レオ・アッティール伝I 首なし公の肖像

一章 レオ公子 ④

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 クロード・アングラットがきんりんの人々からしたわれているのは、山の一件を見てもあきらかであった。アリオンが手中にしたばかりの領地だというのに、意外にも思われるが、もともと山深く、複数の国境が入り組んでいたこの地には、無法者どもが群れをなしてやってくることが多く、村々がらされることもしばしばだった。領地をあたえられたばかりの時期、クロードは自らそつせんして馬を走らせ、兵を指揮して、無法者のじろ一つ一つをたたつぶした。さらには、村々にれんらく用のはやうまと兵を置いて、事あらば、城からすぐさまえんぐんけんできるよう、道も整備させた。この土木作業には領民を数多く用いて、彼らにわずかばかりではあるが給金も出したので、のうかん期のたみに──ちくや放牧地を持たない寒村の民には特に──喜ばれた。

 レオはよく、ウォルター、ジャックの兄弟から、


「おれも父上とともに馬をって、さんぞくどもをばったばったとやりせたんだ」


 という意味のほら話もふくめて、父親のことをまんされた。

 その、クロード・アングラットに夜の山中で拾われてから。

 レオ・アッティールの様子もだいに変わってきた。

 まず、学問に打ち込んだ。もともとアトールにいたときから学ぶことはきらいではなかった。彼には二つとしうえの、実の兄ブラントンがいる。その兄ブラントンも学問好きで有名で、レオにはいい目標になった。兄が十歳で読破したという書物に七歳で取りかかり、兄が十三のときに独自かいしやくを発表して話題を呼んだ古いぶんけんを何度も読み込んで、十歳のときに兄とはまた異なる解釈をもって論文を書いた。だれにも見せることのない、つまり誰からも評価されない、ただの自己満足に過ぎなかったが、もともと彼には学問に対する並々ならぬ熱情があったのだ。

 それを取りもどした。彼は授業中誰よりも積極的に発言して、誰よりも的確な答えを口にし、そしてそうから出された課題ことごとくに、ほかの者が思いつかぬ視点から論文を書いた。

 教育係の僧はいたく感激して、


「いまからでもアリオンの大学機関にすいせんできる」


 とお世辞を口にするほどだった。

 おもしろくないのはウォルターとジャックだ。山での一件があって以来、しばらくは大人しくしていた兄弟だったが、レオが目立ってくると、その芽を潰そうとふたたびはんこう心を燃え立たせた。ただしちかごろは父のクロードも領地にとどまっていることが多かったので、あまりおおっぴらにレオをいじめることはできない。

 そうなると、彼らがゆいいつ力をるえるのは、武芸のたんれんのときだ。兄弟は以前よりもなお激しくレオに当たった。学問はともかく、わんりよくや体格の面となると、少しやる気が出たくらいでその差をくつがえせるものではない。

 さらにいえば、レオはアトールにいたときより武芸ぜんぱんを苦手としてきた。身体からだの線が細く、筋力も弱い。こればかりは、兄どころか、同年代の少年たち相手にだってちできなかったくらいなので、自分でも、


(向いていない)


 とよわい十一にして思い知っている。

 自然、ウォルターとジャックもやたらと組み手の相手にレオを指名したがった。

 アリオンにはカバットという独自のかくとう競技がある。円形の競技場で、そうほうとも上半身はだかで組みあう。相手を円の外へ押し出すか、相手の背中を地面に押しつければ勝ちとなる。首の下ならば、きんてき以外へのきやりも認められていた。アリオンでは大規模な大会がもよおされることもある人気競技であり、組み手のたんれんにもよく用いられていた。

 力まんのウォルターはやすやすとレオを投げ飛ばした。兄に比べるといささか非力な印象のジャックも、教官の見えないところでこっそりかたひじをレオの顔にぶつけてくる。

 ところが。

 レオは武芸にも本気になった。勝てないからといって、最初からあきらめはしなかった。投げ捨てられても、鼻や口から出血しても、土を蹴りざまに何度も立ち向かった。

 勢いは時に勝機を生む。少なくとも、はなからあきらめているときよりはレオも勝ち星を拾えるようになった。せいぜいが十本いどんで一本勝てるていどだったが、これがつづくと、アングラット家の兄弟もやすやすとレオを指名できなくなった。いままで簡単にあしらい、散々に鹿にしてきた手前、万が一にでも負けるのがずかしくなったからだ。人前で敗北をきつするのがおそろしくもなって、ついには、


「レオとはやりたくない」

「あいつのカバットは乱暴なんだ」


 などとげんな顔でこぼすようになった。


 ──このように、文武ともにはげみつづけたレオ・アッティールだったが、だからといってそれは、アトール公国公子としての自覚が芽生えただの、アリオンの文武を吸収していつかはいつむくいてやろうというがいのあらわれだの、といったことではない。

 事実はむしろまったくの逆だ。あの夜、


「アッティールのせいを心に預けてみろ」


 クロードからそう投げかけられた言葉は、レオにとってはしようげき的だった。

 それは、自分がアッティール以外の人生を歩む可能性とてある、ということをも意味している。アッティールでなくなるとは、つまり、一人、夜の山中にほうり込まれたとき、大勢のかかげる火でもってむかえられ、毛布でくるんでもらえる存在ではなくなるということだ。火も毛布も、自力で手に入れるしかない。

 いまの自分にはとうてい不可能だとレオは痛感している。すなわち、


(姓を失ったとき、ぼくは死ぬ)


 とてつもなくおそろしい考えであるのと同時に、レオにとって、とてつもなく心地ここちのよい考えでもあった。命を野っぱらに捨て去るかくさえ決めれば、いつでも広々とした地平に身をおどらせることもできるのだと、そう思いいたったとき、レオ・アッティールはなみだぐみたいほどの気持ちになった。山中ではじめて「死」を自覚したときと同等だ。

 だから、レオは、日々の修練に励んだ。夢中にさえなった。アッティール以外の人生を思うとき、彼は夢の世界に遊ぶ心地ここちになっていた。学問にはげんでいるときは、多数の書物と学友に囲まれている未来の自分を想像し、武芸に励んでいるときは、ただ一本のやりをかい込んで戦地に立ついつぺいそつの自分を想像した。

 が──、必ずといっていいほど、そのしゆんかん、幸せな想像をがいする感情が、胸のなか、特定の場所にあらわれた。黒いにも似たその感情は、レオがアトール公国をつ寸前のとあるおくと直結していた。ようやくめぐりかけた血の熱さが、一気にぎようけつするほどの寒々しさを感じた。レオは、意識してその感情を心身の外へと追いやった。これはこれで、身体からだきたえあげたり、小さな文字のれつを目で追ったりする以上の苦労と努力が──すなわち、それ専用のたんれんが──必要となった。

 どのような種類のものであれ、日々の鍛錬がまったくの効果をあげぬということはない。

 レオはだい次第に、そのを追いやるすべにもけていった。より、文武の修練に励むことができるようになった。ただし、そのは完全に消えることもなかった。意識をして、つまりは無理をしてレオから切りはなされたその感情は、月日を追うごとにいつしか目鼻立ちや独自の手足をもそなえて、もう一人のレオ・アッティールの姿を形成すると、遠くから感情のないひとみでじっと自分を見つめているような気がした。


(わかっているだろう)


 そいつは、音をともなわない声でささやきつづけていた。


(わかっている、わかっているとも、レオ・アッティール。おまえにはわかっている──)