ジャックとウォルターは将軍の息子だ。他国から突然やってきた『貴人』に、最初のうちこそ兄弟はどう接すればよいものやら当惑していた。どのような年代、境遇にあっても、男というのは見知らぬ相手に対して警戒を抱いて、牽制をしあい、取るべき態度を測るものである。そして歳が若いほどにその期間は短い。二人の兄弟もほどなくして態度を決めた。
(公子さまといったって、要は、弱い国が強いアリオンに差し出した人質だ)
そんな風にレオを軽んじる空気が形成されたのである。
レオ・アッティールは十一歳だった。小さな弟として可愛がるには歳がいっていたし、友人にするには幼すぎた。なにより、態度が可愛くない。常に仏頂面で、一人、もの思いに沈んでいた。
クロードにはもう一人子供があって、末っ子に当たるのがフロリーだ。こちらには男同士の警戒や牽制もない。無邪気に、
「もうひとりお兄さまができた」
と喜んだ。
広間での夕食の際など、母の制止も無視して、なるだけレオの近くに椅子を引きずっていっては、アトール公国の話などをせがんだ。
それを、レオは無視まではしないものの、ほとんどそう取られてもおかしくない態度を取る。
なにを聞かれても、
「さあ、どうだったろう、ぼくにはわからない」
「忘れてしまった、今度思い出しておくよ」
つれない返事しかしない。フロリーの大きな目が悲しみに沈むと、二人の兄弟はいまにも席を立ってレオに跳びかからんばかりの形相を見せた。
「そこまでにしなさい、フロリー。公子はまだいらっしゃったばかりでアリオンの空気にも慣れておられないのよ」
フロリーたちの母、すなわちクロードの妻エレンが、こういう場においては兄弟たちの制止役をつとめたが、彼女のいない、勉強や武芸鍛錬の場となると、レオは格好の標的にされた。クロードは、東の国境付近にあるコンスコン寺院から僧を一人招いて息子たちの教育係につけていたが、この僧侶の質問にレオが答えられずにいると、
「アトールの蛮人はろくにものを知らない」
とあからさまに蔑んだし、剣や組み手の鍛錬となると、もうこれは教官役が身体を張って止めねば生傷どころか、毎回骨の一本でも折れていたろうというくらいに激しく当たってくる。
大体レオは、アリオンでの学問にも、武芸の稽古にも、最初から身が入っていなかった。自分はただ命を長らえていればいい。人質は存在そのものにのみ価値があるのであり、そしていま現在のレオには人質としての価値しかない──。
(そんな自分が)
いま、はるばるアリオンを離れて故国の土を踏みしめたところで、いったい誰が喜んで迎え入れてくれるだろう。戦争で傷ついた兵士や、領民たち、家族である公王家ですら、誰一人歓迎はしてくれまい。特に、母親などはあの優しげな容貌を一変させて、まるで敵でも見るような目で彼を見つめ、ふっくらした唇から矢のように鋭い弾劾を吐くのではないか。
「嫌です」
あのときと同じように。
「まだ八つの子にそのような。この子はことさら身体も弱い。アリオンに出すなら、レオにすればよいではありませんか」
レオは寝そべりながらも唇の端を強く嚙んでいた。
暗がりが深くなるにつれて、背中に当たっていた地面が冷えかたまってきている。自分の体温がじわじわと土に染み込んでいくかのようだった。
(このまま陽が沈めば──)
死ぬだろう。
身体のあたたかみがいよいよ土のなかに消えるのが先か、獲物の乏しくなった山をうろつく獣に生肉の臭いを嗅ぎつけられて、頭から嚙み砕かれるのが先か。
そう考えた瞬間、レオはこの身が早くも粉々になって、初冬の風にさらわれるまま、いま見あげている空隅々にまで放射されていくかのような、そんな奇怪な心地よさを覚えた。
どうせ戻る場所もなく、誰にも必要とされないそんな命なら、いっそそうなってしまえ。まだ見ぬ将軍も、その将軍の子たちもさぞあわてふためくだろう。レオがいかに取るに足らぬ存在であろうとも、一応は他国から預かった客人の身である。せっかくなりあがったという将軍もお気の毒さまだ。責任を取らされ、土地や城を奪われるのではないか。レオは微笑んだ。もともと目鼻立ちが繊細なつくりをしているだけに、無欲な笑みを浮かべた様は童女のようにも見える。
(アトールでは)
どうなるだろう、と想像しかけたとき、レオはせっかくの幸せな妄想が馬蹄のひびきに打ち砕かれるのを感じた。
ウォルターたちが戻ってきたのかと思ったが、カチャカチャと金具の鳴る音がする。腰に剣。軽甲冑も身につけているだろう、とレオはそちらを見もせずに想像した。おそらくクロード将軍に仕えている兵だ。レオが長いこと戻らぬとあって捜索に来たのだ。馬が軽く鼻息を洩らして立ち止まった。レオの目がはじめてそちらへと吸い寄せられる。
瞬間、ぎょっとなった。馬上にあってレオを睥睨しているのは見慣れない男だった。軽甲冑に剣という出で立ちは想像したとおり。身体つきはがっしりとしていて大きい。皮膚は陽焼けして浅黒く、まるで風雨にさらされたなめし革のような印象がある。長いこと剃刀を顔に当てていないのか髭だらけで、目はぎょろりとして大きかった。
2
兵というより、これは山賊だ。
まさか、と一瞬レオは思った。この辺りはアリオンに切り取られたばかりの領地とはいえ、だからこそクロード将軍は一帯をもらい受けた直後、平定のためにいそがしく駆けずりまわったという。山深い土地であるゆえ、山賊、夜盗の類がまぎれ込むことも多かったが、クロードは彼らに嫌というほど剣と鉛弾の感触を味わわせた。そんな武勇伝の数多くはほかならぬアングラット家で耳にしたものだ。
そのアングラット家のお膝元ともいえるこの地で山賊に出会うはずは──、と心身が痺れたような面持ちで馬上の男を眺めていると、
「口が利けぬか、小僧」出し抜けに男はいい放った。「こちらは人を捜しておる。レオ・アッティールという高貴なお方だ。いますぐアングラットの館へ連れ戻す重要な任を帯びているのだが、小僧、心当たりはないか」
「ぼ、ぼく。ぼくが、レオ・アッティールです」
レオは応えていた。ここで素知らぬ顔をすることもできたのに、男から放たれる野生じみた気迫に吞まれたかのようだった。すると、
「おお、左様であったか。これは無礼を働いた。おれが来たからにはもう安心だ。こちらへ」
馬から飛び降りながら男は相好を崩した。山賊まがいの容貌が一転し、実に人懐こい笑顔になる。釣られるようにしてレオは立ちあがり、彼の助けを得て鞍へと這いあがった。
男自身もふたたび鐙に足をかける。レオは彼の腰にしがみつく格好となった。
「ではいくぞ」
見かけからはとてもそうは思えないが、やはり彼はアングラット家の抱える兵なのだろう。辺りの地形も知りつくしていると見えて、迷いのない手綱さばきで馬を進めていく。
しばし無言。川のせせらぎが聞こえてきたころになって、
「しかし肝が据わっておられるな」男はまた出し抜けに口を利いた。「この時期、この山にて、子供一人で夜を明かそうとは、土地の者でも信じられぬ行為だ」
「そうしたくて、したのじゃありません」
「ほう。その割に、おれが見つけたときも焦っておられる様子はなかった」
「下手に歩きまわるより、じっとその場に留まっていたほうが、助けに来てくれる人たちを迷わせずに済むと思ったのです」