レオ・アッティール伝I 首なし公の肖像

一章 レオ公子 ③

「なるほど、さすがはアッティール公家のごそく。……といいたいが、おれの見立てでは、ちがうな。空をあおいでほほんでいたそなたは、まるでじゆんきようの旅においてようやく聖地を見つけたそうりよのようであったよ。そなた、死ぬつもりであったか」


 レオはだまりこくった。ややあってから、山賊めいた男は質問を変えた。


「おれなど、どれほどとしおうと、いかなる戦地を経験しようと、死ぬのがこわくなるばかりだよ。そなたはどうだ、死が恐ろしくはないのか」

「恐ろしくなどありません」


 周囲がかげった。辺りは木々が密集しているため、夕暮れの光も届かない。右手がわから聞こえる川の音が大きくなってきた。男は軽く鼻を鳴らした。


「戦場においてならその言葉もたのもしく聞こえようが。しかしここは異国の山中。アトールの公子ともあろうお方が、山のけものに喰われる、もしくは置き去りにされたままこごえ死にしたのでは、さぞ大勢の者どもがなげき悲しもう」

「ぼくが死んで、だれが悲しむというのです」レオは馬上で小さく笑った。「ぼくには兄がおります。そして──弟も」


 レオは『弟』と口にするときいったん笑うのをやめたが、またすぐにしのわらいをして、


「両親も、公王家の存続を願う人たちも、だからぼく一人が死んだところで悲しみはしないでしょう。ぼくにはアッティールのせいさえ意味をなさない。それは、ぼく個人の死など、そのほかの人々にとってなんの意味もないのと同じことです」


 しゆんかん、馬がさおちになった。男がとつぜんづなを引きしぼったのだ。さらには男がこしをひねったために、つかんでいたレオの手がするりとけて、背中から落馬してしまった。激痛に声もない。今度こそ山賊のたぐいがあらわれて、それで男が臨戦態勢を取ったのかとも思ったが、


「ならば死ね」


 と彼はうめいているレオめがけていった。


「おれがわざわざ山にわけ入って来たのは、アッティール家の公子をお救いするためだ。姓もなく、命さえ捨てたぞうのためなどではないわ。そんな小僧のために、だれが危険をおかしてまでそうさくしようなどとするものか。死にたいのならどこへなりといって死ぬがいい」

「なん、だと」


 レオの頭に火のかたまりが落ちたようだった。いくら人質の身とはいえ、このようなあつかいを受けるいわれなどない。レオは背中の痛みも忘れて、なみだがうっすらにじんだ目で男をにらみあげた。と、男は馬のわきばらりをくれた。走り出す。


「ま、待てっ」


 レオは遠ざかる馬のしりを追いかけた。頭に宿った火のごとき熱が、本人にも理解できないほどに激しい感情を次から次へ生み落としつづけている。


「死ね、だと。ぼくはアトール公子だぞ。おまえに命じられる覚えなんてない。もどってこい!」

「その名に意味などない、とそなた自身がいったのだ。おれも、命を捨てた死人に命令される立場ではないわい」


 待て、と何度もりかえしてレオがあとを追う。男は時折馬を止めては、「おれを追いかけてどうなさる? 無礼ちされるおつもりか」だの、「かい愉快。死人が大口を開けて追ってくるわ」だのといいながら笑う。その、レオは顔を真っ赤にして、息をあえがせながらも速度をあげて、なんとか馬の尻にらいついた。


「おや」と、またも馬の足を止めさせて男が笑う。「動かぬほうがいい。いま左のしげみが動いたぞ。血肉にえたけものが、きばつめを光らせてそなたの命をねらっておる」


 レオもはっと息をんで、身動きを止めた。男が口にしたとおり、左手の茂みがかさかさと音を立ててうごめいた。

 風のせいだ、とは思うものの確証がない。男は馬上でけんを引き抜いて、


「名もなき小僧。このおれがご助勢つかまつろうか」

「必要ない」レオは左手に注意をはらいながらもそろそろと進む。「け、剣を貸せ。ぼくがこの手でやっつけてやる」

「命などしくないといったばかりだというのに、おかしな小僧だ。どのみちおれの武器はおまえにはあつかえないよ。しく死んでみせるがいい」


 男はけんこしもどすと、ふたたび馬をけさせた。レオはあわてた。走ってけものの気を引くのもこわいが、この場にとどまっているのはもっとおそろしい。だから駆け出した。つまるところ、この時点でレオもさとっていた。


「待て、待て待てっ」


 などとさけんで、いかにもいかりに燃えて男を追いかけているように見せかけながら、実際のレオはこのやみのなか、一人ぼっちになることをこの上もなく恐れていた。

 しずむ直前、空をあおいで、「死のうか」などと思っていたのは、結局のところ、いつかは陽だまりのなかにぬくぬくとあたたまっている自分を想定した上でのたわごとに過ぎない。

 レオはひた走った。いつしかなみだがこぼれていた。もはや「待て」ともいわない。息をするのに必死で、声も発せられないのだ。男の背中がだい次第に遠ざかっていく。かろうじて人の形に見えていたかげがやがては闇にまれる。耳に届く馬の足音も遠い。レオは手足を力いっぱい動かした。すると闇の向こうから赤々とした光の列が見えてきた。その光に照らされるようにして人馬の影がふたたび浮きあがってくる。レオは最後の力をしぼって駆けた。

 そこは、山のふもとだった。男はすでに馬足を止めている。レオはその尻にすがりつくような格好でひざをついた。

 赤々とした光の正体もわかった。火をかかげた人々の群れである。アングラット家に仕えている兵やら下男下女、さらには城下の人々やきんりんひやくしようまで駆り出されてか、大勢の男女が火を掲げて山のすそをうろついていた。

 するとそのなかの一人が、に気づいて、大急ぎで駆け寄ってきた。


「クロードさま!」

「おうさ」


 馬上の男がその呼びかけに応じて手を振った。息も絶え絶えだったレオがはっとなるのをよそに、


「アトールの公子はここにおられる」


 と、レオを指して高らかにいう。おお、と地鳴りのような声を発して、人々が集まってきた。


「将軍、お戻りになられたばかりだというのに、お手をわずらわせましたな」

「なんの、そのほうらもご苦労。あとで家の者にいってさかだるを出させよう。昼間、息子むすこたちがりにいってものをしとめてきたようなのでな。それを火であぶってみなで頂くとするか。なあ、ウォルター、ジャック?」


 とつぜん男が大声をあげると、寄り集まっていた火の一角がれ動いた。人々にまぎれてひそんでいたウォルターが一歩進み出てきて、


「も、申しわけありません、父上」早口でいった。「その、狩りにいきはしたのですが……獲物は一ぴきもしとめられず」

「その割に、意気ようようと引きあげてきたと下の者がいっていたがな」

「いえ、それは……あの、面目だいも……」

「よい。城を引っきまわせば適当なつまみがあろう。なにもないとあってはアングラット家の名折れなのでな。とはいえ人数が多いなあ」


 男はそういって人々を笑わせた。

 レオは、ぼうぜんとそのがおを見あげている。一時はさんぞくにすら見えた男が、「クロードさま」と呼ばれた。いうまでもない、クロード・アングラットのことであろう。すなわち、レオのがらを預かったこの地の領主であり、いわずもがな、ウォルターやジャック、フロリーの父親である。

 そのクロード、ひらりと身軽な様子で馬から飛び降りた。

 大きな手をレオのかたにまわしてくる。あらがえずにいるうち、クロードは身をかがめると、


「そなた、せいは捨てたといったな」ブーツのひもを結びなおす振りをしながらささやきかけてくる。


「どうせ人間、生まれついての名も姓も他人からのさずかりものだ。生かすも捨てるも人の自由であろうが、そなたにはまだまだ早い。アッティールの姓にひつてきする以上の力がまだ備わっていないからだ」


 早口でつづける。


「おれにはもともと名がなかった。いや、あるにはあったがだれも知らぬのでは名なしも同然だ。だからこの手で名をあげ、存在を証明してきた。それに比べれば、アッティールの姓、捨てるにもちさせておくにもいささかもったいない。しばし、それに匹敵するほどの力をたくわえるまでのあいだ、そなたの心のたなに預けてみんか」


 それだけをいうと、あとはすっくと背をばし、にんが馬のくつわを取ろうとするのを断って、手ずから馬を引いて歩いていった。

 レオのほうにもすぐさま人が寄ってきて、毛布で身体からだをくるんでくれた。なみだが出るほどにあたたかい。

 人々がかかげる火の列に先導されて、レオも歩いた。あの、草っぱらで見あげたよいの空から一歩ごとに遠ざかる思いがした。身も心もけるようだったあのいつしゆんからも。しかしだからこそレオ・アッティールはいま野の風にもこごえず、火に守られているのだった。