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レオは草っぱらの上で大の字になっていた。
空は薄紫。一つ、二つと、星が瞬きはじめている。
(死ぬのか)
とレオは思った。
(ぼくは死ぬのか)
ほどなくして陽が沈む。この時期、夜の山中は信じられないくらいに冷え込むと聞いた。レオにはまだこの土地の冬は経験がない。
そもそものきっかけは、ウォルターとジャックの兄弟だ。
「狩りに出かけるぞ」
と、早朝、突然ウォルターの大きな手で叩き起こされた。
「さっさと準備しろ。アトールの奴らはいちいち動きが鈍い」
ジャックの金切り声があとにつづいた。
わけもわからないまま着替えさせられ、弓矢を手に押しつけられた。
「アリオンの獣はおまえなんかよりよっぽどすばやくて、そして鼻が利くんだ。ごてごて着込んでたらこっちの匂いがばれちまうからな」
などと薄手の格好で外に連れ出された。その割に、当の兄弟はきちんと防寒の装備をしていたのだから、最初からこのつもりだったのはまちがいない。
三人、馬に跨った。アングラット家の居館から北へと飛ばす。道中、
「いいか」とウォルターがしかつめらしくいった。「おまえの国アトールじゃどうだったか知らないが、アリオン王国では、鹿の一匹もしとめられないような軟弱者なんかじゃ家を継げないし、そもそも男としてだって認められないんだ」
「もちろん銃なんかじゃ駄目だぞ。男らしく弓でいくんだ」弟のジャックがあとを継いで、「つまりおまえは、このアリオンじゃまだ男じゃない、ただの人間ですらないってことさ。おまえももう十一だろ。尊い血を受け継ぐ男を証明してみせろ。特別にこの弓を使わせてやる。これは、おれがおまえより二つも歳下のときに猪をしとめた特別製で……」
噓だろう、とはレオにもわかっていた。
こんな風習はいかにもアリオンらしくない。そもそも、二人は事あるごとに、
「アリオンでは」
と誇らしげに王国の名を口にするのだが、二人は別段アリオンの王族でも貴族でもない。対するレオ・アッティールはまぎれもなくアトール公国を治める現公王の息子である。もっともそれを口にしたとて、
「ほう、そうか、そうかよ。なら、そのお偉い公子さまの力を存分に見せつけてはいただけませんかね」
口の端をひん曲げつつ薄笑いを浮かべるウォルター、「そうだそうだ」とすかさず同調するジャックの顔が目に浮かぶようだった。だからレオは抗弁しなかった。黙ったまま二人につづいて山中に入った。川沿いに一時間ばかり馬を進めたのち、すっかり葉の落ちた木々に馬をつないで、さらに徒歩で一時間以上登った。
「よし、絶好の狩り場だ」
ウォルターが足を止めたとき、すでにレオは汗みずくだった。息も荒い。それを「アトールの男はだらしない」とジャックが嘲笑ったが、そもそも彼はレオより三つ、ウォルターにいたっては五つも歳上なのだから、公正な評価とはいいがたい。
「ここは見晴らしがいい。おれたちがすぐに獲物を追い込んでやるから、おまえはこの茂みのなかに伏せていろ」
「弓を手放すなよ。息も殺して、じっとしているんだ」
「獲物が来たなら一発でしとめるんだぞ。敵兵の首を狩るみたいにな」
二人は代わる代わるいうと、レオを置き去りにして、さっさとその場から消えてしまった。
いわれたとおり、レオは茂みのなかに身を伏せていた。何度か弓の弦を引いた。大人たちが狩りやいくさに使うものよりいくらか小ぶりではあるものの、レオの細腕では三分の一も引けない。これでいったいウサギの一羽もしとめられるのかどうか不安になるほどだ。
が、それもすぐに杞憂だとわかった。
半時間、いや十分も待つ必要はなかった。二人の姿が見えなくなり、足音が消えて、あとは時折風が枝を揺らす音、鳥たちの鳴き声だけが聞こえてくる頃合になって、すぐに、
(ああ、やっぱり噓か)
とレオにはわかった。兄弟が獲物を追いまわしているような気配はまるで伝わってこない。最初から狩りなどするつもりもなかったのだろう。賭けてもいいが、あの林につながれていた馬たちは、レオのぶんも含めて三頭揃って消えているはずだ。
レオは、それでももうしばらくは身を伏せたままにしていた。このまま急いでアングラットの館に戻ったとて、アングラット家の兄弟は、
「やあ、遅かったな」
「狩りに夢中になるのもいいけど、張りきりすぎるなよ」
などと素知らぬ顔をするに決まっている。裏でこっそり舌を出して嘲笑いながら。
だから、レオは動かなかった。猪とはいわない、小鹿ともいわない。偶然、鳥の一羽か二羽、目の前に舞い降りてきさえすれば。あるいは冬眠に遅れたのろまなリスでもいい。それを手土産にぶらさげて帰れば、誰も表立ってレオを馬鹿にはできないはずだ。
(ああ、でも気をつけないと。あの、羽の先が緑色をした鳥は、フロリーが大好きなんだ。死骸なんて持ち帰ったら、きっと別の意味で大騒ぎになる)
レオは、自分より一つ歳下の少女がわっと泣き伏せる光景を想像した。そのときばかりは口もとに苦笑いめいたものが浮かんだ。根を詰めるつもりで、改めて視線を前に向ける。
が──、結局、それも一時間とつづかなかった。とっくに汗は引いている。冷えた風にむしろ体温を奪われていた。レオは立ちあがって衣服についた土や草を払った。
「帰ろう」
と誰にともなく口にした。あくまでも自分の意志で帰るのだと、おのれにいい聞かせたのかもしれない。
無駄だと知りつつも、馬をつないでいた場所へ戻った。
いや、戻ろうとして、できなかった。あの場所から一時間以上登ってきたとはいえ、ほとんどまっすぐの道を歩いてきたはずだ。戻るのはたやすいと思われたのだが、足を運べば運ぶほど、見慣れない景色がレオを取り囲むばかり。
(おかしい)
さすがに焦った。自分がまるで見当ちがいの場所を下っているのではないかと不安になって、来た道を戻ろうとした。振り向いた拍子に足をひねった。レオの小柄な身体がごろごろと坂道を転がった。大小の石が背中や胸にめり込み、木々の枝が手足を傷つけた。
転がり落ちた先で、夕刻の光がレオの顔を染めた。
やや開けた場所になっている。レオは大の字に寝そべった格好のまま、動かなくなった。というより、動く気力がなくなった。
見あげる空はあきれるほどに広い。先ほど、
(帰ろう)
と口にした自分がとてつもない馬鹿者に思えてきた。帰る? いったいどこへ?
アングラット家の館か。むざむざ人質の役目をつづけるために?
それとも、この山を延々と北東へ越えて、故国アトールの土を踏むか。レオはその思いつきに頰を震わせて笑った。いま、来た道を戻ることさえできない自分なのに!
第一、戻ったところで、歓迎などされないのはわかりきっている。自分は人質の身だ。アトールとアリオン、両国友好の証に──、といえば聞こえはいいが、要するにこれは強大なアリオンに逆らったアトールへの戒めであり、懲罰である。
レオが故国を離れ、アリオン東部に足を踏み入れたのはわずか二か月前。
クロード・アングラットという名の将軍がレオの身柄を預かることとなった。先の戦いで功績をあげ、城持ちになったばかりの将軍という話だった。それも、歴史の長いアリオンには珍しく、一兵卒からなりあがったという噂の男である。
その日から、レオの住まいはクロード将軍の居館になった。アリオンの習慣に従って暮らし、アリオンの食べ物を口にして、アリオンの学問を学んだ。二か月になるものの、実はまだレオはクロード将軍本人には会っていない。はるか西にあるアリオン国首都に出向しているのだという。