カナエが言って、ようやっと四人は、まず点検、のち探索の作業に取りかかった。
この木造校舎は、一直線の廊下、連なる教室、左端に階段、という単純な作りである(昔の建物では厠は別棟が常らしい)。天井から吊り下がる黒い傘には電球すら入っていないが、カーテンのない窓から差し込む午後の陽光だけでも、目視点検には十分な明るさがあった。
一人一教室ずつ順番に入って、点検は滞りなく進んでゆく。
「面白そうなものは見当たらないな。というか、黒板までないんだ」
「先輩の落ち度になるから、点検の方もサボるなよ」
どこか見物気分なカナエを、里久が注意し、
「こっち、なにもなかったよ」
「木造ってのは意外にしっかりしてるからな」
真面目に頑張る摩芙、手慣れた様子の手梓が、未記入の書類を手に出てくる。
実際、十年単位で放置されていたにしては、校舎の傷みは少ない。普段の学校生活で見ることのない、空っぽの教室という光景は、彼らに意外な開放感と爽快感を与えていた。
廊下の端まで点検し終わると、手梓はいよいよと三人を促す。
「じゃあ、階段に取りかかろうか」
彼女にとっての本番、二階までの階段ホールを、四人がかりで壁から床から裏側から、上りつつ探して回る……が、やはりこちらも同じく、なにも見つからない。もっとも、いきなり成果が──『扉』そのものでないにせよ、なにか変わった物が──あるとは誰も思っていなかった。始まったばかりで飽きが来ていないこともあり、特に不満も湧かない。
そんな四人が、二階でも同様の作業を終えて上がった三階で、いきなり出くわす。
「あれ?」
カナエが戸惑いの声を漏らし、違和感を共にした里久が再び降りて、下と眺めを見比べた。
「三階の方が、広くなってるな」
「……?」
目にしたものの意味が吞み込めない摩芙も、小首を傾げる。
三階、階段ホールの奥行きだけが、見間違いや誤差の範囲を明らかに超えるほど、増していた。二階にはなかったはずの奥行きと、先で折れ曲がる通路まで見えている。他の部分が全く同じな分、違和感はより大きく感じられた。
三人は、もしかして早々に不思議の一角を探し当てたのか、という期待を込めて依頼人を見たが、その手梓は動じた様子もなく、苦笑して肩を竦める。
「残念だけど、学院じゃ良くある形式だな」
説明の意味が分からない三人に、広がっている奥を指さして見せる。
「校舎裏が切り立った斜面で、三階部分がその斜面の上に張り出してるんだよ。たぶん、この通路の先は、別の校舎に繫がってるはずだ」
その推測通り、校舎は低い崖を背にして建っており、階段ホールだけが奥側に廊下を張り出させていた。この部分は後付けで、学院の無計画な校舎増設の典型と言える様式である。手梓は数ヶ月の点検と探索で、似たような場所を上下双方から辿ったことがあるのだった。
「ふぅむ……」
発見の瞬間、自分でも予想外なほど興奮していたことに、里久は自嘲の溜め息を漏らし、
「なんだ。せっかく、それっぽい手がかりを摑んだと思ったのに」
逆に、真剣かつ大いに残念がるカナエを、摩芙が辿々しくも必死に慰める。
「カナちゃん、これから見つかるよ、きっと」
「ん、ありがと」
その肩を軽く叩くと、カナエは不思議の名残を惜しむように、奥へと歩み入った。
なるほど手梓の言う通り、階段ホールがそのまま廊下として、長く延びている。いかにも後付けらしく、増築した部分からは床も壁も年季の度合いが違って見えた。
階段の袂に残っていた里久が、傍らに尋ねる。
「先輩、あっちの奥もやるんですか?」
「そうだな、とりあえず鍵が開いていれば足を伸ばすことになるけど……」
少し考えた手梓は、カナエに何らかの糸口を発見してもらう、という本来の目的に鑑みて、まったく常識的な判断を下した。二人に言い置いて、奥に向かう。
「私たちで先に、奥を確かめてこよう。そっちは一条と、三階の教室の点検を頼む」
「分かりました」
「あっ……」
その常識的な判断を許容できる里久と、できない摩芙が、後に残された。
「どうせなにもないし、できないさ。行こう」
「うぅ~」
悠々と促し、唸って渋々、取りかかる二人を背に、カナエと手梓は廊下の角を曲がる。
「ここにも下り階段が」
「斜面上の高さに合わせてるんだろう」
なんということもない言葉を交わして、奥に進む。渡り廊下の窓から手梓の言った通り、一段上の崖に二階建ての別校舎が見えてきた。十メートルも歩かない内に廊下は終わり、新たな入り口、今度は洋式の一枚扉が前に現れる。
カナエは、くすんだ黄銅のノブをひねって確かめてみた。
「あ、開きますよ」
「こっちも初めて見る校舎だな……今日中にやるのは無理そうだ。もう日も傾いてきたし、向こうの三階を調べたら、今日は引き上げよう」
中を覗きながら言った手梓は、少年の怪訝な顔に気付き、笑って説明する。
「ほら、ここ電気が点かないからさ」
「ああ」
言われて気付いたカナエは天井、電球の入っていない電灯傘を見上げた。
夜は明かりが点いて当然、と彼が思っていたことを、手梓は馬鹿にしない。先の笑いは、自分もそうだった、と思い出したからである。
「私も一度、それに気付かなくて、携帯の明かりを頼りに帰る羽目になったことがあってさ。電源切れになるならないでヒヤヒヤしたよ」
そのせいで、以前は緩かった旧校舎への立ち入りが、教員立ち会い必須になった、という裏事情は伏せておく。人のことをとやかく言えた立場じゃないな、と笑いに苦さが混じった。
カナエの方は、扉を閉め直し、気軽に笑い返す。
「外の天気によっては遭難ですね」
学院の校舎は斜面を覆う鬱蒼とした森の中にあるので、これはあながち冗談でもない……のだが、そんなことよりも手梓は、彼のいつもの気軽さに、続きを、ふと待っていた。
「……」
「なんです?」
「……いや。とりあえず、こっちは後回しだ」
なにかリアクションが欲しかった、ということなのか。自分の妙な行為と、僅かな残念さが胸中に湧いたことへの焦りを隠すため、手梓は踵を返した。
二人は渡り廊下を戻ってゆく。
「おまえや桧原なら、そうなってもなんとかするだろうな。危ないのは一条くらいか」
「そのときは助けますよ、ちゃんと」
飄々と言ってのける姿が、実に様になっていて小憎らしい。
「まず学院の方に一報入れてからにしろよ」
皮肉っぽく返した──これにもリアクションは、少なくとも表面上はなかった──手梓は、カナエと摩芙の、共にいて当然という光景を思い浮かべた。余人のない状況も手伝って、ふと湧いた疑問を投げかけてみる。
「そういえば、一条とはいつも一緒だな。なにか理由があるのか」
「まあ、色々と事情が。大事な妹ですよ」
のようなもの、とすら付けない。
色々な事情とやらを詳しく訊き直すより、そっちの方が気になった手梓は、
(こいつ相手だと、通じてるかどうかすら分からないんじゃないか?)
健気に付いて回っている少女のことが、少し気の毒になった。
椅子に深々と腰掛けたそれは、脈動を感じ取った。
掠れるほどに小さな、始まりの一打ちを、確かに。
「 …… 」
顎を微か上げることで、下僕を膝下へと呼び寄せ、
同時に自らが外に伸ばした手の先に、感覚をやる。
三階教室を調べている他方、二つ目の点検を終えた里久が、廊下に現れた。
(直会じゃないが、そうそう変わったものは見つからないな)
思いつつ、廊下の奥、階段ホールの方を、軽く見やって確認する。
(まだ二人は戻っていない、か)
そこから意識が、当初より抱いていた思案に流れた。
(どうも、先輩の話は妙だな)
彼は常識的な人間として『扉』が実在するとは思っていないので、この思案は、疑惑ではない。山辺手梓に対する常の信用を基底とした、不審だった。