でも」


 という言葉。


「拾わなきゃ、車に踏みつぶされてましたよ……はい」


 カナエは、今の今までしっかり握りめていたてのひらを開き、差し出した。

 おうだん歩道の前でポケットからこぼれ落ちた物、カナエによって拾い上げられたを、手梓たずさにらむだけで受け取らない。代わりに、いまだ座り込んでいる少年を問い詰める。


「潰されずに済んだかも知れないだろう。道に飛び出してまで拾わなくても──」

「いえ、こなごなになってましたよ」


 カナエはこうべんというほどの強さではなく、事実として平然と答えていた。受け取ってもらえそうにないを、なくさないよう落とさないよう、もう一度強く握り直す。

 少年のさまに、自分の方こそが抗弁を封じられた気分になった手梓は、同時に自分が、あんしていることにも気付かされて、押しだまった……押し黙らされた。

 そのすきを、ようやくの取り付く島と見たが、テテッとけ寄る。


「カナちゃん」


 消え入りそうな声をかけて、少年を助け起こさんと、せいふくの肩を指先だけでつかむ。力が全く足りていないので、せいいつぱいに引っ張る姿すがたは、すがりついているようにも見えた。

 その手を取り返して、カナエは身軽に、自力で立つ。


だいじよう、なんともないよ、摩芙」

ひざとか、こすってるよ」

「水かけてぬぐえば分からない程度だよ」


 平然と言いながら、服を払った。