レオ・アッティール伝I 首なし公の肖像

一章 レオ公子 ①

       1


 レオは草っぱらの上で大の字になっていた。

 空はうすむらさき。一つ、二つと、星がまたたきはじめている。


(死ぬのか)


 とレオは思った。


(ぼくは死ぬのか)


 ほどなくしてしずむ。この時期、夜の山中は信じられないくらいに冷え込むと聞いた。レオにはまだこの土地の冬は経験がない。

 そもそものきっかけは、ウォルターとジャックの兄弟だ。


りに出かけるぞ」


 と、早朝、とつぜんウォルターの大きな手でたたき起こされた。


「さっさと準備しろ。アトールのやつらはいちいち動きがにぶい」


 ジャックのかなごえがあとにつづいた。

 わけもわからないままえさせられ、弓矢を手に押しつけられた。


「アリオンのけものはおまえなんかよりよっぽどすばやくて、そして鼻がくんだ。ごてごて着込んでたらこっちのにおいがばれちまうからな」


 などとうすの格好で外に連れ出された。その割に、当の兄弟はきちんと防寒の装備をしていたのだから、最初からだったのはまちがいない。

 三人、馬にまたがった。アングラット家のきよかんから北へと飛ばす。道中、


「いいか」とウォルターがしかつめらしくいった。「おまえの国アトールじゃどうだったか知らないが、アリオン王国では、鹿しかの一ぴきもしとめられないようななんじやく者なんかじゃ家をげないし、そもそも男としてだって認められないんだ」

「もちろんじゆうなんかじゃだぞ。男らしく弓でいくんだ」弟のジャックがあとを継いで、「つまりおまえは、このアリオンじゃまだ男じゃない、ただの人間ですらないってことさ。おまえももう十一だろ。尊い血を受け継ぐ男を証明してみせろ。特別にこの弓を使わせてやる。これは、おれがおまえより二つもとししたのときにいのししをしとめた特別製で……」


 うそだろう、とはレオにもわかっていた。

 こんな風習はいかにもアリオンらしくない。そもそも、二人は事あるごとに、


「アリオンでは」


 とほこらしげに王国の名を口にするのだが、二人は別段アリオンの王族でも貴族でもない。対するレオ・アッティールはまぎれもなくアトール公国を治める現公王の息子むすこである。もっともそれを口にしたとて、


「ほう、そうか、そうかよ。なら、そのおえらい公子さまの力を存分に見せつけてはいただけませんかね」


 口のはしをひん曲げつつうすわらいを浮かべるウォルター、「そうだそうだ」とすかさず同調するジャックの顔が目に浮かぶようだった。だからレオはこうべんしなかった。だまったまま二人につづいて山中に入った。川沿いに一時間ばかり馬を進めたのち、すっかり葉の落ちた木々に馬をつないで、さらに徒歩で一時間以上登った。


「よし、絶好のだ」


 ウォルターが足を止めたとき、すでにレオはあせみずくだった。息もあらい。それを「アトールの男はだらしない」とジャックがあざわらったが、そもそも彼はレオより三つ、ウォルターにいたっては五つもとしうえなのだから、公正な評価とはいいがたい。


「ここは見晴らしがいい。おれたちがすぐにものを追い込んでやるから、おまえはこのしげみのなかにせていろ」

「弓を手放すなよ。息も殺して、じっとしているんだ」

「獲物が来たなら一発でしとめるんだぞ。敵兵の首を狩るみたいにな」


 二人は代わる代わるいうと、レオを置き去りにして、さっさとその場から消えてしまった。

 いわれたとおり、レオは茂みのなかに身を伏せていた。何度か弓のげんを引いた。大人たちが狩りやいくさに使うものよりいくらか小ぶりではあるものの、レオのほそうででは三分の一も引けない。これでいったいウサギの一羽もしとめられるのかどうか不安になるほどだ。

 が、それもすぐにゆうだとわかった。

 半時間、いや十分も待つ必要はなかった。二人の姿が見えなくなり、足音が消えて、あとは時折風が枝をらす音、鳥たちの鳴き声だけが聞こえてくるころあいになって、すぐに、


(ああ、やっぱりうそか)


 とレオにはわかった。兄弟が獲物を追いまわしているような気配はまるで伝わってこない。最初から狩りなどするつもりもなかったのだろう。けてもいいが、あの林につながれていた馬たちは、レオのぶんもふくめて三頭そろって消えているはずだ。

 レオは、それでももうしばらくは身を伏せたままにしていた。このまま急いでアングラットのやかたもどったとて、アングラット家の兄弟は、


「やあ、おそかったな」

「狩りに夢中になるのもいいけど、張りきりすぎるなよ」


 などと素知らぬ顔をするに決まっている。裏でこっそり舌を出して嘲笑いながら。

 だから、レオは動かなかった。いのししとはいわない、鹿じかともいわない。ぐうぜん、鳥の一羽か二羽、目の前にい降りてきさえすれば。あるいはとうみんおくれたのろまなリスでもいい。それを土産みやげにぶらさげて帰れば、だれも表立ってレオを鹿にはできないはずだ。


(ああ、でも気をつけないと。あの、羽の先が緑色をした鳥は、フロリーが大好きなんだ。がいなんて持ち帰ったら、きっと別の意味でおおさわぎになる)


 レオは、自分より一つとししたの少女がわっと泣きせる光景を想像した。そのときばかりは口もとに苦笑いめいたものが浮かんだ。こんめるつもりで、改めて視線を前に向ける。

 が──、結局、それも一時間とつづかなかった。とっくにあせは引いている。冷えた風にむしろ体温をうばわれていた。レオは立ちあがって衣服についた土や草をはらった。


「帰ろう」


 とだれにともなく口にした。あくまでも自分の意志で帰るのだと、おのれにいい聞かせたのかもしれない。

 だと知りつつも、馬をつないでいた場所へもどった。

 いや、戻ろうとして、できなかった。あの場所から一時間以上登ってきたとはいえ、ほとんどまっすぐの道を歩いてきたはずだ。戻るのはたやすいと思われたのだが、足を運べば運ぶほど、見慣れない景色がレオを取り囲むばかり。


(おかしい)


 さすがにあせった。自分がまるで見当ちがいの場所を下っているのではないかと不安になって、来た道を戻ろうとした。り向いたひように足をひねった。レオのがら身体からだがごろごろと坂道を転がった。大小の石が背中や胸にめり込み、木々の枝が手足を傷つけた。

 転がり落ちた先で、夕刻の光がレオの顔を染めた。

 やや開けた場所になっている。レオは大の字にそべった格好のまま、動かなくなった。というより、動く気力がなくなった。

 見あげる空はあきれるほどに広い。先ほど、


(帰ろう)


 と口にした自分がとてつもない馬鹿者に思えてきた。帰る? いったいどこへ?

 アングラット家のやかたか。むざむざ人質の役目をつづけるために?

 それとも、この山を延々と北東へえて、故国アトールの土をむか。レオはその思いつきにほおふるわせて笑った。いま、来た道を戻ることさえできない自分なのに!

 第一、戻ったところで、かんげいなどされないのはわかりきっている。自分は人質の身だ。アトールとアリオン、両国友好のあかしに──、といえば聞こえはいいが、要するにこれは強大なアリオンに逆らったアトールへのいましめであり、ちようばつである。

 レオが故国をはなれ、アリオン東部に足を踏み入れたのはわずか二か月前。

 クロード・アングラットという名の将軍がレオのがらを預かることとなった。先の戦いで功績をあげ、城持ちになったばかりの将軍という話だった。それも、歴史の長いアリオンにはめずらしく、いつぺいそつからなりあがったといううわさの男である。

 その日から、レオの住まいはクロード将軍のきよかんになった。アリオンの習慣に従って暮らし、アリオンの食べ物を口にして、アリオンの学問を学んだ。二か月になるものの、実はまだレオはクロード将軍本人には会っていない。はるか西にあるアリオン国首都に出向しているのだという。