摩芙も、カナエの陰からペコリとお辞儀をした。
「まあ、そりゃそうだが……」
手梓は曖昧に返しつつ、丸めた書類らしきものを手先で弄ぶ。
「二人の方が良かったですか?」
カナエに明け透けに問われて、手梓は気まずそうに眉を顰め、さらには頰を赤らめた。
そのらしくない様に反応した摩芙が、カナエの袖を摑む手に、より力を込める。遂には、
「う~」
と子猫のように唸って威嚇し始めた。
どう受け取られたかに気付いた手梓は、手を振って弁解する。
「ち、違う。いや、違わないんだが、そういうのじゃなくてだな。できれば二人だけの方が、その……あまり恥ずかしくなかった、というか」
「うぅ~」
摩芙の唸りが涙声になった。
「だから、そうじゃないんだって!」
「落ち着け、一条」
いい加減見かねた里久が、窮した先輩に助け船を出す。
「もしかして、校舎の点検というのは口実で、俺たちがいては言い難いことを直会に相談したかった、ということでは」
「そう、それだ!」
思わず手梓は、丸めた書類で指していた。
解答が出ても、カナエは能天気に尋ねる。
「なら、教室で言ってくれれば良かったのに」
「だから、あの場じゃ口に出し難かったことだと言っているんだ。我々は帰りますか?」
「ん──」
提案した里久に、手梓は同意しかけて、
(二人だけ先に帰ったら、橘樹先生にもそういう誤解をされないだろうか)
すぐ、外面を取り繕うことを考えていた。そんな自分に覚えた嫌忌、さらには今さら隠すためにグダグダ動くことへの反発から、首を振る。
「──いや、点検もそれ以外も、人手があると助かるのは事実だな。せっかくだから、おまえたちにも手伝ってもらおう」
ただし本題は、里久が察したように、言い難い。
「それで、その相談なんだが……笑わないで、聞いてくれ」
先ほど顔が赤くなったのは、恥ずかしさが理由には違いなかったのだが、それは摩芙が警戒したような、カナエに対するどうこうの感情ではなかった。
「つまり、一緒に、探して欲しいんだ」
「探す?」
鸚鵡返ししたカナエからも、目を逸らす。
理由は、まさに、まったく、らしくないからだった。
「ああ、旧校舎のどこかにあるはずの……『言づて妖精の扉』を」
音になった言葉の、あまりにメルヘンチックな響きに、聞かされた三人はぽかんとなり、口にした手梓は耳まで真っ赤になった。
頰杖を突いて座っていた少女は、微睡みから覚めた。
寝ぼけた顔を、正面の虚空に、ゆっくり振り向ける。
「おや、まさか……」
遅いのか早いのか、ここにいると時間の感覚もない。
それでも、遂に来る者が来たという、喜びがあった。
学院で囁かれている不思議話の一つ──『言づて妖精の扉』。
「あー、その話、聞いたことあります」
点検作業に使う書類を受け取りながら、カナエが言った。
同じく受け取る里久も、顎を引くように頷く。
「たしか……『旧校舎のどこかに、彷徨い歩く扉がある。その向こうに住んでいる妖精に願えば、会えなくなった友達に、言えなかったことを伝えられる』……だったか」
二人とも、あまりにも現実味がなさ過ぎて反応に困っている風だった。
手梓は未だに真っ赤な顔で、最後の一人にも書類を渡しつつぶっきらぼうに言い、
「そうだよ」
受け取った摩芙の方は、真面目な顔で呟く。
「あと、『妖精の機嫌が良ければ、友達に会うこともできる』って……」
幾らかのバリエーションこそあれ、それ以上に詳しい内容も聞かない、ただの噂。古い校舎群のあることから湧いて出た、無数の与太話の一つ。怪談ほどにインパクトもない、大仰な秘密や謎ほどの訴求力もない、せいぜいが『おまじない』程度のそれを、しかし本気で、一緒に探して欲しい、ということらしい。
手梓は書類を渡し終えると、三人に背を向ける。髪の端から赤い耳だけが覗いていた。
「冬の終わり頃、転校していった友達がいたんだ。理由があって、その連絡先は誰にも聞けなくて……でも、どうしてももう一度会って、話がしたくてさ」
与太話と分かってなお懸けている真剣な声色に、カナエは気付いたことを尋ねてみる。
「もしかして、ずっと旧校舎を点検してたってのは」
「まあ、そんなところだ」
手梓は言葉を微妙に濁してから、誤魔化すように手を振った。
「このこと、誰にも言わないでくれよ。どれだけ夢みたいな話してるかって、自分でも分かってるからさ。友達がいなくなって落ち込んでる、ってのも柄じゃないだろうし……」
知らず『周りに頼られる自分』を外から見た形で言いつつ、今さらの確認をする。
「手伝って、くれるか?」
その懸命さを汲み取ったのか、あるいはそうでなくとも同じ反応だったのか、
「離ればなれになった友達と話がしたい、ってことですよね? いいですよ」
まず、カナエが快諾した。相談した側にとっては拍子抜けするような、あるいは頼もしいような、いつでもどうぞ、という気安さで。
他の二人も同じく頷く。
「うん」
「まあ、一条も我々も、先輩には色々お世話になっていますから」
カナエは含みのある友人の発言を聞き流して、もう一度尋ねる。
「それより、先輩」
「ん?」
「その『扉』って、特徴とかあるんでしたっけ。そういうの、詳しくなくて」
手梓は振り向いた。しげしげとカナエの顔を見る。
「……」
「なんです?」
「……いや」
目当ての『扉』は、常識的に考えて、と付けるまでもなく信じる方がどうかしている噂、与太話でしかない。それが分かっていたからこそ、彼女は思いもよらないことをするカナエの手を借りたのである。馬鹿にされることも覚悟した上で事情を話し、とにかく点検作業を一緒に行ってもらい、その中で探し当てるための糸口だけでも摑みたい──程度の考えだった。
(なのに、まさか、ここまでまともに取り合ってくれるなんて)
奇特な三人に対して、手梓は戸惑い以上の心苦しさを覚えずにはいられない。
(にしても)
とりわけ奇特な、直会カナエという少年を見つめる。
お人好しが仕方なく付き合っている様子は見えない(カナエに付き合っている二人の方はこれである)。といって、考えなしに引き受けている軽薄さも感じられない。どころか逆に『他人には根拠の窺い知れない確信から来る、平然たる即答』に見え、感じられる。
それこそ、根拠のない錯覚かもしれなかった。
が、それでも手梓は、告げておきたくなった。
「階段脇の壁に、傾いた形で現れる、真っ白い木の扉──」
ちゃんとした情報を。ただし、
「──だ、そうだ」
まるで自分の方こそが信じていない、と言い訳するかのような、曖昧な言葉を付け加えて。
カナエは、それら揺れる内心には気を払わず、やはり平然と返した。
「分かりました」
続いて里久が、こっちは現実の作業の方を、淡々と確認する。
「ところで、校舎の点検って、どうやればいいんですか」
「ん、ああ」
これも外面を取り繕う性格の一部なのか、と手梓は自覚しながら、しっかりした問いに、しっかりした答えを返し、
「大人数は初めてだから、そうだな……」
その陰で心を平静に戻してゆく。
「まず一階分を皆で手分けして点検して、次の階に移るときに階段を皆でくまなく探す、ってやり方でいこう」
「分かりました。その点検というのは、素人が見て分かるものですか」
里久が頷き、さらに作業の要点を尋ね直した。彼は、この作業を校舎の点検以上には考えていないらしい(まあ、それが当然の反応なのだが)。
手梓も触発されるように常の貫禄を取り戻し、てきぱきと指示してゆく。
「古い木造だし、雨漏りや酷い傷みは、見れば分かる。ガラス窓は穴じゃなく皹程度なら報告しなくてもいい。鍵は入り口以外全部開いてるはずだけど、もし閉まってる所があったら、用紙にメモしておいて。それ以外にメモするときも、表札にある教室番号の記入を忘れるなよ」
「りょーかいです」